第六章 アナタの背中

第28話 文字の書き方

 いつも通り布を敷いて、紙を置いて、いつもとは違う顔で私は筆を構えていた。


 隣に置いてあるのは破れかけた紙。そして、そこに書かれている「えまきや」という文字だ。


 筆をすずりにちょんちょんと当てて、紙へと持ち上げる。


 巻物を抱えた化身がふわふわと飛んで、こちらを覗き込んできた。


「何してるノ、お嬢さン?」


「張り紙ます」


 紙に墨を押し付けながら答える。


「外の張り紙が破れていたから、書き直すます」


 お手本通りにぐりぐりと動かす。こうやって文字を書くぐらいなら私にもできる。


「ぱぱっと終わらせて、お前の手伝いに戻るます」


 何しろ絵を描くのではないのだ。そんなに真剣にやらなくてもいいだろう。


 私は、横に置いた文字通りにぐいっと筆を曲げる。


「そっかァ。頑張るんダヨォ」


 柔らかい声で化身は言うと、ぷかぷかと浮かびながら絵巻屋のほうへと行ってしまった。


「絵巻屋ァ、この巻物はどこに置けばいいんだイ?」


 遠ざかっていく彼の声を聞きながら、最後の一文字に取り掛かる。


 簡単なものだ。これぐらい気軽なものなら、余裕というやつだ。


「できたます」


 完成した張り紙を持ち上げ、一つうなずく。


 そしてそれを持って、いつも通りの場所に座る絵巻屋へと歩み寄った。


「絵巻屋」


 声をかけると絵巻屋はこちらに視線だけをよこした。


 ぐいっと張り紙を押し付けると、ぶっきらぼうな顔でそれを受け取る。


 そして、まるで目が悪い人のように顔をしかめて紙を遠ざけたり近づけたりした。


「……読めない」


 ぼそりと絵巻屋は言う。


 私は内心がーんっと衝撃を受けた。


 絵巻屋は張り紙から顔を上げると、私を剣呑な目で睨みつけてきた。


「写見。もう少し丁寧に――いえ」


 こちらに膝を向け、絵巻屋は私を見下ろしてくる。


「アナタ、本当に文字の形を正しく知っていますか?」


 目を見開き、きょとんとする。


「間違ってたますか」


「ええ。大間違いです」


 絵巻屋は私の前に張り紙をかかげると、自分の筆の柄でとんとんと文字を叩いた。


「『え』と『や』は形がつぶれてしまっていますし、『ま』と『き』にいたってはそもそも下半分が逆です。これでは使い物になりません」


 ぱくぱくと口を開け閉めして、私はそれを聞く。


 そんな。文字を書くぐらい私にもできると思っていたのに。


「文字は相手に意味を与えるもの。正しく書くように」


 張り紙を突き返され、しょんぼりと肩を落とす。


 てっきり、絵ではないから簡単だと思っていた。本当に形を真似するだけだと思っていたのに。


 意味を与えるもの。そう言われて初めて、文字への考え方が揺らいだ気がした。


 私はうんと考えて、絵巻屋に尋ねた。


「絵巻屋。文字は大切なものか?」


「敬語」


「大切なものますか」


 訂正されて、言い直す。


 絵巻屋は机に向き直ろうとしていた絵巻屋は、私を見下ろして宣告する。


「ええ。大切ですよ」


 ぱちぱちと瞬きをしながら私はそれを聞く。


 絵巻屋は筆を動かすと、しゅるっと宙に何かの漢字を書いてみせた。


「特に、私が名付けに使う『漢字』というものは、本来『絵』からきているのです」


「『絵』を?」


「私は『絵』を描くのと同じように文字を書いていますよ」


 そう言うと、絵巻屋は今度こそ机に向き直ってしまった。


 私は今言われた言葉をゆっくりと噛みしめ、身を乗り出して絵巻屋に尋ねる。


「文字を書くのは絵を描くのと同じますか」


「ええ。同じですよ」


「じゃあ文字がわかるようになれば、『絵』もうまくなるますか」


 畳みかけるように尋ねると、絵巻屋はこちらを見ないまま答えた。


「多少はそうなのではないでしょうかね」


「!」


 文字がそんなに大切なものだなんて知らなかった。


 だったら、本気で取り組まなければ。


 私は気合を入れて、大きくうなずいた。


「勉強するます」


 絵巻屋はそんな私を横目でちらりと見た後、腰を持ち上げて立ち上がった。


 慌てて私もその後を追う。


「どこに行く」


「敬語」


「行くます」


 草履を履きながら絵巻屋は答える。


「霧タバコを調達しに行きます」


 私はその背中を見て、足を踏み出せなくなっていた。


 この前、影踏み鬼のアヤシの一件で、私は一緒に連れていってもらえなかった。


 あの時のことが思い出されて、体がしり込みしてしまっている。


 絵巻屋はそんな私に背を向けたまま言った。


「アナタも来なさい」


「!」


「次からはアナタ一人で行ってもらいますので、しっかりと道を覚えるように」


 そのまますたすたと外に向かってしまう絵巻屋を慌てて追いかける。


 ふわっとやってきた化身が私に話しかけてきた。


「今度はおつかいってことダネェ。できるカイ?」


 私は誇らしい気分がじわじわと生まれながら、力強く頷いた。


「任せろます」

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