第16話 16、函館の夜
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マリアと上坂は青森から青函トンネルへ向かった。
上坂の計画では二人は函館のホテルに宿泊することになっていた。
青函トンネルは3本あり、一つが自動車専用道路になっている。
自動車専用道路は換気のためもあり、進行方向に向かって層流になった強風が吹いている。
風速50mの風だ。
時速にすれば時速180㎞になる。
トンネルの壁は気流に渦を生じさせない様に突起がない。
マリアと上坂は青函トンネルの進入路から強風の本線に入って行った。
マリア達は最初は背中から強烈な風に煽(あお)られたが、オートバイの速度が時速180㎞になると風は止み、時速250㎞になると低速走行と同じ風圧を感じるようになった。
上坂がインターカムで言った。
「マリアさん、頭の上に海があるってのも不気味だね。」
「上坂さんは泳げるの。」
「もちろん泳げるさ。でもこんな所で地震でも起こって海の水がトンネルに入って来たら絶対に助からない。」
「その時には助けてあげるわ。」
「マリアさんが空気を必要としないことは知ってるけど僕の息が続かないよ。」
「そう言えばそうね。・・・でもトンネルの長さはおよそ50㎞でしょ。だから25㎞を突破すればいいの。私は上坂さんを背負って時速200㎞で進めるわ。もちろん空気中だけどね。水中ではおそらく時速30㎞ね。だから空中を飛べたら8分以内で外に出ることができるの。地震でトンネルに穴が開いてもトンネル内の空気が逃げるには時間がかかるでしょ。必ず隙間ができているはずよ。」
「その時には頼むよ。」
「任しておいて。」
「それにしても人間は空気を吸えないと死ぬんだね。不便なもんだ。」
「空気ねえ。・・・上坂さんを背負う時は仰向けに背負うわ。登山用のロープで上坂さんとバイクの前輪を一緒に縛るの。そうすれば水中でも上坂さんは車輪のバルブを少し緩めれば空気を吸うことができる。・・・やっぱりだめね。バイクのタイヤでは量が少なすぎる。その時には諦(あきら)めて。外に出たら蘇生処置をしてあげる。」
「了解。」
二人のライダーはそんな話を続けて青函トンネルを15分で抜けた。
トンネル内では見るべき景色はなかった。
函館の宿泊先はオートバイを駐車できる住宅街にあるビジネスホテルだった。
ホテルへの到着が夕方近くであったので二人はすぐにチェックインでき、大きな荷物を持って部屋に行った。
部屋は少し大きめのツインベッドのある部屋だった。
上坂は部屋に入るとすぐにバスルームに入ってシャワーを使い普段着に着替えた。
マリアはシャワー後、すこしおしゃれな旅行着に着替えた。
「今日は少し強行軍だったわね。上坂さんはどう。疲れた。」
マリアは上坂に声をかけた。
「別に疲れてはいないけどお腹が空いた。」
「そうでしょうね。これからの予定はどうなってるの。」
「函館山で夜景を見ながら食事をする予定だよ。北海道で最初の山だね。」
「写真で見たことがあるわ。きれいそうね。」
「ロープウェーで山頂に行ってロープウェーで下山する。下山の最終便は夜の10時だからそれに乗って戻ってくる予定だ。」
「了解。出かける前に上坂さんのお洗濯物をまとめておいてね。上坂さんが眠っている間にコインランドリーに行ってお洗濯しておくわ。」
「マリアさんは眠らないのかい。」
「全然。これまで眠ったことはないわ。」
「すごいな。マリアさんはいつも遅くに帰宅してるだろ。大学からマンションに戻って何をしているんだい。」
「それは秘密。誰にも言えない秘密なの。」
「ふーん。謎多い美女ってわけだ。まあ、洗濯は頼むよ。着替えはあまり用意していないんだ。」
「了解。」
マリアと上坂はホテルからタクシーでロープウェーの乗り場に行き、函館山の山頂に行った。
山頂のレストランで夜景を楽しみながら夕食をとった。
レストランではマリアも上坂と同じものを注文したが、マリアは食べず、マリアの分は上坂がきれいにたいらげた。
よほど空腹だったらしい。
マリアはそんな上坂を楽しそうに眺めていた。
マリア達がホテルの部屋に戻ると、上坂は「バスを取って眠るよ」と言ってバスルームに入った。
