第4話

 俺たちはそれから、スライム姿のまま花畑でじゃれあった。


 体当たりしたり、上になったり下になったり、いっしょにぷるぷるしたり。

 ふたりとも、まるで積雪ではしゃぐ犬みたいだった。


 ひとしきり遊んだあとに元に戻ると、セレブロは目を真っ赤にするくらい笑っていた。


「ああ、こんなに楽しくて、こんなに笑ったのは生まれて初めてです」


 スライムの姿になっているとレベルの消費が激しいらしく、気付くとレベルが10も減っていた。

 しかしセレブロのこんな笑顔が見られるのなら、そのくらい安いもんだ。


 こうして見ると、魔王の娘なんかじゃなくて完全に普通の女の子。

 いや、とびっきり可愛い普通の女の子だ。


 俺は、彼女に言った。


「なあ、セレブロ。この花畑から出て、あたりをちょっと探索してみないか?」


「探索……ですか?」


「ああ。もしかしたら出口が見つかるかもしれない。

 モンスターがいたらなんとかソイツを倒して、レベルを上げよう」


「かしこまりました。でもわたくしは戦う力が一切ありませんので、ご一緒しても足手まといになると思います」


「それで思ったんだが、スライムの姿だったら俺といっしょに戦えるんじゃないか?」


 セレブロはあまり気乗りしない様子だったが、俺は半ば無理やり彼女を引きつれて探索を開始する。

 いざとなったら彼女がスライムに変身し、俺を援護するという作戦で。


 この洞窟の壁や床には、『輝石』と呼ばれる光る石が埋め込まれている。

 そのため、花畑を出てもぼんやりと明るく、周囲をそれなりに見通せた。


 俺とセレブロは花畑のあった広間を出て、細い通路を進む。


 しかし早々に行き止まってしまう。

 通路の途中で頑丈そうな鉄格子が降りており、行く手を塞いでいたのだ。


 それまでセレブロは期待と不安が入り交じった表情をしていたのだが、元の感情を感じさせない顔に戻った。


「やっぱり、ここから出ることは無理みたいですね。

 わたくしたちは、どうあがいてもここで朽ち果てる運命のようです」


「いや、そんなことはない」


「えっ」


「スライムになれば、この鉄格子をすり抜けられる」


「あっ……!」


 虚を突かれたように、目を丸くするセレブロ。

 俺は鉄格子のそばまで歩いていくと、振り向いて、彼女に問う。


「どうする、行くか?

 ここに鉄格子があるということは、この先にはまだまだ困難が待ち受けてるということだ。

 むしろ、この鉄格子は鳥カゴの檻で、外にいる敵からキミを守るために作られたものかもしれない。

 もしかしたら、檻の中じっとしていたほうが良かったと思えるほどの苦痛が待っているかもしれない」


 俺があまりに真剣なまなざしだったので、セレブロは身を固くしていた。


「でも俺は、行きたいんだ。

 俺はずっと、レベル1のままで生きてきた。

 自分の力じゃなにもなし得ず、なにも変えられない人生を送ってきたんだ。

 しかし、今は違う。

 キミと出会って初めてモンスターと戦って勝ち、生き延びた。

 だから俺は、もっとこの力を試してみたい。

 この力を抱えたまま死ぬんじゃなくて、出し切って死にたい……。

 どこまでやれるか足掻いてみたいんだ」


 俺は、手をさしのべる。


「そしてキミといっしょなら、ここから出られる気がするんだ……!」


 セレブロは何を言われたのかわかっていないようで、ポカンとしている。

 しかしやがて、そのまん丸な瞳がユラユラとさまよいはじめた。


「わっ、わたくしのことを、本当に、必要としてくださっているのですか……?

 しっ、信じられません!

 こんな、なにもできないわたくしのことを、必要としてくださる方がおられるだなんて……!」


「そんなことはない! キミがいてくれれば、俺は百人力だ!」


「そっ、そんな! ウソですっ! そんなことが、あるわけが……!」


 セレブロは戸惑いながらも手を伸ばし、俺の手を握ろうかどうしようか激しく逡巡していた。

 爪先が触れるたびに、静電気が流れたようにピクリと手を引っ込めている。


 何度目かの触れ合いの瞬間、俺は彼女の手をしっかりと握りしめた。


「いいから、黙って俺についてこいっ……!」


 セレブロは身体じゅうに電流を流されたように、びくんと肩をわななかせる。

 そして震える声で、


「はっ、はいっ……!」


 と目覚めるような返事をした。


 俺たちは手を繋ぎ、見つめ合ったまま、日差しに置かれたチョコレートのように溶け合う。

 スライムと化してもなお、俺とセレブロの一部は繋がったままだった。


 俺たちは手を取り合うようにして、鉄格子をくぐった。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 俺たちは決意に満ちた表情で、通路を進んでいた。

 しばらくして視界が開け、花畑と同じような広い部屋に出る。


 途端、足元が爆発した。


 ……ズドォォォォォォーーーーーーーーーーーンッ!


