第十二章

「あ、あなた目を覚まして。あなた」

 そういう花江の声で源蔵は目を覚ました。ぼんやりとしていた意識が少しずつ晴れてきた源蔵は、自分が異常な状態でいることに気づいた。

 体は布団のようなクッションで何重にも巻かれすまき状態にされており、体の自由は完全に奪われ、天井からぶら下げられたロープの輪に自分の首が通されていた。足元にはイスがあり、その上でなんとかバランスを保って立っている状態だ。

 腕は柔らかいクッションで巻かれているため、動かすことはできないが縛られているような苦しい圧迫感は無い。

 ふと横を見ると、同じように、首吊り自殺をするような格好で、クッションで体をすまき状態になって立たされていた花江がいた。

 イスから滑り落ちると確実に首が吊られてしまう。

 ― 何なんだ、この状態は。ここはどこだ?

 ゆっくり周りをみると、外はまだ暗く、部屋には明かりがついている。

 目の前には玄関のドアがあり、天井からはシャンデリアがぶら下がっていた。

 ― そうか、ここは玄関前の吹き抜けの間だ。

 上を見るとロープは二階の手すりに通されて降り、下は大理石床で足元にあるイスはおそらくキッチンにあったものであろう。

 目が冴えてきた源蔵は、そこで自分と花江の後ろに二人ずつ、四人の黒ずくめの人間が立っていることにようやく気付いた。

 顔には黒い目差し帽を被っていて、源蔵と花江が倒れないように後ろから支えているようだった。

「お、お前ら、何のつもりだ」 声はなんとか出すことができた。

 声を出してみて判ったが源蔵はまだ頭がふらふらしている。

 ― 何だ、私は何か薬を飲まされたのか?

 もしかしてあのワインか。そう考えながら源蔵は静かに後ろからこちらをじっと見ている奴らを見た。男達は源蔵の言葉に何も答えない。

「誰だ! お前らは!」

 だんだん意識がはっきりしてきた源蔵は黒ずくめの奴らに向かって大声で怒鳴った。

 するとバカにしたような声で、一人の黒ずくめの男がしゃべった。

「あまり大きな声を出してバランス崩すと首吊っちゃうよ」

 そう、男だ。よく見ると四人とも男であるように見える。

「あ、あなた」

 震える声を出している花江が、源蔵に助けを求めてすがるような眼でこちら見ていた。

「大丈夫だ」

 そう気丈に答えた源蔵であったが、心臓は波打ち背中はすでに汗でぐっしょり濡れているのが分かっていた。

 内心は言い知れない恐怖で一杯であった。それでも私は河原源蔵だ。この国の外交を、この国自体を長年支えてきた男だ。政治家だって大企業の社長達だって思う通りに動かしてきたのだ、そう思い直して自らを奮い立たせた。

「もう一度聞く。お前達は誰だ。何が目的だ」

 先ほど怒鳴った声とは一変して落ち着いた、低い太い声で源蔵は男達を見回して言った。

「ほう、急に態度が変わったな。さすがは河原源蔵と言いたいところだが、自分達の状況をもう一度しっかり理解したほうがいいな。今、足もとにあるイスをこう動かすと」

 男が花江の立っているイスを少し動かすと、

「ギャッ!」

 体勢を崩した女は首に巻かれたロープに喉を絞められ、蛙が踏みつぶされたような声を出した。するとすぐに周りにいた他の男達が花江を支えなおして首が締まらないように彼女の体勢を戻した。

 ゲホッ、ゲホッと花江は苦しそうに咳をして呼吸を取り戻そうとしていた。

「や、やめろ!」

 慌てて源蔵は大声を出した。

「そうだ。とり乱すんだ。大物ぶるんじゃない。今のお前達の命は俺達の指一つで、どうともなるということを理解しろ」

 男はドスの利いた声で源蔵に言った。その恨みのこもったような恐ろしく冷めた男の声に源蔵は、再び背筋を凍らせ恐怖に慄いた。

 しばらく黙っていた源蔵だが、ずっとイスの上で立ちっぱなしで足がしびれ、痛みだす。いや、極度の緊張からか、もう体全体に痛みがまわっている。源蔵はたまらず、

「おい、私達をどうするつもりなんだ」

 今度は丁寧に落ち着いた、自然と震えた声で男達に聞いた。男達は四人いるが、先ほどから話をしているのは一人の男だけだった。四人の男の一人は背の高いがっちりした男、もう一人も背は高いが細身だ。もう一人は中肉中背といったところか。先ほどから話している男の背は中くらいだがすこしぽっちゃりしている感じだ。

