ありきたりなものがたり:answer

 思えば兄に勝れることなど何もなかった。

 溜息が出るほど美しいと評される、金糸の髪にエメラルドの瞳。画に描いたような貴公子なのに、中身はバカがつきそうな程の領地想いだし、温和で優しい。

 少し人が良さすぎたり、騙されやすい純朴さは危なっかしいけれど、それもまた世の中の令嬢たちから見れば魅力の一つなのだろう。

 だから、幼い頃に定められた弟の婚約者が、兄に夢中なのは仕方がない事だった。


 例えば兄が社交の場に出るとき。

 周囲の注目は一斉に兄に攫われる。兄が笑えばため息が聞こえ、兄が去った後は余韻に浸るような称賛が聞こえる。

 初めて兄とともに外出した時からそれは変わらずに、最早当たり前のようだった。

 家同士の関わりで、俺に婚約者ができたのは十歳に満たない頃。

 だけどその婚約者は、年を重ねるごとに兄の事しか見なくなっていった。

 俺の隣で兄を探し、見つければ空を飛ぶかのように駆け寄っていく。パートナーとして公式な場所に立つ時ですら、兄の姿ばかり追い求めていて視線すら合わなかった。

 兄も義妹になる予定の彼女には甘く、二人はとても仲が良かった。


 そんな彼女に、家の両親は困惑し。俺はずっと彼女の気持ちを引き止めるために手を尽くす用にと言われてきた。実際手は尽くしたつもりだけれど、効果が上がったことはなかった。


 そんな時、兄の婚約者が棄権した。

 この二人の様子に辟易としたのは無理はない。

 こちらの不手際で令嬢に不快な思いをさせ、向こうが我慢ができずに破談を申し出たということで、幸いにもどちらも責任は追及しない事となった。

 そして、俺の婚約者だった彼女は、晴れて今日兄と結婚する。



 何もなかったかのように、きらびやかに飾り立てた広いホールで愛想笑い。

 この経緯を知っている人間は少なくない。だから、哀れみや侮蔑を向けられたとしても、それは仕方ない。

 何もなかったかのようなふりをして来客と挨拶を交わして。

 ようやく一通りの役目が終わったら、無性に一人になりたかった。


 少し離れた庭先の噴水。暗く静かで人気がない場所で、貼り付けた笑いを投げ捨ててため息をついた。

 幸せな二人は、自分たちのした事を軽く見ている。物語のようだともてはやされても、それだけで終われない。社会的信用の失墜は否めないだろう。

 兄の補佐官として育てられてきた自分には、それも頭が痛いところだ。

 兄の元婚約者の家は、商業的な流通に長けていた。生産性はあるが、売ることが苦手な我が領地の商機を失ったのだから、先行きが不安なのもある。


 俺は何のためにここにいるのだろう?

 静寂に忍び寄る疲労と無力感。くたびれた心身が、ただただ虚しくなった。


 遠く耳に届くワルツ。耳に優しい水の音。ひっそりと騒ぐ葉擦れ。

 その中に慎ましやかな足音が交じるのに気がついて顔をあげる。


 美麗に波打つレースの白。少し濃いドレスの色は闇に紛れてはっきりとわからない。

 月明かりを集めたようにふわりと美しい髪が揺れて。

 俺の前に現れた顔見知りは、誰もが見惚れるような美しい微笑みを浮かべた。

 突如伸びてきた腕に抱かれて、温かい彼女の胸に顔を埋める。

 何が起きたのかわからなかった。だけどそのぬくもりが、優しい香りが疲弊した心も体も満たしていって、離れがたく思った。

「私はあなたがずっと好きだったの。どうか、私と結婚してください」

 耳に届く言葉を夢うつつで認識し、現実を忘れたままに、俺はしばらく彼女に抱かれていた。

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