26.-①

 居間のソファに座り、ぼんやりと本を繰っていたシャラは、筆頭大臣の来訪に安堵の色を浮かべた。


 (やっと決まったか。)


 が、やって来た大臣のルミエールは、遠慮がちに扉の近くに留まり、愛想良く機嫌を伺う言葉を述べるだけで、一向に本題に入る気配が無い。


 (僕から言い出すべきなのか?)


 シャラの逡巡をルミエールは察知したらしい。


 「何か、お話しになりたいことでも?私は、これでも口が固いので通っております。お望みでしたら、誰にも言いませんよ。」


 右手の人差し指を唇に当て、小首を傾げるルミエールに、シャラは緊張を解いた。


 室内で待機していたリュークを下がらせ、2人きりになると、シャラは思うことを口にした。


 「国王様は、僕を連れて来たことを後悔しておられるのでは?」


 「えっ!?」


 ルミエールが、飛び上がらんばかりに驚く。


 「その用件で来たのではないのか?…このお城へ来て4日。一度も国王様にお会い出来ぬ。今朝もお目通りをお願いしたら、『忙しい。』と…。僕を避けておいでのようだ。ご迷惑なら遠慮は無用、僕は喜んでログレスを出て行くが。」


 「ちょ、ちょっとお待ち下さい!そんな訳ありません!」


 ルミエールは大急ぎで否定したが、直ぐに考え込んでしまった。


 「そうですねえ。シャラ様に誤解されても、仕方ないかもしれませんね。出て行きたいと言われても困りますし。…こうなったら、ていにお話しした方がよろしいかと思います。少ぅし、物語りなどしてもよろしいでしょうか?」


 立ったままでいたルミエールが、遠慮がちにソファーを指差す。


 シャラは自分の至らなさに赤面しつつ、向かいの席を勧めた。


 優しい騎士達が、アルテアに居た時と同じように接してくれるので、つい間違えてしまう。自分は既に王族では無いことに、改めて思い至る。これから独りで生きていかねばならない、というのに!



 「よっこらしょ!」と呟きながら、小さな樽のようなルミエールの体が、ボスンとソファに沈み込む。


 「ふぅ…。いや、申し訳ありません。50も過ぎると、長い時間立っているのが辛くなりまして。年は取りたくないものですな。」


 照れ臭そうにルミエールは笑った。


 シャラは飲み物を持って来ようと腰を浮かせたが、ルミエールに止められた。


 「あまりシャラ様に甘えると、陛下に𠮟られますので。」


 困ったように眉を下げながらも、まん丸の顔にふくふくとした笑みを浮かべるので、シャラもついと微笑み返した。


 「シャラ様が陛下と初めてお会いになられたのは、3歳の時でしたね。覚えていらっしゃいますか?」


 「えっ?…あ、ええ。はい。全部、はっきりと、とは言えませんが、大体のことは。」


 「そうですか。私は当時、陛下の教育係を務めておりましたが、あの時のことは、はっきり覚えておりますよ。」





 あの日。


 狩りに行くと言って出掛けた陛下…当時は、まだ王子でしたね。


 王子が、日が暮れても戻られないので、どうしたのだろう、と思いました。ですが、心配はしておりませんでした。


 フィリップ王子は、自由闊達と言いましょうか…まあ、ヤンチャな若者でして。あの頃、女子おなごにもずいぶん興味をお持ちでした。時々、気に入った女子の家に入り浸って、そのまま朝帰り…なんてこともありましたので、あの日もそうだろうと高をくくり、心配しなかったのです。


 しかし翌朝過ぎてもお戻りにならず、私は不安になりました。心当たりの女子の家を何軒か尋ねましたが、何処にもいらっしゃらない。


 さすがに青くなっていたところ、昼過ぎに、王子がヒョッコリ帰って来たのです。


 「森で落とし物を拾ったので、届けて来た。」


 悪びれもせず、王子はそう言いました。


 「すまないが、アルテア国にシャラという名の3歳になる男の子が居る。貴族の子供だと思うが、身元を確かめてくれ。」


 私は血の気が失せましたよ。


 「まさか…それを拾って、届けたのですか!? 敵国の領内に入るなど、無謀過ぎます!見つかったら、殺されますぞ!」


 しかし、王子は「そんなヘマはしない。」と、全く取りあっては下さいませんでした。





 

 アルテア国内の密偵から報告があったのは、僅か3日後のことでした。


 当時、シャラ様の誘拐・暗殺未遂事件は、アルテア国民の間でも大騒ぎになっていましたから、情報は容易く手に入りました。


 私はフィリップ王子に、シャラ様はアルテア国の王子であること。義母である王妃様の命令で、殺害目的で誘拐されたこと。誘拐された翌日、森から独りで無事に戻って来たこと。全てご報告いたしました。


 フィリップ王子は、酷くショックを受けたようでして。


 「敵の棲まう危険な城に、シャラをむざむざ帰してしまった!」と。


 それはそれは、悔しそうになさっておいででした。


 挙げ句の果てには、「シャラを取り返しに行く!」などと言い出す始末で…。


 既に王妃様が処分なされたこと、シャラ様は父王様の多大なる庇護の下、ご無事でいらっしゃることを申し上げ、何とかご納得いただきました。


 その時から、でございます。アルテア国内に潜ませた密偵の定期的な報告に、シャラ様の安否を必ず含めるようになったのは。

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