第18話 エラの前世Ⅲ

「私は暗殺者よ!」

「元暗殺者だな」

「あなたを付け狙ったわ!」

「自分の命を捨てて、それをあきらめただろう?」

「と、とにかく! つ、妻になんかならないわ! そもそも、私は男が嫌いなのよ! 大っ嫌いなの! 触られただけで鳥肌が立つのよ!」

「ダンスは上手かったな」

 サイラスがそう言って笑う。確かにあの時は鳥肌が立たなかったけど……何でそんな事に気がつくのよ? 楽しそうに笑う彼の顔を引っぱたいてやりたくもなる。

「ああ、もう! あんたみたいな男だったらね、もっといい女が見つかるはずだわ! 何を好きこのんで、私みたいな汚泥の中を這い回ってきた女を選ぶのよ? 手は汚れきってるし、清楚でも美しくもないわ!」

「お前は美しい」

 美しいって……二の句が継げなかった。

 サイラスのまっすぐな瞳を正視できず、思わずうつむいてしまう。紺碧の空によく似た色だ。確かに、容姿を褒められることはあるけれど、そういう事を言っているわけではないのに……。私は唇を噛みしめた。

 今更ながら肉感的なこの体が恨めしい。汚れきった女の代表のような気がして。男にもてあそばれてきた自分が、どうして美しいなどという賛辞をもらえようか。彼は知らないのだ。自分が一体どのような人生を歩んできたのか……。

 サイラスが再度言う。

「気がついていないのか? お前は自分の幸福の為ではなく、赤の他人の幸福のために、自分の命を使おうとした……私にはお前が誰よりも美しく見える」

 私は目を見張った。

 サイラスの言わんとする真意に気がつき、棒立ちになる。

 心が美しいと、そう言ってくれたことに、ようやく、ようやく気がついて……それは今の自分にとっては最高の賛辞だった。涙が出そうになる。けど、でも……。

「……そこ、どいて。出られないわ」

 サイラスは今度は邪魔しなかった。素直に脇へどいてくれたので、私はドアを開け、外へ出る。

「もし、気が変わったら、私のところへ来て欲しい。待っている」

 そんな言葉を投げかけられたけど、返事はしなかった。出来るわけがない。人柄も容姿も申し分の無い、こんな男の妻になんてなれるわけがない。

 サイラスの部屋の窓を、木の上からぼんやりと眺め、彼の言葉を反芻する。

 狂王になるとサイラスは言ったけれど、一体どういうことなのだろう? 合成種ダークハーフを目の敵にしてきた聖光騎士団に言わせると、合成種ダークハーフは邪悪で凶暴、らしい。

 魔人シャイタン同様、人間離れした能力を持っていて、人に仇成す存在だという話だが、笑ってしまうくらい、あいつには当てはまらないと思う。聖職者も顔負けの人格者だもの。

 まぁ、確かに、冷徹な部分がないわけではないけれど。差し向けられた暗殺者は全員、サイラスの手にかかって命を落としたのだから。

 でも、殺されそうになれば誰もがそうするはずだ。それを気にしたとも思えない。事実を問い質そうと彼の部屋に足を向けるも、中へ入るのはやはり躊躇してしまう。

 そうこうしている内に、新たに差し向けられた暗殺者と鉢合わせだ。

 こんなに早く新たな刺客が送り込まれたことにも驚いたが、それ以上に驚いたのが目にした相手が組織の中でも一、二を争う実力者だった事だ。

 こいつが出張ってくるのなら、ますます自分がここへ来る必要性を感じない。そんな疑問を見抜いたように刺客が吐き捨てた。

「本当に使えない女だ。死ねば少しは役に立ったのに……」

 意味が分からない。死ねば役に立つ?