「そうだな、あんまりゆっくりしているとお前達二人とも立っているのが辛くなって力尽きて自分で首を吊りかねんからな」

 そのぽっちゃりの男が口を開いた。

「俺達はお前達に確認したいことがあってここに来た。普通に聞いてもお前達は答えないだろうから手荒い真似をさせてもらった」

「確認したいことだと。なんだ」

「お前達は自分の息子、河原圭を殺した。いや実際殺したのはその弟の浩司と暴力団三人だが、お前ら二人は実の息子、長男をその弟に殺させた。そうだな」

 源蔵は男の問いに答えた。

「何を言っている。私達はそんなことをしていない。だから私は保釈されたのだ。実の息子を殺すだなんてそんなことができるはずないじゃないか」

 ― 何者なんだこいつらは。

 ― 圭のことで私達にこんな真似までしてどういうつもりだ。

 ― 俺を保釈させたことを気に入らない警察か?

 ― いや警察がこんな真似をするわけがない。

 ― こんな真似をして得する奴がいるのか? 誰だ?

 源蔵はしきりに頭の中で男達の正体を考えた。

 ― 敵対する政治家達の差し金か?

 ― そいつらが暴力団を雇ってこんなことをさせているのか?

 ― それとも俺が外交官時代の話を警察に話されては困る奴らの仕業なのか?

 疑心暗鬼に陥った源蔵は、

「お前達は誰に頼まれてこんなことをやっているんだ。私にこんなことをして何が目的だ。殺すつもりか?」

「殺すだけならさっさと殺しているさ。口封じが目的ならな」

 源蔵の考えていることを読み取っているかのような口ぶりで、男は少し笑いながら言った。

「それに今圭の殺人についてお前達が白状したからって、法的に罰せられるような証拠にはなりはしない。すまきにされて首を括られた状態で喋ったことなど、自白の証拠にはならないし、脅されて無理やり言わされたとむしろ同情されるだろうからな」

「だったら、何が目的だ」

「だから確認だと言っているだろう。お前達が圭を殺した、という確認だ。事実を知りたい、といっているのではない。俺達は知っている。あくまで確認だ」

 とぼけた口調で今度は花江に向って言った。

「そうだろ。お前は母親のくせに自分の息子を切り捨て、こともあろうか弟に殺すよう命じた。そうだな」

 突然話の矛先を自分に向けられた花江は、ちらりと源蔵の方を見た後

「わ、わたしは知りません」

 消え入りそうな小さな声で俯きながら呟いた。

「ほ~、とぼけるのか」

 もう一度花江の立っているイスを揺らした。

「ゲッ」

 また首が締まった花江は慌てて源蔵の顔を見た。

「や、やめて。私は反対したのよ! 浩司に圭を殺すように言ったのは私じゃないわ。あの人よ!」

「お、お前もあのまま圭を放って置けない、何とかしなさい、と浩司に言ったじゃないか!今更母親ぶるんじゃない!」

「おいおい、今更罪のなすりつけか。ふざけんじゃない!」

 男は源蔵に向って、怒鳴った。

「お前らは自分の身を守るためだけに長男だけでなく次男の浩司まで殺したんだろ! 自殺に見せかけて、警察に潜り込ませたお前らの仲間が殺した! そうだな!」

 そう迫る男に源蔵は居直った。

「自分達の身を守るためだけじゃない。これは我が国を守るためなんだ。お前らが何物かは知らんが、俺はずっとこの国の為に働いてきたんだ。私利私欲の為なんかじゃない。お国の為だからこそ自分の子供達を犠牲にしてでも守るものがあるんだ」

 その言葉に男は笑った。

「やはり、次男の浩司を殺したのもお国の為だってことだな」

 源蔵は一瞬言葉に詰まったが、

「お国の為だ」とだけ唸りながら言った。

 男は手を後ろに回して源蔵の周りを歩きながら、少し考えているようだった。源蔵と男が話している間は、他の黒ずくめの男達は一切動かなかった。首にロープを巻かれたまま椅子の上に立たされている源蔵の周りを一回りして男は言った。

「圭と浩司を殺したのはお前らだということは分かった。それでは一つ教えてくれ。圭と浩司が死んでお前ら二人の血を引くものはこれでいなくなったわけだが、そうなると私利私欲では無いと言いながらも、お前らが違法な取引をして一生懸命貯めた隠し財産やその秘密などは誰が相続するんだい?」

