星場屋

 すでに午後に入り、朝市は終わっているが、それでも今日が休日だからか、輪島の町は活気に溢れている。

 観光客らしき人々が、楽しそうに談笑しながら、あっちの店、こっちの店と、通りに並ぶ商店を訪れている。


「あそこに、星場屋、ってお店があるけど、あれは親戚とかのお店?」


 藍子が指さした方向を見て、大護は、「ああ」と頷いた。


「あれはお袋がやっている店だ。うちの工場で作った漆器を売っている。少し散策してからと思っていたが、そうだな、もう寄ってみるか」


 星場屋に入ってみると、品のよさげな老婦人が、店の奥で椅子に腰掛けて、小説を読んでいるところだった。どうやら、この人が大護の母親のようだ。


「あら、大護。今日は工場で作業をするんじゃなかったの?」

「お袋。彼は加賀友禅の作家だ。わざわざ金沢から出てきて、俺に会いに来てくれたんだ。土産に何か持たせてやりたい。うちの商品で、いいもの見繕って、渡してくれ」


 突然の、大護の心遣いに、綾汰は慌て出した。


「お気になさらず! 普通に、買って帰りますから!」

「普通に、買う?」


 大護は目をまたたかせた。


「『普通に買う』って、どういうことだ?」

「それは、もちろん、代金を支払って……」

「違う、俺が聞きたいのはそういうことじゃない。これだけ数ある漆器の中から、あんたはどうやって自分に合ったものを選んで買うのか、ってことを聞きたいんだ」


 言われてみれば、店内、所狭しと大小様々な漆器が陳列されている。ぐい呑みから、お椀、正月に使いそうなお重まで、選び出したらキリが無さそうだ。


「例えば、これだ。持ってみろ」


 大護は棚から箸を取り上げると、綾汰に手渡した。

 輪島塗で作られている箸だ。


「どうだ、持ち心地は」

「なんだろう……これ、すごく持ちやすい」


 綾汰の感想を聞いて、藍子も試しに、箸を手に取ってみた。

 輪島塗の箸は、いざ持ってみると、指にしっくりと馴染んでくる。大量生産の箸と違って、まるで最初から自分専用にカスタマイズされて作られているかのように、不思議なフィット感がある。


 正直、こんなにも違いがあるとは思わなかった。


「これは、日常的に、輪島塗の箸を使いたくなりますね」


 手の中で箸を転がしながら、感嘆の言葉を漏らす綾汰に対して、大護は大きな笑みを浮かべて、満足げに頷いた。


「輪島塗というと、高価な漆器のイメージが強いが、そんなことはない。日常生活で使える手頃な価格のものも、ちゃんと売っているぞ」

「たしかに、この店頭に置いてあるものは、どれも手に取りやすい価格ですね」

「それでいて、最近の、二束三文で量産されている食器類とは、輪島塗の漆器はひと味違う。量産品だって、使い勝手はそれほど悪くはない。外れはない。だが、その代わり、自分に合った食器、というものを見つけることも適わない。漆器は、そういうものとは種類が違う。わかるか?」

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