第39話 誘蛾灯
ぴかぴか、ちかちか。
もう日も暮れてしばらく経つのに、異界の街は華やかに照らされていた。
いたるところにのぼりが建てられ、提灯が揺れ、呼び込みの声が響いている。
道の両脇にずらりと並ぶ出店からは美味しそうな匂いがただよってきて、珍しいきらきらを売っているお店もある。
私はそんなお店の間を、提灯を構えてぱたぱたと走り回っていた。
「こっちますよ。お祭りはこっちます」
*
「いいですか。今夜、関所の扉を開きます。そうすれば現世からあぶれてきたなり損ない――虫たちが入ってきます」
「ふむ」
「ちゃんと返事をなさい」
「はいます」
「よろしい。……虫たちはお祭りの騒がしさに寄っていきます。それらをまとめて龍神様たちが常夜の国へと送るのがこの虫送りの流れです。わかりましたね?」
「わかったます」
「アナタの仕事は彼らが迷わないようにお祭りに引きつけること。この提灯を持ってあちこちを歩き回りなさい」
「はいます」
「太鼓が三つ鳴ったら百鬼夜行が始まりますからね。それまでしっかりとお役目を果たしなさい」
「任せろ」
「敬語が取れています」
「任せろます」
「よろしい」
*
提灯を掲げながらいろいろな場所を歩き回る。
街をとことこ歩くと、視界の端にちらちらと動く黒色がある気がする。
きっとあの子たちがアヤシにもなれなかった虫たちなのだろう。
虫たちは私が動き回れば動き回るほど、提灯につられて明るい通りへと引き寄せられているようだった。
よかった。私はちゃんとお役目を果たせているようだ。
ふうと息を吐いて休憩する。
……それにしても。
お腹がぐうっと鳴る。
いい匂いが漂ってくる。
……いやだめだ。私はちゃんと使命をまっとうしなければ。
「やあ、見習いのお嬢さん。おだんごでも食べていくかい?」
「たべるますっ」
私はバッと振り返って、屋台に駆け寄った。
「あらぁ、お嬢さんはお祭り初めて?」
「初めてます」
「そうかそうか。ほら、これもお食べ」
「おいしいます」
「髪飾りあげるわね。きらきらよ」
「ありがとうます」
「ほらほらこっちもお食べなさい」
「もぐもぐますっ」
「見てごらん、珍しい色砂糖を使った綿飴だよ!」
「すごいますっ!」
ハッと気づいた時には、私は至る所でもらってきたお祭りの荷物でいっぱいになっていた。
しまった。ついお仕事を放棄してしまっていた。
慌てて提灯を持ち上げて覗き込む。すると、提灯にたくさんついていた黒色たちが、ぶわっと舞い上がった。
黒色から出てきた子供たちが、私が食べたおいしいものを片手にお祭りへと駆け込んでいく。
よかった。虫たちも楽しんでくれたみたいだ。
ほこほこした気分になりながら、もう一度お祭りを巡りはじめる。
「お祭りはこっちますよー、行列はこっちますよー」
提灯を片手に屋台の合間を歩いていく。
この辺りは結構人通りが多い。
人がたくさんいると迷子になる子も多そうだ。
「ついてきてくるますー」
ふらふらと提灯を振ると、黒色が集まっては消えていく。
――その時、視界の端に黒い人影が通った。
「え」
振り返ってその人物を目で追う。見覚えのある男性の横顔だ。目元がふにゃっとしていて、だけど体はがっしりしている。
心臓が跳ね上がる。なぜかはわからないけれど、胸の中がざわざわする。
思わず足が動く。手にしていた提灯が揺れる。彼の姿が人ごみに隠される。
「おにいさん」
いつの間にか口に出ていたその名前に驚いて、口元を押さえる。もう一度顔を上げたときには、彼の姿はなかった。
でもダメだ。追いかけないと。
そんな正体不明の焦りに突き動かされて、私はほとんど転ぶようにして走り始めた。
雑踏。
すれ違う人。
人、人、人。
でも彼の姿はない。
黒い影が視界の端にちらつき、振り向く。
彼の洋服が見えた気がする。
追いかける。
人にぶつかる。
謝りながら進む。
どこにもいない。
ダメだ。見失っちゃダメだ。
足を動かす。
息が切れる。
そうだ。私には走り続ける力なんてない。
どうしてそう思ったんだっけ。
また視界に何かがちらつく。
振り返る。
そこにあったのは、露店に吊られた一枚の鏡。
鏡の中で彼の姿が通り過ぎていった。
振り向いても誰もいない。
息を切らしながら立ちすくむ。
鏡に向き直る。
鏡に私が映る。
じりっと、何かが焦げるような感覚がした。
暗い、暗い、部屋。
ちらちらと揺れるろうそく。
私は手元の鏡をのぞき込んでいる。
そこに映っているのは、きれいな化粧をしてきらきらとした飾りをつけた少女だ。
「これは神様の鏡です。ここに神様が映るんです」
私は目の前の誰かに告げる。
問われたから、教えられたとおりに。
だけど、彼は私の前にしゃがみこみ、私の頬に触れた。
「それはただ君の姿を反射しているだけだよ」
触れた感覚があまりに温かくて、思わず彼を見上げる。
ふにゃっとした目元が、しっかりと私を見ている。
「神様は映っていない」
そうだ。彼は。
初めて、私をまっすぐ見てくれたおとなのひと。
――ドン! ドンドン!!
遠くで鳴った太鼓の音に、肩を跳ねさせる。
周りの人々はそちらを振り返っている。
お祭りのいたるところにいた黒色がふわりと浮かび、太鼓へと引き寄せられていく。
百鬼夜行の始まりだ。
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