5-2

 そうしてその日も、ヴィートの代わりにグレイが来た。

 フォシアはまたいつものように自室にこもり、本を開いた。灰色の髪の青年とは顔を合わせず、ルキアとヴィートが帰ってくるまで待つだけの時間だった。


 途中に挟んであったしおりを持ち上げ、その頁から読もうとして、止まった。

 ――いまこのときも、応接間にいるグレイという青年は一体どうしているだろう。

 ふいにそんなことが気になってしまった。一度気にし出すと、本に意識を戻そうとしてもうまくいかない。

 あまりにも同じように閉じこもる時間が積み重なり、自分で思う以上に退屈していたのかもしれない。


 フォシアはゆっくりと立ち上がり、扉に手をかけた。鼓動が速くなりはじめ、臆病な自分が、部屋に戻ってじっとしているべきだとささやく。


(……少し、お顔を見るだけ)


 フォシアは心の中でそう言い訳して、階段を降りて応接間へ向かった。

 応接間の扉に立つと、忙しない心臓をなだめるように胸に手を当てた。ためらってから扉に手を触れさせ、少しだけ押す。

 あまり褒められたことではない――そう思いながら、ほんのわずかな隙間から、息を潜めて中を覗き込んだ。


 風景画や調度品で飾られた室内の中央に、大きなテーブルと向かい合わせに配置したソファがある。そのソファの片方に、灰色の髪の青年は一人佇んでいた。長い足を組み、片手に本を開いて目を落としている。

 何の小説だろう、とフォシアはとっさに思った。


 しばらくそのまま観察していると、グレイがふいに顔を上げた。同時にその怜悧な眼差しがフォシアを射た。


「――何か?」

「!!」


 やや冷たく聞こえるほど淡泊な声をかけられ、フォシアは飛び上がりそうになった。

 とっさに扉をしめてしまい、それが極めて無礼だというのも忘れて、どくどくと心臓が喚くままに立ち尽くしていた。


 それから少ししてようやく正気が戻ってきて、ひどくためらいながら再び扉を押した。

 おそるおそる中を覗き込むと、グレイ=ジョーンズ本人は何事もなかったかのように、座って本を読んでいた。

 フォシアはなんとか自分を奮い立たせ、声を振り絞った。


「あ、あの……」


 緊張のあまり、かすれて消え入るような声になる。だがグレイはすぐに顔を上げ、涼やかな目でフォシアを見た。


「例の件に関して、何か相談したい内容でも出てきましたか?」

「……え? い、いえ、そういうわけでは……!」


 フォシアは慌てた。例の件というものが、アイザックに関する一連の問題だと少し遅れて気づく。


「些細なことでも結構です。ヴィートに頼まれているので」


 フォシアは言葉に詰まった。グレイの真摯な態度に気まずくなる。

 ――ただ退屈で、気まぐれに覗き見しようとしていたなどととても言えない。


「……その……、ずっとご協力いただいているのに、まともにお礼も申し上げていないと思って……ごめんなさい」


 フォシアはかろうじてそんな言い訳をした。自分でも、声がひどく弱々しくなるのがわかった。


「そのようなことを気にかけていただかなくとも結構です。たとえ礼を言って頂くにしても、まだ早い。結果を出せていませんので」


 グレイは淡々とした声のままに答えた。その冷ややかにも聞こえる声と鋭い言葉がフォシアを萎縮させる。――グレイは不快に感じているのだろうか。


 少し怯えながら相手をうかがうと、だが怜悧な青年はもうフォシアのほうを見ていなかった。他人に見られていることも気にしていない様子で本を読んでいる。

 フォシアは思わず目を瞬かせた。


(――変わった人……)


 こんな反応をされるのははじめてだった。こんな――フォシアという人間のに興味を示さないのは。


 グレイの目に熱はなく、必要以上に視線を向けてくることもなければ、妙に気負ったり過剰に自信に満ちたような態度も見せない。

 ただただ淡々としている。

 フォシアという人間の外見がどうであろうが関係なく、異性であるということにすら何の感情も抱いていないというように。


 かつてない新鮮さに、フォシアははじめて好奇心を持って青年を見た。


「――ああ、なるほど」


 数拍の間のあとグレイがいきなりそうつぶやき、フォシアは慌てた。グレイを観察するような真似をしていたことに気づき、目を伏せる。


「あなたからすれば、得体の知れぬ男が頻繁に出入りするというのは不安ですね。自由に観察、吟味していただいて構いません」


 平板な声色のままグレイは言った。

 フォシアは目を丸くし、にわかに戸惑う。


「あの、ジョーンズさんを悪く捉えているというわけでは……」

「好悪の問題ではなく、ただの現状です。あなたの状況から見れば、私を警戒するのも無理はない」


 グレイはそう答え、ますますフォシアを困惑させた。

 言葉だけ考えれば、盗み見してしまったことを皮肉られているのだろうかと思ってしまう。

 だがグレイの態度にも声にも、刺々しいところや冷ややかなものは感じられない。――不審に思うのも当然だから観察すればいいなどと、自分から言い出す人間などこれまでにいなかった。

 だから、どう反応していいかわからない。


「……邪魔してしまって、ごめなさい」


 結局、フォシアはそんな言葉だけ絞り出し、逃げるように扉を閉めた。足早に自分の部屋に戻りながらも、グレイという青年をどう捉えたらいいかわからずにいた。

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