第266話-記念すべき1ページ目

 お母さんがそっとドンちゃんの背中を撫でてくれます。

「迷惑なんかじゃないわよ」

 そう声をかけられても、ドンちゃんのお耳は垂れたままでした。


「ねえ、ドンちゃん、たくさんの人に助けてもらいなさい」

「う、うん。でも、みんなだって、お母さんだって忙しい時があるし」

「わたし?」

「うん。さっきだって山ほどの枯れ草を何かしていたでしょ?」

「ああ、あれ?」

 お母さんは、一瞬目を丸くした後、ポンと前足を叩きました。

「あれはね、ノラクロバーの枯れ草よ。あなたの赤ちゃんのためのおくるみ用のね」

「おくるみ?」

 今度はドンちゃんが目を丸くする番でした。

「あのね、ノラウサギの家庭では、赤ちゃんを迎える親の上の世代が、おくるみを作ってあげるのよ」

 お母さんが優しくドンちゃんにお話ししてくれます。

「お母さんになる時は色々と大変でしょう?気持ちも体も不安定だし。赤ちゃんのおくるみを作る時間がなかなか取れないものなのよ」

 そしてお母さんは嬉しそうに微笑みました。

「家に伝わる子育て本は無いけれど、こうして自分が覚えていることをあなたのためにやってあげることはできるわ」

「でも、あたしが赤ちゃんだった時のおくるみって無いよね?」

 ドンちゃんが首をかしげました。そんな素敵な物なら、きっと今でも残っているはずです。でも、ドンちゃんは今までに自分が使っていたっていうおくるみを見たことがありませんでした。だから、そんな習慣のことも全然知らなかったのです。


「ドンちゃんが出来た時にはね、ドンちゃんのおばあちゃんが編んでくれていたの。でも、ノーランドから逃げ出す時の混乱で、それを受け取ることが出来なかったのよ」

 お母さんがちょっと寂しそうな顔をしながら教えてくれました。それから今度は明るく微笑みます。

「ねえ、ドンちゃん、わたし、とても幸せなのよ。こうしてあなたの赤ちゃんのためにおくるみを作れることがとても幸せ」


 お母さんお話を聞いたマグノラさんがにっこり微笑み、ゆっくり尻尾を振ると、辺りを優しく甘い香りが包みました。その香りをかいでいるうちに、ドンちゃんの心の中にも、ゆっくりと優しい気持ちが広がっていきました。優しい香りの中で、お母さんがドンちゃんに話しかけます。

「赤ちゃんにはね、お母さんとお父さんの、それからまわりにいるみんなの笑顔が必要なのよ」

 そういって黒ドラちゃん、モッチ、食いしん坊んを優しく見回します。お母さんは、食いしん坊さんに向き直るとドンちゃんにお話しするときのように優しく話しかけました。

「食いしん坊さんのおばあさまが、子育て本と一緒に、たくさんのノラクローバーを袋に詰めて送ってくださったの。ノラクローバーの枯れ草で作ったおくるみは、ノラウサギの赤ちゃんを健やかに育てるのにとても役に立つのよ」

「おばあさまが。全く知りませんでした。わたしは先日のお助け本のお礼もろくにしていなかった……」


 うなだれる食いしん坊さんに、お母さんが思い出したように「そうそう、これ!」と何かを差し出しました。

「王宮から来た子育て本に挟まっていたんじゃないかしら。森に落ちていたんですって。さっき、魔リスさんが拾って、ノラクローバーのにおいがするからって私のところへ届けてくれたの」


 それは封筒に入ったお手紙でした。あて名は食いしん坊さん、差出人はノーランドの王宮の森のグィン・シーヴォ2世、つまりお父さんです。

「父上から?……いや、中の手紙自体はおばあさまと母上からだな」

 食いしん坊さんがお手紙を読み始めます。ドンちゃんにも伝えるようにと書かれていたということで、声に出して読み始めました。




 『可愛いおちびちゃん、いえ、もうおチビちゃんではないわね。父親になるのだものね』


「こほんっ、これはおばあさまですな。ええと、続きは……」


 『グィン・シーヴォの家に伝わる子育て本を、あなたがたに贈ることができることを幸せに思います』


「おばあさま……」


 『とはいえ、子育て本は、その時その時でどんどん内容が変わります。これには一番正しいことが書いてあるというよりも、各世代の子育て日記のようなもの。愚痴や後悔、我が子可愛さの自慢話が書いてあると思ってくれれば良いの』


