第七章

「お父さん! 何度言ったら分かるの? どこでお金を借りてパチンコに行ったの! また借金なんか抱えたら、和雄かずおさんや私がどれだけ迷惑がかかるか。近所の人にどんな目で見られているか知っているでしょ! 少しは私達やお母さんの事を考えて!」

 怒鳴り散らす娘のかおるに、一ノ瀬勇は毎回のように嘘をついた。

「借りてなんかいないさ。散歩をしていたら五百円玉が落ちていたんだ。いや警察に届けようとは思ったよ。でもその途中にあった店についふらっと寄っただけさ」

「そんな言い訳が通用すると思っているの! 何万円も使っていたことは、店の人から聞いて分かっているのよ! もう二度とあそこへは入れないからね! 今度からは間違いなく入店禁止にさせると、店長から誓約書も取ったから」

 薫もまた嘘をついている。そんな事をあの店長が書くはずない。パチンコ店は、客にお金を落として貰ってなんぼだ。騒いだりして他の客に迷惑をかけるような行為さえしなければ、追い出されることなどまずなかった。

 それを証拠に、薫はこの近辺にあるパチンコ店全てから入店禁止の誓約書を取ったなどと言っているが、勇はこれまで何度も出入りしている。確かに書かせたという書類を見せて貰ったことはあった。だがそこには、勇を見つけたらとの記入があるだけで、入店させた際の罰則はない。そうした条件がないから、彼らは気軽にサインをしてくれたのだろう。

 それに今回はたまたま、薫の知人が勇を目撃したことで見つかっただけだ。しかし店長だけでなく従業員達も勇の存在を知りながら黙認していた。これからだってもし探し当てられたとしても、気づかなかったと誤魔化すことくらいするだろう。

 しかしお金の出所を調べられたら、大騒ぎでは済まない。ただでさえ六十歳の定年を迎え支給された退職金を、一年余りで使い果たしてしまったのだ。その後消費者金融からお金を借りていたことが、妻のや娘夫婦に知られてからは、家中の通帳やハンコなどを隠されている。

 それでも運転免許証があれば、お金はどこでも簡単に借りられた。パチンコで勝てば直ぐに返し、残った金でまたパチンコを打つ。負ければ限度額一杯になるまで借り、それでも足りなければ同じく会社を退職して悠々自適に暮らしている友人達を訪ねては金を借りた。 

 しかし最初は合わせても数十万円程度だった借金が、気付けば二百万以上となり、利子が付くものはどんどんと膨れ上がってすぐには返せなくなった。その為督促状が届いたり、家に電話がかかってきたりするようになったのだ。

 そして美枝達にばれ、勇はその度に叱り飛ばされた。けれども外聞を異常に気にする薫は、夫である等々力とどろき和雄が地元の銀行に勤めていることもあって、こっそりと清算をしてくれていたのである。

 そうした事もまたストレスとなり、毎日パチンコのことが頭から離れず、勇は同じことを繰り返した。時には妻が持っている貴金属を持ち出しては売り、その金でギャンブルに明け暮れた。勝てばいいのだと言い聞かせ、大勝ちした時は借金を返してやったと大きな顔をし、迷惑を掛けられていると煩く言う薫や和雄、そして美枝に突き付けたこともある。

 しかしその度に、またガミガミと説教されるのだ。

「またパチンコに行ったの? どうして辞められないの? いい加減にして! どれだけ迷惑を掛ければいいと思っているの! これ以上やったら、親子の縁を切るから」

 口ではそう言うけれど、周囲の目を気にする薫達が本気で出来るはずがない。地域に根付いた地銀で働く和雄や等々力の親御さんにも、顔が立たないからだ。そう高を括っていたからこそ、自分がギャンブル依存症にかかっているなんて、全く思わなかった。

 妻や娘夫婦が勇を敬遠し、馬鹿にすればするほど孤独は深まり、パチンコに嵌っていった。家族から疎まれ出した当初は、勇が借金を作る度に美枝や薫が肩代わりして返済してくれていた。その程度で済んでいたのだ。

