第36話 龍神様
絵巻屋の後ろについて歩き出そうとすると、化身はいつも通りやってきて自分の手を差し出してきた。
「ハイ、お嬢さん」
自分よりも大きい、大人の手。いつもなら袖を掴んでいたところだ。
でも大丈夫。私はもう、怖くない。
ちょっと震える手を伸ばし、化身の手をきゅっと握る。
化身は目をちょっと見開いた。
「!」
「化身の手、ひんやりしてるますな」
まだ手は震えている。それをごまかすようにそう言うと、化身はへにゃっと笑った。
「山は危ないから、離さないでネェ」
「…………二人とも、そろそろ行きますよ」
ぎゅっぎゅっと確かめ合うように手を握る私たちを、絵巻屋は立ち止まって待ってくれていたようだった。
「はいますっ」
「ハイハァイ」
私にしては元気に返事をして、ゆっくり歩く絵巻屋の後ろをてこてことついていく。
街の大通りをずっと下って、さらに行った先にたどり着いたのは、店からも見えていた小高い山だった。
山道に入りながら私は化身に尋ねる。
「ここで先導役というのを作るます?」
「ソ。行列の一番前を歩く人形を作るんダ」
頭の中に、かわいいぬいぐるみが行列の先頭に立って歩いている図が浮かんだ。
私はこくりとうなずく。
「虫はその人形について常夜に行くんだな」
「ン。そういうコト」
「どんな人形を作るます?」
足元にちょっとした段差があって、化身は「ヨイショ」っと私の腕を引っ張って持ち上げてくれた。
「ありがとます」
「どういたしましテー」
にこにこ笑いながら化身は言う。
すると、私たちに背中を向けたままだった絵巻屋が、私の問いに答えてくれた。
「人形に必要なのは、灯りと供え物です」
「供え物」
その単語に、こめかみあたりがぴくっと痛む気がした。
何だろう。なんだか触ってはいけないものに触ってしまった気がする。
ざわざわとするその違和感に気を取られそうになっていると、ぶっきらぼうに絵巻屋が告げた。
「アナタの好きなお団子ですよ」
「!」
ぴょんっと脳内がそちらに切り替わる。
「灯りと人形は私たちが作ります。見習いのアナタはお団子を作りなさい」
淡々と告げる絵巻屋に、私はもこもこと喜びが膨れ上がっていくのを感じていた。
「おだんごを自分で作れるますか……!」
「アナタのためのものではありませんよ」
がーんっと全身に電流が走る。
思わずふらついてしまうのを慌てて化身が支えた。
絵巻屋はちらりと振り返ると、呆れた様子で言った。
「余ったのなら存分に食べるとよろしいでしょう」
「!!!」
一気に喜びが復活し、私は飛び跳ねるようにこくこくと首を縦に振った。
「おだんご食べるます!」
「アハハ、作りに行くんだヨォ」
ほのぼのとした空気で歩いていく。
私は内心むふむふとしながら足を動かしていたが、突然頭上に影が差してびくっと立ち止まった。
「おやぁ、美味しそうなにおいがするぞ」
ねっとりとまとわりつくような声だった。
なんだか聞き覚えがある。
おそるおそる見上げると、ぞわぞわと小さな蛇を纏った男性が枝の上からこちらを見下ろしていた。
「こんにちは。相変わらず美味しそうだね、お嬢さん」
ひっ、とほとんど声にならない悲鳴が喉から出た。
蛇の絵をつけた男。絵巻屋に『うわばみ』と呼ばれていた男だ。
うわばみはまるで本物の蛇のようににゅるっと枝から体を伸ばすと、その細くて長い舌で私の頬を舐めた。
「生贄というのは本当に良い匂いだ」
「ぁ、う……」
体が動かない。汗が一滴肌につたう。
「うわばみの御仁」
まるで貫くような声色で、絵巻屋が彼の名前を呼んだ。
動けないまま視線を動かしてそちらを見ると、絵巻屋が筆を構えてうわばみへと向けているのが見えた。
「この子は、私の弟子です」
