16-2

 混乱していると、グレイはためらいながら告げた。


「……迷惑などとは、決して思っていません。むしろ……いまとなっては、幸運だったのではないかと思ってしまったほどです」


 ぽつりとこぼされた言葉に、フォシアはえ、と短く声をあげた。


「――私はただ、ヴィートに協力し、エイブラの横暴をはねのけるために呼ばれました。むろん、自分も理解し納得してそうしました。ゆえに、これを理由や武器にして何かを求めようというのは間違っている。このことによってあなたは拒みにくい立場に置かれたのですから」


 言って、グレイは色の薄い唇に自嘲めいた微笑を浮かべた。


「しかしこんな状況にならなければ、私は一生あなたと知り合うことはなかったでしょう。たとえ知り合ったとしても、礼節を保って何の問題もない、関係でいられたはずだ。……そんなことを考えてしまうようになりました」

 

 フォシアは目を瞠った。息を飲む。

 ――とたん、心臓が跳ねた。

 鼓動がたちまち速まってゆく。


 ――幸運。適切な関係。

 グレイは、何を言おうとしているのだろう。


「あなたは、あなたの美しさに吸い寄せられる異性に失望している。私はそういった美醜にあまり興味がない。異性に対して特別な興味を持ったこともない。だから問題なく適切な関係を保てる……そう思っていました」


 何かを強く抑えているような、静かな響き。

 だがそれが、フォシアの胸を打った。とっさに手で抑えた。そうしなければ、急かすように早く大きく鳴る鼓動が、グレイに聞こえてしまうのではないかと思ったから。


 光を浴びて明るく、銀に似てきらめく瞳がフォシアを真っ直ぐに見た。


「――けれど私は、いつの間にか関係を望んでいる自分に気づきました」


 これまでのように率直に、だがそれ以上に強さを感じる声で、グレイは言った。

 フォシアは息を止めた。

 ふいに強い陽射しに目が眩んだように、目眩がした。

 頬が熱かった。唇がかすかに震えたのは、言葉にならないものが衝き上げてきたからだった。ただただ鼓動の音ばかりが雄弁で、頭が茹だってしまったかのようだった。


(……だから)


 ――だから、グレイは急に避けるような態度をとったのか。

【不適切な】関係を望んだから。それで、フォシアのためにと自ら遠ざかろうとしたのか。


 不器用な奴なんだと笑った、ヴィートの声が頭の隅で小さくこだました。


「……不適切なんて、言わないで、ください」


 フォシアが精一杯声を振り絞ると、グレイの目元がかすかに震えた。


『言わなきゃわからないのよ』


 姉の優しい声が、耳の奥に蘇る。

 胸の内側で心臓がうるさいくらいなのに、頭が熱くてたまらないのに、フォシアは澄んだ灰色の目から逸らせなかった。

 無機質で冷たく見えた――けれど不器用で、どこか純粋な目。


(……いつから)


 こんな気持ちが、自分の中にあったのだろう。

 自分をこんなに真っ直ぐ見る目を知らない。崇拝でも夢見心地でもない、飾らず真っ直ぐな、せつないほどに真摯な目。


「だって……それなら、私の気持ちだってです」


 思いが喉をついてこぼれたとたん、グレイが大きく目を見開いた。

 純粋な驚きを露わにしたその顔は、少年のようだった。それがまぶしくて、胸を温かくして、フォシアをいっぱいにする。


「お互い、不適切だと思ったなら……本当は、適切と、言えるのではないでしょうか?」


 そんなことさえ言って、少し笑おうとした。

 グレイの目元が、唇がかすかに震える。

 けれど、冷たく感じられるほど整った顔が――わずかに、泣き笑いのような表情をした。


 そして次には、強い輝きを宿した目がフォシアを捉えていた。

 滑らかに、グレイは立ち上がる。フォシアははっとして、つられたように立ち上がる。


「……手を」


 グレイは短く、だがどこか恭しささえ感じて言った。

 わずかにためらいながら、フォシアは右手をそっと伸ばした。

 その指先が、大きな手に受け止められる。

 波に優しくさらわれるようにそっと手を引かれ、グレイが身を屈める。


 フォシアの手を取ったまま、もう一方の手を自分の背に回す。――まるで騎士のように。

 フォシアの指先に、淡く柔らかな感触が落ちた。


「――今度はただ私のために、あなたを守らせてください」


 厳かな、けれど熱情の滲む声。


 フォシアの体はかすかに震えた。

 ――向けられる熱情を、初めて全身で受け止めていた。


 触れあう手から生まれるものは心地良く、この場に満ちる空気さえ祝福に満ちている。

 目眩を起こすほど全身にわきあがるこの感情の名前を、もう知っていた。


「……はい。ずっと、ずっとお願いします」


 フォシアは軽やかに笑った。

 陽射しの中にその言葉が溶け、フォシアの金色の髪を輝かせる。

 目のふちから涙が一滴こぼれ落ちていったとき、陽光がそれをきらめかせた。

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