 だがそんな事を繰り返す度に叱責され、嫌味を言われる。それが耐えられなくなり、勇はとうとう家を抵当に入れ、銀行から二千万円以上の金を借りてしまったのである。

 土地は勇の親から受け継いでおり、家屋はまだ会社に勤めていた頃に自ら働いた金で建て直した。勇名義の家だからこそ、こっそりと隠されていた実印と家の登記簿を持ち出し、銀行に足を運んで口座も簡単に作ることが出来たのだ。

 しかしとうとうそれが薫にばれた。印鑑は戻して置いたが、登記簿はない。どうやら定期的に確認していたらしく、どこへやったのかを問い質されたのである。

 しばらくの間、勇は知らぬ存ぜぬと白を切っていたが、これはただ事では済まないと和雄までが騒ぎ出した。そして彼は法務局へと出向き、土地の発行事項証明書を手に入れたのである。それを見れば、抵当が入っているかどうか分かるからだ。

 そこであろうことか、和雄が勤めている銀行のライバル地銀の名が入っていることを知り、彼らの怒りをますます買ってしまった。

「お義父さん! 一体何を考えているんですか! 借りたお金は今どこにあるんですか! まさかもう使ってしまったなんて言わないでしょうね! すぐに返して家を取り戻してください!」

 その口の利き方に我慢ならなかった勇は言い返した。

「何を言っている! 俺の名義の家をどうしようが、他人のお前には関係ないだろう!」

 これにはさすがに娘の薫も激怒した。

「和雄さんを他人呼ばわりするなんて、どういうつもりよ! これまでお父さんが作った借金を返すことが出来たのは、彼が稼いでくれたお金があったからじゃないの! そのせいで私がどれだけ等々力のご両親から叱られたか知らないくせに、何を言っているのよ!」

「そんなことはお前達が勝手にしたことじゃないか。私が借りた金だ。自分で返すさ。いくらだ? 今すぐ耳を揃えて用意してやる」

「そのお金は家を担保に借りたんでしょ! 自分名義になっていると言ったって、少なくとも半分はお母さんの取り分じゃないの!」

「ここは俺の親から相続したものだ。美枝には関係ない」

「関係ない訳ないでしょ! お父さんが結婚してから働いて稼いだ給与やその後に貯金したお金の半分は、法律上でもお母さんの分なの。専業主婦でも家計を支えていたんだから、それだけの権利は認められているのよ。退職金だって、結婚してから辞めるまでの期間分に相当する半分はお母さんの取り分だったのに、それを全部使い果たしただけじゃなく、借金まで作ったじゃない。だからこの土地の半分以上は、お母さんのものなのよ。それを一時的に立て替えて返してくれたのが和雄さんでしょ。お父さんは、お母さんと和雄さんに借金をしている事と同じなの。それなのに断りもなく土地を担保にお金を借りるなんて言語道断よ。そんなことも分からないの!」

「とにかくお義父さん、早く借りたお金を返して銀行から家を取り戻してください!」

 二人の剣幕に言い返す言葉が見つからず黙っていると、それまで口を出さなかった美枝が泣き出した。そして言ったのだ。

「和雄さんや薫の言う通りにしてください。でないと私はここから出て行きます。別れてください」

 考えてみなかった言葉に勇は狼狽した。

「な、何を言い出す。大丈夫だ。金は直ぐ倍にして返してやるから」

「返してやるってどういう言い草よ! どうやって返すつもり? またパチンコで返すなんて言うんじゃないでしょうね。お母さんは本気よ。今度何かあったら離婚するって、前から私達は相談されていたんだから。そうなったら私が引き取るし、お父さんとは完全に縁を切るからね」

 冗談じゃない。美枝の口からそんな言葉が出るなんて、今まで想像した事すらなかった。結婚して四十年近く経った今になって、一人にされては堪らない。これまでどれだけ苦労して定年を迎えるまで働き、一人娘を育てて嫁に出したと思っているんだ。ようやく自分の仕事を果たしたかと思えば、勝手な事ばかり言いやがって。

 そもそもパチンコに嵌ったのも、退職してから家にいる時間が長くなった勇を、美枝が邪険に扱いだしたのがきっかけじゃないか。自分だけこれまで作って来た友人達との関係があるからと、勝手に旅行へ出かけたりしていたじゃないか。