「日記ですと~~~っ、あれは叡智の塊では!?」


 『あなたとドンちゃんには、私たちの時とはまた違う子育てが待っているでしょう。戸惑ったり、迷ったり、時には間違ったりしながら、逃げずに子育てと向き合うことが、一番大切なの』


「母上……」


 『子育てと向き合うことは、それまでの自分自身やまわりのみんなと向き合うこと。これからの自分と向き合うこと』

 読み上げる食いしん坊さんの声が震えます。

 『辛いな、悲しいな、どうして?と思うこともあるでしょう。そういう時こそこの本を読んでみて。きっとあなたと同じような気持ちになった先達がいるでしょう。そして、今度は、今のあなたの気持ちを書き込んで。それが、また後にこの本を読む世代の助けになるから』


 最後にグィン・シーヴォ2世のサインと走り書きがあります。

 『子育て中の母親というものは、子どものこととなると、とても敏感で繊細で、それでいて自分のこととなると後回しにしがちだ。よく目を配って、けれど神経質になりすぎずに支えてやること。ま、それがなかなか難しいんだがね。幸い子育ての大先輩がそばにいらっしゃる、頑張れ!息子よ』


 読み終わった食いしん坊さんは、お手紙をしばらくじっと見つめた後で元のように封筒にしまい、モフっとしたところから取り出したお助け本に丁寧に挟みました。それから、ドンちゃんのお母さんに深く深く頭を下げました。


「この本は改めて後で夫婦で読みます。そして、お母様のおっしゃってくださったこと、大切に大切に胸に刻みます」


 そして、今度はドンちゃんの前でひざまずきました。ドンちゃんの前足を握って、いつかのように真剣なまなざしで話しかけます。

「まったくもって頼りない父親だが。これからも一緒に歩んでくれるかい?」

 ドンちゃんも食いしん坊さんを見つめます。ゆっくりと前足を引いて食いしん坊さんを立ち上がらせました。

「私も、自分だけで色々考えちゃって、ぐるぐるしちゃって、食いしん坊さんにもみんなにも迷惑かけちゃった。ごめんなさい」

 そういうと、ほっとしたように微笑んで、食いしん坊さんが小脇に抱えるお助け本を前足でなでました。

「あたしと食いしん坊さんのページも増やしていこうね、いっぱいいっぱい書き込もうね!」

 ドンちゃんがそう言うと、食いしん坊さんが嬉しそうにうなずきました。今朝、あんな風にギクシャクしていたのが嘘のよう。見つめあう二匹の瞳には、優しさと愛情が満ちています。


「そうやって、何度も見つめあってお互いの気持ちを素直に言葉にして。そして進んでいくことが大切なの。ドンちゃんと食いしん坊さんがお父さんとお母さんになる生活は、もう始まっているのよ」

 お母さんの言葉に、ドンちゃんと食いしん坊さんは見つめあったままうなずきました。その様子をそばで見ていた黒ドラちゃんたちも嬉しそうです。あ、アラクネさんは、涙ぐみながらも何やら一生懸命メモってますよ?


「ねえ、さっそく今日のことも書いておけば?」

 黒ドラちゃんの言葉に、ドンちゃんと食いしん坊さんのお耳が、嬉しそうにピンっと立ちました。

「ハ二ー、我々の記念すべき1ページ目には、書くことがたくさんありそうだ」

 食いしん坊さんが片目をつむり、茶目っ気たっぷりにお助け本をポンッと叩くと、ドンちゃんも明るい声で「うん!」とこたえます。 

 気づけば、二匹のまわりにはノラウサギダンスを踊った時のようなキラキラが広がっていました。


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