 男の言葉に源蔵は、鼻でふん、と笑った。

「だから国の為だと言っているだろ。圭も浩司も結婚していないし子供もいなかった。私達に親兄弟は誰もいない。よって私達夫婦が死ねば相続するものはいない。そういう場合は国の財産となる。そんなことは常識だ」

「ほう、そんな殊勝なことを本当に考えているのか? どこかの政治団体に寄付されるようになっていたりするんじゃないのかい? お前の息のかかった奴らに」

 そういう男に源蔵はまた馬鹿にするかのように笑った。

「はっ、何を言っている。そんなことしたらそいつらが俺の命を狙ってくるだろう。そんなバカなことを私はしない。秘密なんていうものも引き継げるものじゃない。引き継げば私が用無しになって命を狙われる。どちらにしても私が墓場にまで持っていくだけだ」

「ほう! それを聞いて安心した。では安心して死ね。お前の持っている秘密はお前の死後にゆっくり調べさせてもらう。あの山のシェルターを掘り起こして壁を破壊するのはかなり苦労するだろうからな。まあどこまで暴けるかわからんが。そして財産はしっかり俺達が後見人となってありがたく使わせてもらうとしよう」

 男は源蔵に笑い返した。

「何を言っている? お前らが後見人だと? そんなことができるわけがないだろう。それとも私に、お前らに財産を預けるという一筆でも書かせようというのか。そんなことを私がする訳がない」

「いや、一筆なんて書かなくていいよ。お前らが死んでくれさえすれば、自動的にお前らの財産は孫に相続される。俺達はその後見人だから安心しろ」

 男の言葉を源蔵はすぐに理解することができなかった。

 ― 何を言っているんだこいつは。私達の孫だと? その孫の後見人だと? しかもこいつら、なぜあの山のことを知っている?

 しばらくの沈黙の後に源蔵はやっと口を開くことができた。

「私達の孫だと? そんなものはいない。私達に子供は圭と浩司しかいない。二人とも結婚など」とまで 口に出した源蔵は顔を強張らせた。

「まさか」

 源蔵のひき吊る顔を見て男はにやりと笑った。それまで黙っていた花江は横にいる源蔵を見て尋ねた。

「何? 孫って何の話?」

「そうさ。そのまさかさ。圭に子供ができたのさ。もちろんその子供の母親とも婚姻届はフランスに逃げて殺される前に出している」

「何だと! そんなことが。そんなばかな。あの馬鹿息子はそんなことまで」

 源蔵は最後には絶句していた。

「圭に子供が? あの子が結婚していたっていうの? どこの女と結婚して子供までつくったっていうの?」

 花江は叫んだ。

「なんだ? 息子を殺しておいていまさら何を言っているんだ、お前は」

 男は花江の言葉に思わず笑った。

「知っているか? お前らの残した財産は普通子供達に相続されるが、圭と浩司が死んでいる今、相続を受ける者がいない。しかし、圭に子供がいたら別だ。胎児であっても本来相続されるべき圭の代わりにその子供が代襲相続する。これもお前の言う常識だ」

「俺達の孫がいるというのか! 俺達が知らない間に圭が結婚し、その子供までいるというのか!」

 源蔵が男に向かって怒鳴る。

「ああ、そうだ。厳密にはまだ産まれていないがな。もうすぐ産まれる予定だ。子供は調べてみたら男の子だそうだ。子供の名前は父親である圭の名前をとって圭一と名づける予定だ。まあ、今のお前らには関係ないかもしれないがな」

 男はそう言った後ほかの男に指示した。

「二人とも疲れたろ、二人に水を飲ましてやれ」

 すると二人の別の男が、台所に移動してすぐに一つずつコップに水を汲んできて戻ってきた。その流れるような自然な行動に、突然の話で頭の中が混乱し、さらに緊張で喉がカラカラだった二人は、それぞれ同時に口元に差し出された水を一口飲んだ。

 と同時に二人の体に巻かれていたロープが切断された。突然体を自由にされた源蔵は、一瞬何が起こったのかわからず呆然としたが、解放された手で、首に巻かれているロープから首を抜こうと手を伸ばした瞬間、急にのど元が熱くなった。

 ― く、苦しい! こ、これは、毒か? 