 それなのに勇が家にいると、昼食まで作らなければいけなくなったとぼやかれる有様だ。それが嫌だったから、勝手に外で食べてくるから気にするなと言ったら、

「そうしてくれると助かります」

と喜んでいたのは美枝の方じゃないか。居場所が無いため、あちこちとぶらついている間に、ふらっと立ち寄ったのがパチンコ屋だったんだ。独身時代には先輩に誘われ、少し齧った程度に遊んだ覚えはあった。だが結婚してからは仕事が忙しくて、ギャンブルなどしている時間など無く過ごしてきたというのに。

 勇は終戦前の一九四二年生まれだ。O県では一九四四年十二月から終戦日前日の八月十四日まで、三十回から五十回ほど空襲が続いていた。そんな中を良く生き残ったものだと思う。

 特にその内の八回がO県大空襲と呼ばれ、百機以上の爆撃機が飛来したそうだ。その結果、O県だけで一万五千人以上の死者を出したと言われている。

しかし勇の両親は、最も被害が大きかったらしい三月の大空襲の折、命からがらS県に住む親戚を頼って疎開していた。その為何とか難を逃れることが出来たのだ。

 その後焼け野原になったO県市内へと戻った両親は、戦災復興都市計画に基づいた様々な工事を手伝うことで、生計を立てることができたらしい。

 また昭和二十五年に勃発した朝鮮戦争による特需の恩恵もあり、当時の日本の実質国民総生産は一気に戦前の水準までに達した。その後高度成長期へと突入したが、そんな中でこの世に生を受けた勇もその勢いに乗った一人である。高校卒業後、人手がいくらあっても足りなかった建設会社へ入社して、懸命に働いたのだ。

 しかも多くの企業がそれまで五十五歳定年だったにも関わらず、日本人の平均寿命が長くなったことなども影響したのだろう。勇が五十を過ぎた一九九四年には、法改正で六十歳未満定年制が禁止され、一九九八年に施行されたのである。おかげで六十歳まで働くことが出来たのだ。

 もちろん一九九一年から始まったバブル崩壊の波も受け、当時五十間近の中間管理職だった勇も、リストラ候補に挙げられ肩叩きの危機に陥ったこともある。それでも関連子会社への出向で最悪の事態は乗り越えた。

 そうして会社に齧りついてきたのも、妻と可愛い一人娘の生活を豊かにしてあげたい一心からだ。勇が四十を超えた頃、相次いで病に倒れた両親から受け継いだ土地に新しい家を建てたのも、家族の為だった。あの時は美枝も薫も大喜びしていたではないか。

 それなのに今や自分一人の力で大きくなったかのように振舞う娘は、和雄と結婚して変わった。堅実で裕福な家庭で育ち、東京の一流大学を卒業して地元へと戻って来た夫の影響だろう。短大卒で威張れるような学歴も無いくせに自分まで賢くなったつもりでいる。

 挙句の果てに先程のような、高卒で学の無い父親には分からないと馬鹿にする口ぶりが増えたのだ。特に勇がパチンコに嵌り、退職金を使い果たして借金をしてからは、完全に愛想が尽きたと馬鹿にしだした。

 そんな扱われた方が続いてさらにストレスが溜まり、自分でも制御できない程、頭からギャンブルの事が離れなくなったのである。勇も薄々このままではいけないと思っていた。しかしパチンコに行けないと考えるだけでイライラが募る。それは精神的にも健康にも良くない事など十分承知していた。だが勝った時の喜びは格別だ。お金がない訳ではないし、勝てば返すことが出来た。

 美枝達が友人達と食事に出かけたり、旅行に行ってお金を使ったりすることと何が違うというのだ。それに勇が居なければ美枝だって困るだろう。そう思い込んでいたが、現実は全く違ったらしい。我に返って考えて見れば、一人になって困るのは自分だけのようだ。

