第46話 かえろう、あの子のところに

 夜。


 私と絵巻屋は千弦の病室の近くで息をひそめていた。


 化身はお留守番だ。あんなに派手な着物ではすぐに見つかってしまう。


 その点、私と絵巻屋が来ている黒の羽織は、夜の暗さに溶け込むにはちょうどよかった。


 今日、アヤシが必ずしもこの時間に来るとは限らない。


 だけど昨日この深夜に来たことを考えれば、ここで張り込むのは道理に合っていた。


 病室をうかがう絵巻屋の陰に隠れて、きゅっと身を縮こまらせる。


 今度は邪魔をしないようにしなければ。


 ……あの時は怪我をしていなかったけれど、今度は本当に傷を負ってしまうかもしれない。


 絵巻屋が怪我をするところなんて見たくない。


 さらにぎゅっと絵巻屋の後ろに体を押し込む。


 するとその時、廊下の奥からかすかな声が聞こえてきた。


 ――かえりたい……かえりたい……


 悲しそうな男性の声だ。私は絵巻屋の服の裾をくいっと引っ張った。


「絵巻屋」


 ちらりと振り返った絵巻屋に、声のするほうを指さす。


 数秒後、声の主である男性が現れ、絵巻屋にもそれが見えたようだった。


「刺激しないように」


 絵巻屋にささやかれ、私は首を縦に振る。


 男はふらふらと千弦に近づいていく。


 ――ただいま……こんどこそ一緒に……


 彼が言っている言葉を、小声で絵巻屋に伝える。


 絵巻屋はすっと目を細めた。


 千弦は目を覚ましていた。


 むくりと起き上がり、男に嬉しそうな顔を向ける。


「ああ、迎えに来てくれたんですね。どうぞ連れていってください」


 ――一緒に……こんどこそ……


「待ちなさい」


 絵巻屋は男の背後に立ち、筆を突き付ける。


 その筆先には、一枚の紙が浮いていた。


「炎、病人、かえりたい、贈り物――」


 淡々と絵巻屋は告げ、男のカタチを描いた紙を彼に向かってひゅんっと飛ばした。


「アナタのカタチは――『副葬品』」


 ごおっ!


 炎が巻き上がる音がして、直後、その場所には一人の男が現れた。


 顔に大きなやけどがあって、手には焼け焦げた指輪をしている。


 男は呆然と辺りを見て、それから千弦に視線を向けた。


「……そっか」


 ぽつりと男はつぶやく。


「君はあの子じゃないんだね」


 千弦はとてもショックを受けた顔をしたが、すぐに男へと身を乗り出した。


「ええ。でもアナタはもうモノになったの。だからこれからは、この異界で私と一緒にいられるわ。一緒に生きましょう。ね?」


 必死で千弦は主張する。


 まるで、最初から叶わないものに駄々をこねているようにも見えた。


 男は静かに首を横に振った。


「ううん、もう行かなきゃ。あの子が焼かれた炎の中に」


 千弦は泣きそうなほど大きく顔を引きつらせる。 


「僕にとってはそれが一番なんだ」


 男は優しく、穏やかに、千弦に笑いかけた。


「ごめんね」


 ごおおっと、男が現れたときと同じ音がして、彼の姿は炎へと包まれる。


 千弦が何か叫びながら、必死に手を伸ばす。


 燃え盛る炎の中で砕けていく彼の顔は、とてもとても満足そうだった。


 やがて炎は跡形もなくなり、病室の中の何一つ燃やすことなく彼は姿を消した。


「ああ、あああ……」


 半分だけ伸ばされた腕をぱたりと落とし、千弦は絶望の声を上げる。


 私たちは何の言葉をかけることもできないまま、それを見つめることしかできなかった。


 千弦はしばらくぼろぼろと涙をこぼしていたが、大きくしゃくりあげた後、絵巻屋のことをキッとにらみつけた。


「……なんてことをしてくれたの」


 恐ろしい声だった。とても低くて憎悪に満ちた声だった。


 私は小さく悲鳴を上げて、絵巻屋の陰に隠れる。


「あなたの筆が何を生み出せるっていうのよ」


 千弦はさらに顔をゆがめてまくしたてる。


 それを受け取る絵巻屋の表情は変わらない。


 彼女は大きく息を吸い込んだ。


「絵巻屋の筆なんて、モノを縛り付けるだけのものじゃない! カタチを描かなければ私たちは幸せだったのに!」


 私はかーっと頭に熱いものが上り、思わず絵巻屋の前に飛び出した。


「絵巻屋にそんなこと言うなます!」


 自分が出せる限界まで叫んで、千弦をにらみつける。


 千弦はそんな私の視線を受けて体をよろめかせ、また布団に顔をうずめて泣き出した。


 私は、はぁはぁと息を荒げながらそれを見て、それからちらりと絵巻屋を振り返る。


 気のせいか、また絵巻屋の顔に黒いもやがかかったように見えた。


「……行きましょう、写見。私たちにできることはありません」


 一瞬で霧散したもやの向こうから絵巻屋の仏頂面が現れる。


 私はうつむきがちにこくりとうなずいた。




 院長に挨拶をして、私たちは帰途につく。


 帰り道、前を歩く絵巻屋に私は小さく尋ねていた。


「アイツ、現世で燃やされたのがそんなに大事なことだったますか」


 せっかくモノになったのに、燃えて消えることを選んだ男。


 自分を想う相手を振り払ってまで、燃えてしまいたかった男。


 彼は『副葬品』。


 きっと誰かが、彼という贈り物を大切な人の棺桶に入れたんだろう。


 心の中に暗いものがぐるぐるして、私は地面を見つめることしかできなかった。


「……燃やされたことも含めて、彼のカタチだったのですよ」


 絵巻屋も、こころなしかいつもより小さな声で答える。


「どんなにひどい過去でも、それを経なければ彼は彼ではなかったのですから」


 視線を上げて、絵巻屋を見る。


 だけどその意味を飲み込めなくて、私はまた地面を見た。


「よくわからないます」


 ぽつりと言う。


 私はぎゅっと手を握りこみ、彼の顔を思い出した。


「でも燃えるとき、嬉しそうだったます」


 本当に満足そうに消えていった彼。


 唇をきゅっとした後、絵巻屋に言った。


「絵巻屋がアイツを描いたのは、間違いじゃないと思うます」


 絵巻屋はすぐに答えなかった。


 そして、まるで私の言葉が聞こえていなかったかのような長い沈黙。


 しばらく私たちの足音だけが響いた後、絵巻屋は口を開いた。


「……ありがとうございます」


 私は唇を震わせ、すぐに閉じる。


 ちゃんと返事をされたのに、なぜか絵巻屋に届いていない気がする。


 だけど、それ以上私は何も言えなかった。

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