6F 騎士の卵 2

 また来やがったのかと言うような監督役のため息も、異様な体勢で構えるそれがしに向けられる奇異の目も、身を倒した先に浮かぶ光景のおかげで一斉に頭の中から吹き飛んだ。


 目前に迫る足、足、足。怪訝な表情でありながらも向けられる双眸は全てそれがしを見下ろしている。


 戦いどうこう以前の話だ。全ての足がそれがしを踏み殺そうと迫って来ているように見える。


 奥歯がカチカチと震えて噛み合わず、首から背に掛けて危険を知らせる薄気味悪い痺れが駆け抜けた。肌から浮かぶ脂汗をぬぐっている暇もない。


 恐怖だ。ただ何より恐怖が目の前にある。明確な『死』の映像が頭をよぎる。後退しようにも前に身を屈めているだけに足が下げられず、進めるのはただ前へのみ。


 自ら望み沈み込んだ死地を前に、口の端から思わず笑い声が零れ落ちた。


 ここが、これが、それがしの分水領。

 

 殴るのは痛いし、殴られるのも痛い。暴力は個人的に好きでもないのだが、強大な恐怖を前にそんな考えも踏み殺される。


 恐怖から逃げるように、後退する為に身を起こし立てば、何もこれまでと変わらない。


 何のために『見習い騎士の演習訓練』なんて全く似合わない依頼を受けたのか。その全ての答えがここにある。


 ギャル氏の隣に立つ為には、戦わねばならないということ。戦いには死が付き纏う。知識としては分かっていても、もっと生々しい現実が目の前に広がっている。


 身がすくむ。胃液が喉元に迫り上がって来る。逃げたい。『塔』の整備の仕事を受けてのんびり過ごしたい。勿論それができる立場におり、誰にも咎められもしないだろう。戦いでそれがしの力を期待している者もいない。取り止めたところで「そんなとこだろ」と笑い言われるのが関の山。


 だから……だから奥歯を噛み締めて、地面に付く手を握り締める。


 本人きっとそんな事は思っていないかもしれないが、ギャル氏には大きな借りがある。並ぶと決めたのはそれがしだから、誰に期待されなくても、それがしそれがしに期待したい。


 透明なそれがしの中にも色があると。例えなかったとしてもこれから作ればいい。


 だからこれで丁度いい。己で選んだ道がよく分かり見える。変わる事の大変さを身をもって感じられる。何もないから這いずって前に進めばいい。足を踏み締め前へと突っ込む。


 不安も、常識も、それを感じ考える頭は今は必要ではない。より大きな恐怖だ小さな恐怖を支配しろ。選んだ道の先にきっと望む『絶対』がある。


 踏み落ちされる足を転がり避け、木剣を握らぬ手で体を引き寄せ体勢を立て直し、振り落とされる木剣とは勝負をせずに去なして身に掛かる衝撃は転がる事で殺し、弱ければ踏ん張り耐える。


 戦いなんて言えたものではない。ただ攻め合う見習い騎士達と雇われ演習相手の足元を転がっているだけ。それでも────。


「そこまでッ‼︎」


 第一戦の終了を告げる濁声が鼓膜を突いた。大地に仰向けに寝転がり、広がる大空を瞳に移す。呼吸がままならず横に体を向けて小さく胃液を吐き出し、顔を上げた。


 結果は負け。でも第一戦は保った。獲得した旗を掲げていた見習い騎士はすぐに旗を元の位置に戻し、あっという間の休憩を終えて第二戦がすぐに始まる。第一戦で体力のほとんどを吐き出したそれがしは、第二戦が始まってすぐに木剣で顎をカチ上げられ、意識の場外ホームランを叩き出された。


問題もんふぁいそへがひ体力たいほくと、あと慣れですぞなへへふそ第一戦はひひっへん初めはひへて保ったおかげではおはへへ監督役はんほふはふ明日はひはも来たらはらようや言われましたしひはひ

「くふッ、クカカカカッ! クカカカカカカッ‼︎ そ、ソレガシ喋り方どうしたんだぁ? 入れ歯なくした爺さんかよ? えぇ?」

「……あほ叩かて」


 そんなにそれがしの惨状が面白いのか、ツボに入ったのか腹を抱えて笑うブル氏にジト目を送る。三日目も同様に意識を手放した後顔を合わせる羽目になったダルちゃんと同じ反応をするんじゃない。失礼じゃね? それがしの必死さが全く伝わってはくれないらしい。


 だが、地獄を前に実感を握れた。アレでいい。計算外はそれがしの体力のなさと、第一戦目で異様なそれがしの動きに慣れていなかった見習い達が第二戦ではすぐ対応して来た事だ。


 それを加味してこれから形を整えながら体力を作っていけばいいだけだ。それに、勿論分かった事もある。


 頭を前に這いつくばるように構えれば、急所である頭部が一番前に来る関係上、多くの者は頭を狙う。それで相手の狙いを絞れるが、代わりに外れた攻撃が肩や背にボコボコ当たってクソ痛い。何度か肩が脱臼したかと思った。


 そこはもう服の改造大好きなギャル氏と要相談だ。防具屋で売り子やってるしいけるだろ。


 後の問題は機動力と攻撃力であるが、それは機械人形ゴーレムの改造で埋める。そもそも戦闘で武術の達人でもない、攻撃的な神の眷属でもないそれがしが、それがしだけで勝つのは不可能だ。


 だからこそ『見習い騎士の演習訓練』であと手にするべきは、戦闘法の確立に加え、長時間その形で死なずに動けるようになる事。演習訓練中にそれがしが勝利を手にする必要はない。勝利が必要とされる本番があるとすれば、それは機械人形ゴーレムが合わさった時に。


「んでぇ? 肝心の機械人形ゴーレムの改造とやらはどうすんだぁ? 毎日フルボッコでそんな時間ねえじゃぁねえか。 考えは纏まってるんじゃなかったのかぁ? 元々その為にオレん家まで彷徨さまよって来たんだろうになぁ」

「む。そこま言うな明日あひは同志ほふひに絵を描い貰っふそすぞ!」

「何言ってんか分かんねえっ!」


 それがしが口を開けば再び笑い出すブル氏に肩を竦め、笑い声と共に差し出される酒瓶を受け取り口へと傾ける。切れた口内に酒が染み痛み、苦い顔を浮かべればまた笑われる。そのあっけらかんとした笑い声につられて笑い、酒瓶の中身を飲み干した。


 ただ、その後冒険者ギルドに帰って爆笑してくれたギャル氏、お主だけは絶許だぞ。

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