バスルームから出て来た上坂はパジャマに着替えていた。
マリアはそれを見て意を決した様子でバスルームに入ってシャワーを使った。
上坂の習慣では寝る前に風呂に入ると思ったのだ。
バスルームから出たマリアはネグリジェに着替えていた。
それはシースルーのピンクのネグリジェで、中は小さなパンティー1枚を着けた細身の肢体だけだった。
ネグリジェ越しにマリアの均整のとれた肢体と、なんの弛(たる)みもない突き出した乳房が透けて見えた。
マリアの乳房には小さく突き出した乳首も付いていたし、細いウエストには小さな臍(へそ)も付いていた。
上坂はマリアのネグリジェ姿を見ながら言った。
「えーっ、マリアさんの寝巻きはネグリジェなのかい。」
「ちょっと失敗したわね。上坂さんは旅行前に登山の服装と水着と寝巻きを用意するように言ったでしょ。私、女性の寝巻きはネグリジェだと思ってしまったの。上坂さんのようなパジャマも考えたのだけどパジャマよりネグリジェの方が軽いし小さく畳(たた)めるでしょ。それでネグリジェを買ったの。刺激的すぎる。」
「うーん。正直に言えば刺激的だよ。でも抜群に似合っている。素敵だ。」
「ありがと。」
「僕の失敗だよ。マリアさんが眠らないってことを考えなかった。眠らないマリアさんはさっきまで着ていたような普段着でいいよ。その方が僕はゆっくり眠れそうだ。」
「了解。もう一度着替えて来るわ。」
そう言ってマリアはバスルームに戻り、それまで着ていた平服に着替えて出てきた。
上坂が寝入るとマリアは自分と上坂の洗濯物を風呂敷に包んで部屋を出た。
フロントでコインランドリーの場所を聞き、ホテルを出た。
コインランドリーは住宅街の中にあった。
マリアはそれほど多くない洗濯物を洗濯し、乾かしてアイロンをかけて畳んだ。
マリアがコインランドリーを出るとそれを待っていたように4人の男がマリアの行く手を遮(さえぎ)って言った。
「よう、お嬢さん。お洗濯は終わったかい。少し付き合ってくれねーか。」
コインランドリーは防犯上か、外から中が見えるようになっている。
マリアの姿を外から見つけたのか、だれかがマリアのことを男達に知らせたのかは定かでなかったが、男達がタチの悪い人間であることは言葉遣いから明白だった。
マリアは楽しくなった。
函館に来ても正義の味方ができそうだった。
「お嬢さんって呼んでくれてありがと。で、付き合ってあげたらどうするの。」
「このあま、ビクつかねえのか。・・・一緒に楽しいことをするだけさ。」
「あんた達、不良ね。こんなことをしてると後悔するわよ。」
「なんだと、このあまっ。」
男達の一人がマリアの首に左手を伸ばしたが、マリアは持っていた風呂敷包みで男の横顔を風呂敷が破れない程度に引っ叩いた。
「てめえ、やりやがったな。・・・おい、このアマを捕まえろ。優しくやってやろうと思っていたが痛めつけてからにしてやる。どれも味は同じだからな。」
マリアの左右にいた二人がマリアの両腕をつかもうと手を伸ばし、マリアの後方にいた男がマリアの脚を掴もうとして腰をかがめて近づいてきた。
マリアの両手両足を持ってどこかに運ぼうとしているらしい。
コインランドリーの周囲は内部も含め防犯カメラが必ず設置されている。
マリアはかよわい女性の奇跡の正当防衛を演じることにした。
最初のターゲットは正面の男で、マリアは男の正面に跳んで相手の顔に両手で風呂敷包みを突き叩(たた)いた。
そして、そのついでに右手の中指を相手の左目の眼窩に埋め込んだ。
風呂敷で顔に叩かれた男は両手で顔を覆って動きを止めた。
マリアはその男の右に進んでから回転し、マリアの左手を掴もうと腕を伸ばしていた男の顔の正面を両手で持った風呂敷包みで打ち当てた。
もちろんそのついでに左手の人差指を相手の右目の眼窩にめり込ました。
その男も両手で顔を覆った。
マリアはその後、左にステップしてマリアの右手を狙っていた男の顔面を返す風呂敷包で叩いた。
3人目は右手の小指で相手の右目を突いた。
マリアの小指は細かったので今度の相手の眼球は破裂した。
アリアの足を狙って腰をかがめて突進していた男はマリアが急に目の前から消えたのでタタラを踏んでいる体勢だった。