「ああ、分かっているとも。食べたりはしないよ」
うわばみはするっと私から離れると、元来たように枝の上へと戻っていった。
そのまま木の上で昼寝をするような姿勢を取り始める彼を呆気に取られて見ていると、ぐいっと化身が私の手を引っ張った。
「行くヨ……!」
こくこくとうなずいて、小走りで彼に従う。
絵巻屋は後ろでしばらくうわばみを警戒していたようだったが、彼が見えなくなったあたりで軽く息を吐いて私たちの前に戻って来た。
「写見」
「は、はいます」
「このあたりの山には神様が何柱もお住みです」
「!?」
驚いてまた体がこわばる。
「神様、ますか」
その単語のせいで生贄という言葉へと頭が飛んでしまう。
もしかして、この山に私が捧げられた神様がいるのだろうか。
「おそらくここにはいませんよ」
「!」
まるで私の心を読んだかのような言葉に、私は目をぱちぱちとさせる。
「この山の神々には、すでにアナタのことを尋ねてあるのです。ですが、ここには心当たりのある神様はいませんでした」
私はちょっと黙った後、二人に気づかれないように小さくため息を吐いた。
よかった。
今は生贄についてなんて、考えたくないから。
「この山の神様ってどんな人なのます?」
話をそらすように絵巻屋に尋ねる。
「……神とは信仰を集めた不死なるモノのことです」
「信仰?」
「簡単に言えば……人々に尊敬されて、大事にされて、貢物をもらうような存在ということですね」
いまいち理解が追いつかず、首をひねる。
それは、ただのモノとどこが違うのだろうか。
「神は信仰がある限り滅びることはありません。それゆえに、普通のモノと価値観が違う方々が多いのですよ」
絵巻屋の補足に、わかったようなわからなかったような気分になる。
彼は歩みを止めないまま、重々しく私に告げた。
「神様には注意しなさい」
びくっと肩が揺れる。
「アナタは彼らにとって美味しそうなのだから、油断したら食べられてしまうかもしれませんよ」
ぶるりと震えがこみあげてきて、私はぎゅっと化身の手を握り締めた。
「大丈夫ダヨォ。お兄ちゃんたちが守ってあげるからネェ」
「その『お兄ちゃん』という呼び名に私を含めるのはやめてもらえませんか」
文句を言いながらも歩みを進め、石段を登り終わると、そこには立派な神社が建っていた。
「ここにいらっしゃるのは、この山で一番力が強い龍神様です」
力が強いというのは私にもわかる。
神社の前にいるだけなのに、びりびりとした何かが肌に伝わってきていた。
絵巻屋は振り返り、軽く私を睨みつけた。
「くれぐれも、失礼のないように」
「は、はいますっ」
絵巻屋はそのまま神社の人と話をして、神社の中へと入っていく。
私は緊張でがちがちになりながら、その後を追いかけるしかなかった。
唯一の救いは、私の手を掴んでくれている化身の存在だ。
しかし、ある部屋の前にたどりつくと、絵巻屋はその場に正座で腰かけ、化身も私の手を離してほとんど座るような姿勢になってしまった。
握る手がなくなってしまった私は、ちょっとあわあわした後に、二人のように正座をする。
控えていた神社の人が、引き戸をすっと開け、私たちはその場で軽く一礼をした後、部屋の中に入っていった。
私はがたがた体を震わせながら、その部屋の中を見る。
部屋には十人ぐらいの人がすでにいて、私たちに振り向いていた。
私は思わず化身に体を寄せて、小声でささやいた。
「ぜ、全員神様ますか」
「ほとんどそうだネェ」
化身も小声で答えてくれる。
絵巻屋はしずしずと彼らの前へと出ると、その奥にいる人物に深く頭を下げた。
「ご無沙汰しております。龍神様」
私はハッとする。
あの人が偉い人だ。違う。偉い神様だ。
化身が私の服を引っ張る。私は慌ててその隣に行って腰かけた。