 爆風で舞い上げられた俺たちは離ればなれになる。

 空中で体勢を整えながら部屋を見渡すと、隅のほうに人と馬を足したような巨躯がいた。


 あれは、『キャノタウロス』……!?

 人と馬が一体となった『ケンタウロス』よりも遥かに強靱な肉体を持ち、本来は設置型の兵器である弩弓を武器とする。


 馬のような俊敏さと、攻城兵器のような攻撃力を併せ持つ、とんでもないモンスター。

 この『竜の堕とし子』は、生きて戻った者はいないという地下迷宮ダンジョンだけあって、巣食うモンスターも最強クラスのヤツばかりのようだ。


 俺は空中で人間に戻りつつスタッと着地し、セレブロを探す。

 まだスライム姿のセレブロは逆さまのまま地面に叩きつけられようとしていたので、俺は滑り込んで彼女をキャッチした。


 俺の手の中で、プルプル跳ね回るセレブロ。


「あっ!? ひゃあっ!? たっ、助けてくださり、ありがとうございます……!

 い、いったい、何が起こったのでしょうか!?」


「敵の攻撃だ! 俺が注意を引きつけるから、援護を頼むっ!」


「かっ、かしこまりましたぁ!」


 セレブロが俺の手からぴょんと飛び降りたのを確認して立ち上がる。

 弩弓に次弾を装填しているキャノタウロスめがけ、抜刀しつつ挑みかかっていった。


 背後から、絹を引き裂くような声が追いすがる。


「ミカエル様! レベルは盾にすることもできます! 盾を想像してみてくださいっ!」


 キャノタウロスのリロードは素早く、俺がリーチ内に飛び込むよりも先に矢の切っ先を向けてきた。


 俺は矢に向けて手をかざし、掌に盾をイメージする。

 破城槌でもびくともしないほどに分厚く、塔のようにそびえる盾を。


 すると、掌から骨が溶け出すような脱力感を覚えた。

 そして、魔王にとってのレベルとは血肉、そして骨であることを知る。


 骨は溶鉄ようてつとなり、黒鉄くろがねのようなオーラの障壁となった。


 ……ガキィィィーーーーーンッ!


 激しい金属音とともに撃ち放たれた矢は、矢筒の矢を束ねてつがえたのかと思うほどに野太い。

 鈍色の軌跡を残し、まるで一本の槍のように長く長く伸びていた。


 まともに受けようものなら、大盾すらもやすやすと貫通し、鎧ごと身体に風穴が空いてしまうだろう。

 それは死が迫り来るようなプレッシャーだったが、不思議と怖くはなかった。


 かざした俺の手に切っ先が触れた途端、


 ……ガキィィィーーーーーンッ!!


 槍は黒い障壁に阻まれ、跳弾となって射手のほうに跳ね返っていた。


 キャノタウロスは「なにっ!?」という表情を見せたが、素早く横に飛び退いてかわす。

 さすが伝説のモンスターだけあってそうやすやすとダメージは与えられないようだ。


 しかし俺はすでにリーチ内に踏み込んでいた。


「もらったぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 飛び上がり、大上段に振りかぶる。

 剣には黒炎のようなオーラが浮かび上がっていた。


 剣技、『兜割り』。


 しかも、レベルを使ってのぶった斬りとなれば、いくらキャノタウロスとはいえひとたまりもないはずだ。

 しかし、そんなバレバレの太刀筋など目を閉じていてもかわせるとばかりに、ヤツは不敵に笑っていた。


 次の瞬間、その笑いは凍りつく。


 ハッと足元を見やったキャノタウロスが見たものは、黒い沼に沈み、すっかり動かなくさせられた四つ足だった。

 そう、俺がこんな大胆な攻撃に移れたのも、シャドースライムのセレブロがこっそりヤツの足元に回り込んでくれていたから。


 おかげで生まれて初めての大技を、試すことができたっ……!


 ……ドズバァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!


 キャノタウロスは額をカチ割られて真っ二つになり、血煙とともに消え去った。

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