 下手に離婚すれば、あいつらの後ろには銀行員の和雄が付いている。財産分与として今までの借金返済に費やしたお金を考慮すると、この土地と家すら持っていかれかねない。追い出されて路頭に迷うのは勇の方だ。この年で一人にされてお金もなければ、とても生きてはいけない。彼らがいたからこそ、これまで歯止めが効かない借金地獄を、何とか切り抜けてこられたとの自覚もあった。

 そこで勇は負けを認め、借りたお金が入っている通帳を差し出した。既に百万円ほど使ってしまっている。それでも薫達はこれならまだ間に合うと言い、再び和雄からお金を借りて銀行への返済を行い、土地を取り戻してくれたのだ。

 しかしその後条件が付いた。今後同じことが起こらない様、土地、建物の半分は美枝に、そして残り半分を和雄と薫の名義に書き換えさせられたのである。

 ただこの手続きは、単純に勇の資産を取り上げるためだけではなかった。

なぜなら美枝の取り分を半分にすれば、婚姻が二十年以上過ぎた夫婦間での居住用不動産の贈与は、配偶者控除枠を使うと最大二千百十万円まで非課税の為、土地の評価額から税金がかからなくて済むからだ。

 残り半分も、これまで和雄夫婦が負担した借金の返済費用を回収した形を取ることで贈与税もかからなくて済む。さらには勇の死後における相続税対策にもなるからと説得されたのである。

 その上勇はギャンブル依存症を患っている可能性が高い為、治療を行う機関へ通うことを義務付けられた。どうやら和雄の両親の知人の身内に同じような人がいたらしく、アドバイスを受けたようだ。 

 そして専門家達を交えた話し合いの結果、美枝や薫達が今まで良かれとやっていた借金の返済や叱り方は、全て逆効果であると指摘されたという。

 ギャンブル依存症は精神疾患であり、窃盗症や放火症などと同じ衝動制御型の障害に分類される病気だと教えられたそうだ。悪化させると本人の健康状態を損ねるだけでなく、家族さえもうつ病やパニック障害等の精神障害に陥りかねないと忠告されたらしい。

 事実、美枝や薫、和雄は日々勇に対するストレスが重なり、近年は体調を崩すことが多かったようだ。そこで勇に辛く当たってしまうことがお互いに良くないことだったと理解したのである。

 その解決方法として、勇は自分が病だと認識した上で医学的な治療を受けることとなった。その上同じような境遇にある人達と触れ合う、自助グループへ参加させるようにとの指南を受けたのだ。

 さらにこの病気を完治させるには長い期間が必要になる為、勇の家で和雄夫婦が同居することも決まった。監視の意味もあるが、病の根本に家族関係の希薄さがあると医師から注意を受けたからだという。

 これまで薫達は実家から近い所に住んでいたものの、問題が起きるまで滅多に顔を出すことはなかった。またトラブルが起こった後も距離を置いていたことが、さらに勇の病を悪化させたのだと気付かされたらしい。その上同じ家に暮らす美枝も同じで、悩みを抱え込んだまま放置していたことが問題だったとも言われたようだ。

 そこで三人が勇と真剣に向き合って生活しなければ、ギャンブル依存症はいつでも再発の恐れがあり、何年経っても解決しないとの説明を受けたと勇も聞かされたのである。

 完全に見捨てるか、逃げずに家族で支え合う覚悟を持つか、のいずれかだと選択を迫られた彼らは、繰り返しストレスに晒される位ならと同居することを決断したらしい。

 依存症の治療は勇だけでなく、娘夫婦にも影響を与えた。それまでは勇の勝手な行動や嘘に対する怒りが先行し、やがて迷惑を掛けられることで恨み、憎しみが増すばかりだった。ギャンブルを辞められないのは、本人の意志が弱く責任感が無いのだと考え、家族に対する愛情の欠如だと、勇の性格や人間性を責めていたのである。

 しかしそうした態度が逆効果だと知り、今までの行動は全て病のせいであり、治療すれば回復は可能だと家族全員が認識するようになったのだ。そして美枝だけでなく薫や和雄達も、自助グループに参加して同じく依存症で苦しむ家族と話すようになった。

 当事者がギャンブルを辞めるだけでは終わらない。身近にいる家族が正しい知識と対処法を身に着け、周囲に対する認識を変える努力が出来れば、治療へのプロセスは成功したと言えるという。