「お前の体に仕込まれた呪毒は、心臓の鼓動が止まると、殺した相手の心臓に食らいつく。確実に相手の息の根を止めてくれるはずだった……」

 ああ、そういうことかと納得する。

 サイラスに自分を殺させて、仕留める予定だったのか。

 だから、彼が合成種ダークハーフであった事実も魔道の力を持っていた事も、あえて伏せられた。要するに捨て駒だったというわけね。だったら……。

 刺客が手にした剣に突っ込むも、軽々よけられてしまう。ふうん? 本当に強力な毒みたいね。刺客の焦った顔が面白くて、笑ってしまう。こいつにこんな顔をさせたのは、きっと私だけね。

 こいつに自分を仕留めさせれば、道連れに出来る。

 そう考えたけれど、その考えが甘かったことはすぐに分かった。仕留められなくても、痛めつけることは出来る。まったく、こういった連中は本当に容赦が無い。どこをどうすれば確実に相手をいたぶれるのか、知り尽くしているのだから。

 そういった中で、彼は本当に甘ちゃんね……。

 もうろうとした意識の中で、サイラスの姿が思い浮かび、苦笑する。

 あいつは美しい金色の獣だ。記憶の中の彼の姿を思い浮かべ、そんな風に思う。

 でも、その牙をかくし、そっと相手を包み込む優しさを持っている。今までに感じたことのないぬくもりを感じたもの。

 そう、既にこの時、あいつに心引かれていたのかもしれない。

 けれど、そうそう人は素直にはなれないもので、何だってこんな時にあんな男の事を思い出さなくちゃならないのよと、自分で自分をあざ笑った。どうせなら、もっと別の事を考えればいいのにと、意固地になってしまう。

 ええ、そうよ。男なんか大っ嫌いなんだから……。

 意識を失う寸前、サイラスの姿を見た気がして、重傷だとそんなことを考えた。幻を見たんだろうと、そう思ったのに……。

「気分はどうだ?」

 サイラスの声で跳ね起きた。

 朝日が昇っていて、彼の部屋のベッドの上である。

 体を動かせば痛んだけれど、きちんと手当もされている。裸を見られたことに気がついて、頬が熱くなった。

 でも、今更ね、そう思い直し、気にしないふりをする。そうよ、今更だわ。裸なんか他の男に散々見られたじゃない。あばずれって言葉が似合うくらいよ。

 薬湯を差し出され、無視しようかと思ったけれど、出来なかった。

 何でそんな顔をするのよ。本当に心配されているみたいで、落ち着かないったら。でも……もしかしたら、本当に心配してくれたのかもね。甘ちゃんだもの。

 薬湯を飲み干し、ベッドから降りれば、呻き声が漏れた。

 痛みには慣れているはずなのにこれだ。あの刺客の容赦のなさを思い知らされてしまう。痛めつけ方が抜群に上手い。

「もう少し寝ていろ」

 サイラスに無理矢理ベッドへ連れ戻される。

「あいつはどうなったの?」

「あれなら始末した」

 思わず顔をしかめた。

 随分とあっさり言ってくれるわね。あいつは組織の中でも一、二を争う実力者だったって言うのに……。あれを始末しようとして、命を張った自分が馬鹿みたいだわ。どうすれば彼の役に立てるのかしら。

 そこではたと思い当たる。そうだわ、呪毒がしこまれているなら、このまま王妃の部屋に忍び込めば……。

「何を考えている?」

「別に」

 もう、いちいち反応しないで。心臓に悪いわ。考えを見抜かれたかと思ったじゃないの。彼は妙に鋭いところがあって、本当に油断がならない。陰謀渦巻く宮廷内で、人を支持する立場なのだから、当然なのかもしれないけれど。

「無茶はするな」

「してないわよ」

「なら、何故逃げなかった。勝てると思ったのか?」

「思ってないわ。体に仕込まれた呪毒で道連れにしようとしただけよ」

 そう言った途端。弾かれたようにサイラスが反応し、体を調べられた。

「ちょ、何するの!」

 あちこち触らないでよ、馬鹿! それでなくても、全部見られて恥ずかしいっていうのに! ああ、もう! 抵抗もむなしく簡単に転がされ、胸にあてられた彼の手が緋色に輝く。私はそれを目にして、彼がしてくれようとしている事を理解したけれど、

「解毒はしないでいいわ」

 あえてそう告げた。サイラスの手をどけようとすれば、彼の眼差しが険しくなる。

「死ぬぞ?」

「私を殺した相手が、でしょう?」

 そう言って笑えば、サイラスの目が険しさを増す。

「……この呪毒は一種の呪いだ。呪う相手がいなければ、宿主を食い殺す」

 ああ、つまり自滅するって事ね……。


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