――フォシアに把握できる範囲では、少なくとも、事態は膠着しているようだった。

 実際、フォシアはただ家に閉じこもっていて、動いてくれているのはヴィートや両親たちだった。


 これ以上厄介ごとを増やさないためにも、事態が解決するまで閉じこもっているしかない。もともと、フォシアはそこまで社交的なほうではない。この外見のために意思とは関係なく持ち上げられることがあるばかりで、注目を浴びることが好きなわけではない。


 だがそれでも、数少ない知り合いとも一切接触が断たれてしまうのは辛かった。

 迷惑をかけたくないから、こちらから接触するのもはばかられる。――しかし向こうからたちのほうから接触がないのは、気を遣ってくれているからなのか。それとも他の理由があるからなのか。


 考える時間だけは飽きるほどあり、フォシアの気は塞いだ。家族や家の中の者以外と話がしたい――。

 ヴィートがとっさに心の中に浮かんで、けれどそれはもっといけないと自分を戒めた。

 ――そうして残ったのは、皮肉にもあの淡白で涼やかな目をした青年だった。


 フォシアは迷った。これまで異性に熱心に話しかけられたことはあっても、自分から話しかけたことはあまりない。

 しかも特別な用件があるわけでもない。


 なのに、あまりにも退屈で窮屈に感じる日々のせいか――フォシアは再び、自分の部屋を出て応接間に向かっていた。


 そろりと扉の隙間から覗くと、グレイ=ジョーンズは先日と同じようにソファに腰掛けて本を読んでいた。

 フォシアは緊張で少し自分の体が硬くなるのを感じた。だが、今度はなんとか勇気を振り絞った。


「……こんにちは、ジョーンズさん」


 なんとかそう声をかけると、青年はすぐに顔を上げた。相変わらず、冷静沈着そのものといった眼差しでフォシアを見る。

 そして律儀に挨拶を返した。


「こんにちは。どうかしましたか」

「……いえ……。なにか、用件があるわけではないのですが……私的なことを聞いてもよろしいですか?」


 用件という用件はなくとも、グレイと少し雑談がしたい――そのための口実はなんとか考えてきた。

 グレイは数度瞬き、かすかな、意外の念に似たものを顔によぎらせた。


「お答えできる範囲でしたら。……そのほうが好ましいというならそのままで結構ですが、こちらに座ってみてはいかがですか」


 話をするならそのほうがよいと思いますが、とグレイは淡々とした真面目な調子で言った。

 フォシアはやや慌て、かすかに頬が熱くなった。そっと話しかけるのが精一杯で、扉を少し開けて顔をのぞかせた体勢のままだったのだ。

 おずおずと部屋に入り、ためらいがちに、グレイの向かい側に座った。


「それで、私的なこととは?」


 向かい合って座る形になるなり、グレイは言った。

 フォシアは一瞬、虚を衝かれた。――これまでヴィート以外の近しい年頃の異性と相対したとき、これほど率直に本題に入ろうとする人間はいなかった。

 ヴィート以外の多くの異性は凝視の目で、あるいは雄弁な言葉でフォシアに関心があることを騒々しいぐらいに主張してきた。


「……その、ジョーンズさんはヴィートのご友人なのですよね? どのように知り合われたのですか?」


 なるべく不自然に聞こえないよう、他意はないとわかるように、フォシアは言った。

 予想しない問いであったのか、グレイがほんのわずかに目を丸くする。そしてすぐ、怜悧な表情に戻った。


「特に語るほどのものでもありませんが……。知り合ったのは八年ほど前でしょうか。狩猟会で」

「狩猟会……?」

「ええ。野の獣を狩猟する会です。狩猟といっても完全に娯楽ですが。当時、年頃の近い子供たちが集まって狩猟の手解きをされました。まあ……なかなかに気位の高い子供ばかりが集められまして」


