第174話-『ぶぶぶぶぶ』
部屋に通されると、おかみさんはドアを少しだけ開けたまま、お茶を取りに下へと戻っていきました。年頃のグラシーナさんを、アズロの部屋に二人きりで残すので、気遣いです。
アズロはベッドの上で半身を起していました。グラシーナさんは、キーちゃんの麗しの王子様をじっくりと見つめました。今は目の下にクマを作って、少しやつれた感じになっています。クルクルしたこげ茶の巻き毛に、同じくこげ茶のひげが顔の下半分を覆っていて、ハンサムかどうか、ちょっとわかりません。
「すみません。わざわざ見舞いに時間を割いていただいて」
ヒゲもじゃアズロが頭を下げると、グラシーナさんは静かに、と身振りで示すと胸元のブローチを指でつつきました。ああ、確かブローチをつけてくれるという話だった、とアズロがブローチを見つめた時です。突然、ブローチが羽を広げました。
「!」
そして「キー!」と鳴き声を上げて飛び立つと、王子の胸元にひしっとしがみついたのです。
「こ、これは!」
「あなたを追ってこの国に来たエステンコーモリです、王子」
グラシーナさんがささやくと、アズロは顔を上げハッと目を見開きました。
「き、君は?どうして僕のこと知っているんだい!?」
「話すと長いのですが、まずはそのコーモリのキーちゃんからはちみつ玉を受け取ってあげてください」
「はちみつ玉?」
「キー」
キーちゃんが紫色の特製はちみつ玉を王子の口元へ持ってきます。
「こ、これ?食べられるの?宝飾品じゃないのか?」
「それは、古の森のクマン魔蜂が作ってくれた特製のはちみつ玉です。毒などではありませんから、ご安心を」
「いや、それは疑っていないよ。僕の方もこれでも自衛しているからね。君に害意がないことはわかってる」
なるほど、こう見えても一国の王子様です。この部屋には何かしら仕掛けがされているのかもしれません。
少しだけ躊躇した後で、王子ははちみつ玉を口に入れました。
「甘い、それにとても良い香りだ」
しばらく目を閉じてはちみつ玉を舐めていると、王子の顔色が良くなってきました。
「キー!」
キーちゃんが嬉しそうに声を上げています。
「アズール王子、今は詳しくお話しする時間がありません。あとでテルーコの店に来ていただけませんか?」
「……わかった。体調が良くなり次第伺うよ」
「ありがとうございます」
「いや、こちらこそ、助かったよ。全く皆に迷惑をかけてしまって恥ずかしい」
「そんなことおっしゃらずに。それと、そのブローチは王子がお持ちください」
「え、コーモリを?」
「ええ。その子は王子のことが心配で森を抜けて来たようです」
「そうか、お前にも迷惑かけたね……」
王子が優しくキーちゃんを撫でます。
「キー」
キーちゃんがうっとりとしています。
「それで、君は……」
王子がグラシーナに話しかけた時、おかみさんがお茶を持って部屋に入ってきました。あわててキーちゃんがキュッとブローチスタイルに戻ります。はちみつ玉の代わりに、グラシーナさんが用意しておいてくれたガラス玉をつかんで固まっています。
「あれ、アズロ、ずいぶん顔色が良くなったじゃないか!!」
「ええ、ブローチをつけてもらったら、気分が良くなってきました」
「良かった。そのブローチはしばらくお貸ししますわ」
グラシーナさんはにっこりと微笑みました。
「そりゃありがたいね。良かったねえ、アズロ」
「本当に、ありがとうございます。体調が戻ったら、改めてお礼に伺います」
「では、元気な姿でお会いできるのを楽しみにしています」
グラシーナさんが出ていくと、おかみさんがほおっとため息をつきました。
「やっぱ一流の工房で働く様な人は一流の身のこなしだねえ。綺麗だし」
その言葉にうなずきながら、アズロはそっと胸元のブローチを撫でました。
グラシーナさんはコポル工房からの返事を受け取ってテルーコさんのお店に戻りました。ゲルードには帰りの馬車の中で首尾を報告し、ついでに帽子の上で爆睡しているモッチを渡しました。実はモッチは連日の特製はちみつ玉作りで疲れ切っていたのです。
そして、お店に戻るとすぐに、テルーコさんに手紙を渡しました。テルーコさんは手紙を読むと「あいかわらずまっすぐな奴だな」と懐かしそうにつぶやきました。
用事をすべて終えると、グラシーナさんは部屋に戻りました。一人になると「はあ~~~~~っ」と思い切り息を吐き出します。そのまま、着替えもせずにベッドにバタンと倒れ込みました。
「きゃわわわっわ~~~~っ!王子様としゃべっちゃったーーーー!」
枕を抱き込んでベッドの上で悶えていましたが、急にはっと起き上りました。
「こうしちゃいられない!」
机に向かって熱心にラフ画を描きはじめます。
作戦に使用した、コポル工房との共同制作の話は、本当でした。コポル工房を見学して王子と話をした今、どんどんアイデアが湧いてきます。
やる時はやる!
閃光の細工師グラシーナは、色んな意味で燃え上がっていました。
一方、やる時はやるはずだったにも関わらず、すっかり寝落ちしてしまったモッチは、ゲルードの頭の上で絶賛へそ曲げ中でした。
「いったい何だというんですか?モッチ殿?さっきから『ぶぶぶぶぶ』と不機嫌そうに」
古の森に向かう馬車の中でゲルードが声をかけても、ろくに反応が返ってきません。
「まさかずっと寝ていたわけでもないでしょう?王子には会えたんでしょう?モッチ殿」
途端にモッチが「ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ」と怪しげな羽音を鳴らし始めました。
「!まさか、ずっと寝ていたと?」
「……ぶぶ」
ゲルードはかける言葉も出てきませんでした。頭の上のモッチをそっと手の平にのせます。
「あー、その、残念でしたな。せっかく特製のはちみつ玉も作ったのに」
「……ぶ」
「あ、でも、あのはちみつ玉のおかげで王子はかなり回復したそうですよ」
「ぶぶ!?」
「ええ。体調が回復したら、テルーコの店で会うことになっていま……」
「ぶぶ!ぶぶぶぶぶん!!」
「えっと、それはどうでしょうね、非公式ながら一国の王子をお招きするわけですから、色々と……」
「ぶ~ん、ぶいん、ぶいん?」
「ええ、もちろんモッチ殿のはちみつ玉あっての今回の作戦ですが」
「ぶぶん!」
「……わかりました。なんとかモッチ殿の参加も検討いたしましょう」
「ぶい~~~~ん!」
モッチが嬉しそうに馬車の中を飛びまわっています。
それを見ながら、ゲルードは行きの時と同じように苦笑いするのでした。
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