 とはいえ勇が完全に落ち着きを取り戻すまでには、数年かかった。それでも続けられたのは、互いに思いやる気持ちがまだ残っていたからだろう。自暴自棄にならず間違っていたことを互いが認め、改善しようと前向きな取り組みができたからだ。

 娘夫婦の関係も勇を通して大きく変化した。二人の間には子宝に恵まれなかった為、薫はコンプレックスを抱えていたらしい。和雄には兄夫婦がいて、一男一女を授かっていた。よって等々力家では孫を抱き可愛がる機会があっただけまだ幸いだった。

 しかし一人娘の薫は両親にそうした喜びを与えられないことを、密かに悩んでいたという。それは勇だけでなく美枝さえも、そんな娘の心情を分かってやれず、子供はまだかとプレッシャーを与えた時期があったからだろう。薫も高齢になり出産は難しいと分かった頃には、何か揉めると孫が居たら良かったのにと愚痴を言ってきた。そうした言動が薫の心を傷つけていたことを、勇達も分かってやれなかったのである。

 そこで同居をし始めてからは一軒家だったこともあり、心の安らぎを与える効果があるからと犬を飼い始めた。そしてチャー坊と名付けた柴犬が、家族を結びつける役割を果たしてくれたのである。その犬が薫達にとっては子供であり、勇達にとっては孫のような存在になってくれた。その為可愛がるだけでなく、共通の明るい話題を持つことが出来たのだ。

 チャー坊を散歩に連れて行く役目は当初薫と美枝だったが、勇が落ち着いた頃には年老いた二人の健康に役立つだろうと、徐々に勇と美枝の仕事となった。一時期は離婚するとまで言われた勇だが、依存症の治療に真摯な態度で取り組み、孤独だった心も自助グループの人達と交流を持ったことで、心を穏やかに保てるよう変化していたのである。

 生活態度が改善していく勇の様子を見て、美枝を取り巻いていたピリピリしていた空気も徐々に柔らかくなった。そして雨の日を除き、ほぼ毎日二人手を繋いで歩くようになるまで、夫婦の仲は改善していたのだ。そして治療開始から約十年の月日が経ち、勇のギャンブル依存症はようやく治まり、穏やかな日々を取り戻すことができたのである。

 しかし人生、一寸先は闇だ。そうした生活も、突然の事故によって一変した。勇と美枝が健康の為にと毎朝日課にしていた散歩の途中、猛スピードで走っていた車が歩道に突っ込み、二人とも轢かれたのである。その事故で美枝は亡くなり、命は助かった勇も腰と足を骨折し、後遺症が残るほどの重傷を負ったのだ。

 それは二人が七十二歳になった時の事だった。しかも事故に遭ったのは、チャー坊を連れて歩いていた時に起こった。幸いなことにチャー坊だけは無傷だったが、勇や薫達の人生を大きく変える結果となったのである。美枝の死を受け入れられず、悲しみに暮れる中でも勇はリハビリに通った。しかし障害が残った足腰は立たず、車椅子生活となったのだ。

 不幸中の幸いだったことは、経済的な余裕ができた事だろう。勇がギャンブルに嵌っていたせいで、経済的には苦しかった家計がようやく立ち直った頃だった。それが皮肉にも事故により潤ったのだ。 

 美枝の死と後遺障害を負った勇に対し、事故を起こした車が加入していた保険会社から、決して少なくない金額の慰謝料が支払われた。その上、保険も扱っていた銀行員の和雄の勧めで、二人共それなりの額の生命保険に加えて傷害保険にも入っていたからである。

 支払われた死亡・後遺障害保険金を合わせると、勇の家はちょっとした資産家となった。元々薫達夫婦には子供がおらず、しかも勇達と同居していた為、貯金は増える一方だった。そこに美枝の死によって、配偶者の勇だけでなく相続人の一人である娘の薫にも保険金の一部が手に入ったのだ。体が不自由になった勇の為に、家をバリアフリーに改築する費用も賠償金で賄うことが出来た。さらには介護に必要なデイサービスも十分受けられるようになったのである。

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