京友禅の世界から
京友禅の世界は、かなり厳しいと、綾汰は聞いている。どこか自由で緩いところもある加賀友禅の世界と比べて、修行中も、作家になってからの活動も、それこそ全てを投げ打つ覚悟で臨まなければ大成はしない、と人から教えてもらったことがある。
その中で、晃は、作家として独立して、活動していたというのだ。
おそらく、今回の電話をかけてきた時、千都子にはその経歴を説明したのだろう。だから千都子は、『あんたにとってもタメになる』と言って、綾太を送り出したのだ。
「三年前、親父が病気で倒れて、仕方なく金沢に戻ってきた。幸い、親父は回復したけれど、もう六〇歳を超えたから、現役に戻すわけにもいかない。俺としてはいつでも京友禅の世界に戻りたいけど、なかなか、厳しい状況だね」
「ひょっとして、藍子さん達に協力しているのって」
「俺が、君ら加賀友禅の世界にちょっかいを出すわけにはいかないだろ? でも、彼女なら、まだ独立した作家ではないから、その活動に協力したって何も問題は無い。旅館業をやりながら、少しでも友禅の仕事に関われる。こんな楽しいことはないさ」
「藍子さん達を利用して、自分も楽しんでいる、と」
「やな言い方するなあ。まあ、否定はしないさ。俺は彼女らに本当のことを隠して、素人の顔して、横から口出ししてるんだから。ずるいとは思う」
「だったら、加賀友禅のほうに転向すればいい」
「面白いことを言うね」
「僕は大真面目だ。何も京友禅にこだわる必要はない。この金沢から離れられないのなら、いっそ加賀友禅の世界に入れば……」
「それ以上言うと、怒るよ」
晃の目つきが鋭くなった。
本気で言っている、と察した綾汰は、途中で話を切った。
逆の立場になってみれば、京友禅の作家から、加賀友禅なんてやめて京友禅の世界においでよ、とスカウトされたら、綾汰だって腹が立つ。晃に対して、失礼な話だった、と反省した。
「広い視野でいくと、加賀友禅とか、京友禅とか、そういったくくりになるけど、これはもっと狭い視野でも通じる話なんだ。人それぞれ、作るものは違う。どの師匠についたか、でも変わってくる。上条静枝と、國邑千都子、君の知っている作家二人を比べてみても、まるで作風は違うだろ?」
「ええ。全く違います」
「同じように、藍子さんは、上条静枝の作品を忠実にトレース出来る。だけど、それはあくまでもトレースだ。本物ではない。藍子さん自身の作品でもない。そこに、母親の面影を見出そうと思っても、無理な話だ」
いつしか綾汰は、素直に晃の話を聞くようになっていた。最初は、部外者が何を偉そうに、と思っていたが、京友禅の作家だという話を聞いてから、少しずつ、信頼を寄せるようになってきていた。
作家としては、自分より先輩だ。経験もその分、豊富である。そんな人の言葉を、話半分で聞くわけにはいかない。
「裏話をしようか。俺は、藍子さんに、君の気持ちを聞いてくるように頼まれたんだ。新宿のバスターミナルで、彼女に、『好き』って言ったんだって? そのせいで、かなり動揺しているようで、作品作りが出来なくなるくらい思い詰めている」
「いや、それは」
「わかってる。言わなくてもいい」
晃は手を上げて、顔を真っ赤にして弁解しようとする綾汰を制した。
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