 親の意向からして仕方のないことですが、とグレイは付け加えた。


「私も人を批評できるような立場にはなかったのですがヴィートだけは他と違って見えたのです。あの年頃にありがちな、背伸びした見栄ばかりをまとう子供達の中で、彼だけは真剣でした。でも聞いてみたところ、特別狩猟が好きなわけではないという」


 フォシアは思わず話に聞き入ってしまった。――ヴィートの知らない一面だった。

 何事につけても、ヴィートは不器用なほど真剣で真っ直ぐだというのは幼い頃から変わらないらしい。


 ふ、と怜悧な青年の口元がかすかに緩むのを、フォシアは確かに見た。


「ではなぜそこまで真剣になるのか――。異性に格好良く見られたいから、というのが理由だったのですよ。意外に思いました。ヴィートはませた子供というようには見えず、かといって大人びているわけでもなかった。聞いてみると、異性というよりただ一人の少女に好かれたいということでした」


 微笑ましいものを語るその言葉が、だがフォシアに突如鋭い痛みを与えた。

 ――ヴィートにとってたった一人の異性。それは。


「あなたの姉君、ルキア嬢です。ヴィートは非常に希有な男だ。いまとなっては笑われるような、馬鹿げたほどの一途さを持っている。その愚直さは、他にはないものです。私の目には、彼がとても珍奇な存在に見えました。そこで興味を持ってしまったのが運の尽きといいますか、気づけばこの年になっても交流があるというわけです」


 グレイの声は常より少しだけ温かく、感情の揺らぎを感じ取れた。

 だがフォシアにはそれについて考えることも、ヴィートとグレイの友情について思いを馳せることもできなかった。


 ――ずきずきとした鈍い痛みが、胸に確かにあった。

 目を背けても押し込めても、痛みがあることを無視することはできない。


 グレイの言葉にまともに返答することもできない。

 グレイの、かすかに和んでいた目がふいに冷淡さを取り戻す。その両眼はフォシアに真っ直ぐに据えられていた。


「ヴィートはとにかく一途だ。……あなたも、そう思うでしょう?」


 平板で明晰な――冷ややかにも聞こえる声が、フォシアの頬をはたく。

 一見、いかなる他意もない言葉。真っ直ぐに射抜いてくる目は、感情の温度がない、冷たく固い鉱石のようだ。


 フォシアはとっさに顔をうつむけた。どっと心臓が跳ね、鼓動がうるさく鳴りはじめる。

 ――この目の前の男に、気づかれているのだろうか。


 どくんどくんと心音が不吉に響く。ひた隠しにしてきたもの、誰にも知られていないはずのものを、この男は見抜いたとでもいうのか。


(……そんなはず、ない)


 そこまで露骨な態度は取っていない。否、そもそも何の行動も起こしてはいないのだ。――ただ、心がままならなくなるときがあるというだけだ。


 フォシアは必死に自分を取り繕い、作り慣れた、いかなる感情もない微笑で返した。


「……ええ、ヴィートはもうずっとルキアの婚約者ですから」


 そう答えると、胸がまた鈍く軋んだような気がした。

 相手にそれが伝わるはずもなく、グレイは相変わらずの淡白な調子で、お似合いの二人です、と言った。


 フォシアの口は重くなった。なぜ、この見知らぬ青年相手に雑談をしようなどと思ってしまったのだろう。いまとなって後悔が襲ってくる。


 フォシアがあからさまに口数を減らしても、グレイは気にした様子もなくかった。かわりにその冷静沈着な瞳の中で、また怜悧な光が瞬いた。


「もはや杞憂のことではありますが、一つの噂が少し心に引っかかっていました」

「……噂?」


 唐突な話題に、フォシアはにわかに反応する。

 グレイは眉一つ動かさぬままに言った。


「あなたとヴィートの噂です。ルキア嬢を捨ててあなたと婚約するのではなどという内容は、聞き捨てるには少々生々しいでしょう」


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