「息災のようで安心したぞ、絵巻屋」
龍神様はそう答える。
しかしそれから、痛いほどの沈黙が流れた。
私は床の木目をじっと見つめていた。
体の震えが止まらない。緊張で頭がぐちゃぐちゃだ。早くここから出ていきたい。
「絵巻屋」
「はい」
「その幼子が其方の弟子か」
びくぅっと肩が震える。
顔を上げられない。
隣の化身が腕を小突いてきた。
「ホラ、あいさつしテッ」
私は喉がからからになってつっかえそうになりながら、最大限の敬意を持って、龍神様にあいさつをした。
「こ、こんにちは、ます」
前に座っている絵巻屋の肩がぴくっと動いた気がした。
しまった。間違えただろうか。
「……ほう」
感心するような声がした。
視線がうろうろとさまよう。
どうしよう、どうしよう。
なんとか謝らないと。
だが、龍神様は続けてとんでもないことを言いだした。
「絵巻屋の弟子よ」
「は、はい、ますっ!」
「こちらに来るがいい」
私はきょとんと目を見開き、自分を指さしながら龍神様を見た。
「わ、わた、私ますか」
「そうだ、其方だ。こちらに来るがいい」
私はきょろきょろと周りを見た。
皆、私に視線を向けているようだ。
だめだ。本当に行かなければいかないらしい。
私は固まった関節をなんとか動かして立ち上がると、がちがちになって龍神様の前へと歩いていった。
絵巻屋の横へとなんとかたどり着き、座ろうとする。
しかし、龍神様はさらに私を手招いた。
「もっとこちらへ」
「は、は、はいっ、ますっ」
がくがくになりながら龍神様に近付く。
そして、招かれるままにそのすぐ前へとたどりついて、固まった体でおぼつかなく腰かけた。
「どれ」
龍神様は私に手を伸ばす。
私は、ぎゅっときつく目を閉じた。
しかし、頭に触れたのは、思いのほか優しい感触だった。
「よしよし、愛い子じゃ」
体から急に力が抜けて、きょとんとする。
何度も目をぱちぱちとさせた後、龍神様を見た。
遠くから見たときは怖い神様だと思ったのに、近くで見ると普通の優しそうなおじいさんだ。
私はちょっと落ち着いた気分でこてんと首をかしげた。
「食べたり、しないますか?」
すると、龍神様は愉快そうに口を開けて笑った。
「ははは、食べたりなどせぬよ。確かにお前は美味しそうだが、あんなに良い蛇を描ける子を易々と食うものか」
「?」
よくわからなくて首を逆側にかしげる。
龍神様は目を優しく細めて私に言った。
「少し前に、蛇で虹をかけた子だろう?」
「!」
花嫁行列の時の話だ。
たしかにあの時、私はにょろにょろっと蛇を描いていた。
私は意外な気分になって龍神様に尋ねた。
「知ってたますか」
「蛇は儂の眷属でもあるからのう。消える前にあの蛇は儂のところに来て、己がどれだけ望まれて描かれたのか教えてくれたものよ」
龍神のおじいさんは真っ白な髭を何度も撫でながら答える。
そしてもう一度私に手を伸ばすと、何度も頭をよしよしと撫でてきた。
「愛いのう、よき絵を描く子じゃ」
優しい手だ。
触られているだけで、本当に心の底から褒められているのだとわかって、わたしは内心むふふっと嬉しくなっていった。
龍神様は機嫌がよさそうに、絵巻屋のほうへと視線を向けた。
「絵巻屋よ。いい弟子を取ったのう」
「ありがとうございます」
振り返ると、絵巻屋は相変わらず頭を下げていた。
でも何故か、その姿がちょっと嬉しそうに見えた。
龍神様は「はっはっは!」と笑うと、大声で部屋の神様たちに宣言した。
「さあ、今年の虫送りもいい祭りにしようではないか。迷える虫たちを盛大に送ってやらねばな!」
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