「グアッ!」と、源蔵はもだえ苦しみ、指でロープを掻きむしった。

 が、その時、体のバランスを崩した足が滑り、イスが倒れてしまった。

「ゲッ!」

 源蔵は完全にロープで首が吊られた状態になった。毒の苦しみと窒息する苦しみがまじり、源蔵は必死に首からロープを外そうともがくがはずれない。足をバタバタさせて苦しむ源蔵の視角の端に、同じく首を吊られた状態でもがく花江の姿があった。

「ガッ! グアッ!」

 二人の声にならない声が少しの間続き、そして花江が先に力尽き、その体は弛緩なくだらりとロープにぶら下がった。

 源蔵も程なく、真っ赤に充血して腫らした顔からは血と涙と涎のような水分が滴り落ち、だらり、と手を下した。

 もう死んだであろうことを確認してから、男達は先ほど二人に飲ませたコップをそれぞれ手に握らせて指紋を付けた後、そこからコップを落とした。

 落ちたコップは粉々に砕け、中の水は床に散乱した。

 床には二人の死体から噴き出た血や涎と毒入りの水が混じった血だまりが出来ていた。

「あの世で浩司と一緒に地獄を彷徨ってこい」

 男はそう吐き捨てて他の男達と一緒に姿を消した。

 

「河原様、河原様!」

 河原源蔵の担当弁護士である池田いけだが屋敷の外にある門のインターホンを何度も鳴らしていたが、応答は無い。

 彼はこの日、保釈された源蔵と今後の打ち合わせを行う予定であったが、電話をしても奥様の花江も誰も出ない。

「池田さん、どうしました?」

 振り向くと河原家に通いで来ている家政婦の本間が立っていた。本間は河原の家に二十年ほど前から家政婦として働いている。弁護士の池田のことを本間は何度も屋敷で会っているためよく知っていた。池田も本間のことをよく知っている。

「ああ、本間さん。河原様が何度呼んでも出ないのです。今日は朝九時に来るようにと言われていたのですが」

「あら。昨日旦那様が保釈されてお戻りになられて、奥様もご一緒のはずですが。私も今日は池田様が来られる九時前には来るように言われていたのですが、少し寝坊してしまいました。なぜかいつもよりぐっすりと寝てしまっていて」

 頭を傾げている本間に池田は言って早く屋敷の中に入れるようにせがんだ。。

「本間さんはこの家の鍵をお持ちですよね。開けていただけませんか。河原様が心配です。誰も出ないのはおかしい」

「鍵はもちろん持っていますよ。分かりました。早く入りましょう」

 そう言って門の横にある鍵穴に鍵を差し込み、横にひねってから並んでいるボタンで暗証番号を入力し、門を開けた。

 二人は屋敷まで駆け、本間は先ほどとは別の鍵を取り出して玄関を開けた。そこで池田は先に玄関のドアを開き屋敷の中に入った。

 すると池田の目の前には想像を絶する光景が広がっていた。後に入った本間は絶叫した。

「キャー!」

 池田と本間の目の前には、二階の手すりからぶら下がった二本のロープの先に、それぞれ首を吊った状態でぐったりとしていた源蔵と花江の姿があった。

 二人の足元にはイスが二脚倒れていて、床は割れたガラスコップがちらばり、二人の体から出た血と体液が水溜りのように広がっていた。 

 池田と本間は警察を呼ぶと、本間が明けた玄関以外の屋敷の鍵はしっかりかかっていて中は密室状態であったことが判った。鍵は特殊な鍵で複製が不可能なものであり、河原夫妻が持つ屋敷の中にあった鍵以外には家政婦と警察が保管している自殺した河原浩司の所持品の他にはないことが判明した。

 屋敷には防犯カメラは設置されているが、二日前から故障しており修理中であったため作動していなかったが、他の警報装置は問題なかったため不法侵入は無かったものと考えられた。

 また毒を含んだコップにも自殺した本人の指紋しかなく、源蔵達の体には首を吊った時にできたロープの痕以外には、誰かに無理やり体を押さえつけられた時にできる圧迫痕のような目立ったものは発見できなかった。

 それらのことから遺書は見つからなかったが警察の捜査、検視の結果は、河原夫妻は毒物を服用して首を吊った自殺、と断定された。

 こうして河原源蔵と花江の死の真実も闇に葬られた。多くの人を闇に葬ってきた河原源蔵も、皮肉にも最後は影の「犯罪被害者遺族」によって隠された「犯罪被害者」となったのである。

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