マリアは相手を右下に見下ろし、両手で持っていた風呂敷包みをスイングさせて相手の顔面にアッパーカットで打ち上げた。
もちろんその時にもマリアの右手の人差し指は相手の右眼窩に差し込まれていた。
4人の男達はマリアへの攻撃を止め、片手で見えなくなった目を押さえていた。
マリアは風呂敷を前に出してあたかも自分を守るような体勢で最後の男の後ろに立っていた。
「やりやがったな、このアマ。なにしやがった。」
4人のリーダー格そうな最初の男が振り向いて左目を押さえながら気丈に残っていた目でマリアを睨みながら言った。
「どうもしてないわ。お洗濯物が入った風呂敷で貴方達の顔を叩(たた)いただけ。痛くなかったでしょ。どうしたの、早くかかってきなさいよ。もう一度顔を引っ叩いてやるから。」
「てっ、てめえ。・・・覚えてろよ。」
「了解。君達も私を覚えておいてね。こんど君たちを町で見かけたら只じゃあ置かないから。次は本気を出すわよ。君たちの顔は覚えたわ。私、記憶がいいの。『覚えているなよ』って言った方が身のためよ。一生メクラになるよりいいでしょ。」
「くそっ。」
そう言って4人の不良達は駆けるように片目を押さえながらその場を去って行った。
マリアはもう一度コインランドリーに入り、血の着いた両手を洗い、風呂敷を開けてアイロンがけした衣服を取り出し、風呂敷を洗濯機に入れた。
風呂敷1枚だけの洗濯量は少なかったが不良の顔の油や血で汚れた風呂敷をそのまま使う気にはならなかった。
マリアが着ていた洋服は血が着いていなかった。
風呂敷が飛び散った血を防いでいた。
マリアの洗濯は通常のおよそ2倍の時間がかかった。
マリアはその後、コンビニエントストアで上坂の朝食と間食を買ってからホテルに戻った。
マリアがフロントで部屋のキーをもらう時、フロントの若い男はマリアに鍵を渡しながら言った。
「おかえりなさい。長かったですね。どうでした。」
「そうねえ、設備の整ったコインランドリーだったわ。でも周囲の環境は悪いようね。帰りに不良に襲われたわ。」
「それは災難でしたね。住宅街なのに変な奴らがいるんですよ。みんな普通の家の子供なんですがね。」
「そうなの。きっと育てられ方が悪かったのね。親がバカなのね。」
「でっ、なんともなかったのですか。」
「抵抗したら逃げて行った。まだ震えが止まらないわ。思い出すだけでも怖いわね。」
「それはラッキーでしたね。」
「そう思うわ。」
マリアは目の前のフロントマンが不良達にマリアのことを知らせた者であると確信した。
普通ならコインランドリーから帰ってきた客に「どうでした」なんて言わない。
何かがあっただろうことを確信している聞き方だ。
おそらく不良達の仲間なのだろう。
同じ町に住む幼馴染のワル仲間かもしれない。
マリアは黙ってキーを受け取り、小さなエレベーターに乗って部屋に戻った。
不良の仲間のフロントマンはやがて仲間が片目を失ったことを知るだろう。
そして宿泊名簿からマリアがアクアサンク海底国の外交官であることを知るだろう。
宿泊名簿に記載されているオートバイのナンバープレートの一つは外交官ナンバーだ。
日本国の警察は外交官を逮捕できないし、裁判所で裁判することもできない。
たとえマリアが人を殺しても、せいぜい、日本国外務省がアクアサンク海底国に抗議するくらいだ。
しかも、今回は若い女性外交官を襲って怪我をしたのだ。
表沙汰にしたら自分たちが捕まるのは確実だ。
悪者は黙るしかない。
翌朝、上坂とマリアはホテルのフロントに鍵を返し、オートバイに載せるための大きな荷物を両手に持って玄関の自動ドアから出て行った。
自動ドアが閉じ終える瞬間、マリアは荷物を下げた右手の4本指から人差し指を抜き、親指で鉛球を後ろ向きのまま指弾した。
マリアの手練の鉛玉は閉じる寸前の自動ドアの隙間を通ってフロントにいた若者の右目にめり込んだ。
フロントマンが右手を押さえて辺りを見回した時、マリア達は既に閉じたドアから3m先を両腕に大きな荷物を下げて駐車場に向けて歩いていた。
フロントの若者は右目を失明したがどこから鉛玉が飛んで来たのかは最後まで分からなかった。
上坂も気がつかなかったようだった。
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