第4話 故郷②

ハナはそんな昔のことをぼーっととりとめもなく思い出しつつ走っていると、道の両側にあった木々がようやく途切れた。

その先には爽やかな緑色の高原を縦断する、広々とした道路がつづら折りに続いていた。

道の両側には草原が広がり、遙か遠くには羊か牛のような家畜が、黒い胡麻のように点々と存在している。

既に日没に近く、左手に見える山脈に太陽がかかろうとしていた。

空には薄雲がまだら模様に広がっており、その層雲ごと空がオレンジ色に染まっていき、複雑な橙の色見本を形成していた。


一方右手側の眼下には草原の広がるその先に『忘却の霧』による雲海が遠くまで広がっていた。

『霧』の境界面がはっきりと見えており、ちょうどそこに透明なガラスの床面があるようだった。

そしてその境界面には、上空から夕暮れの濃いオレンジ色に染まった太陽光が降り注いでおり、雲と同じようにオレンジ色にキラキラと光り輝いていた。

上下にオレンジ色の海が広がっていて、普段は神様など信じていないハナですら神様がそこに顕現しそうに思えるほど、荘厳で厳粛な光景だった。


『きれーな景色だねー、ハナ』

ハナのマリンブルーの宝石のついたイヤーカフから、ナギの陽気な通信音声が聞こえてきた。

ナギは上空高くを飛んでおり、気持ち良さそうに翼を広げてオレンジ色の空を滑空している。

ナギの白い羽もオレンジ色にキラキラと光り輝いていた。

「そうだねナギ、とても綺麗」

『しかも風も穏やかに丁度良く吹いていて、飛んでてとても気持ちいいよー』

「あ、そうなの。下は結構風が強いかな」

先ほどからハナは時たま吹く強風にバイクのハンドルを取られそうになっていた。

「景色に見惚れすぎると結構危ないよ」

『そうなんだ。それじゃハナの分まで上空でこの綺麗な景色を思う存分楽しんでおこうっと!」

ナギは楽しそうにそう言った。


ハナが走っているこの道は、今日の昼過ぎまで滞在した村で教えてもらったものだった。

曰く、『忘却の霧』が世界に満ちる前に、高原道路として観光用に整備された。

曰く、そして現在でも『霧』の中に沈んでいない道路として、村同士の移動に使用されている。

曰く、その高原道路の先には昔から酪農が盛んな村があり、かなり栄えている。

曰く、その高原道路は現在でも非常に綺麗で、むしろ『霧』があった方が綺麗である。

曰く、特に夕焼けが見事で、観光なんて産業はなくなった今でも一見の価値がある。


それを聞いた旅行好きのハナとしては、一体どれほどのものかと思って、夕刻にこの高原道路を使用して次の村へと移動することにしたのだった。

そうして実際に来てみると、オレンジの光が織りなす荘厳で神秘的な光景に、ハナは村の前評判以上に胸を打たれることとなった。

――最後の審判とか終末の日って大体こんな感じなのかもな。

とハナは何となく思った。


道路の両側の光景が草原から灌木地帯となり、日暮れと共に上空と雲海がオレンジ色から紫色へと変化して行った。

すると、上空を飛んでいるナギから『お、見えた!』という通信音声が聞こえてきた。

さらにハナはしばらく道路を走らせていくと、道の遠く、赤紫色に照らされた雲海の境界面付近に村が見えてきた。

それがハナたちの目指す、酪農の盛んな村だと思われた。


「お、下からも見えた。ナギ、道案内ありがとう……と言ってもほぼ一直線だったけど。降りてきて良いよ」

『んー、気持ちいいから、もう少し飛んでるねー』

そうナギは言うと、調子が外れすぎて原曲がよくわからない謎の歌を口ずさみ始めた。

綺麗な景色と穏やかな風で、ナギはかなり気分が良さそうだった。


しばらく運転して村に到着すると、すっかり日が暮れていた。

ナギはあまり夜更かし出来ない性質のため、少し前からハナの右肩でうつらうつらしていた。

――毎度思うけど、よくうつらうつらしていて肩から落ちないよな……。肩に乗せてるこっちが心配になるよ……。


その村は今でも電気が安定的に通っているようで、大通りには外灯がいくつも点っていた。

『忘却の霧』が満ちた現在の世界では、電力を豊富に使えるというのはかなり珍しい。

また、その外灯に照らされた街並みをみると、レンガ造りのものやコンクリート打ちっぱなしのおしゃれな建物など、かなり綺麗に整備されているようで、ちょっとした市街地という雰囲気があった。

恐らくは『霧』が満ちる前から、高原に所在する村としてある程度栄えていたということが推測される。


ハナは歩いていた村人に泊まれるところがあるかどうか尋ねたところ、旅館があることを教えてもらった。

小さい村では旅館等の宿泊施設が無く、やむなく野宿をすることも多いハナであるが、この村では隣の村や周辺地域とのやり取りも盛んであるため、旅館があるとのことだった。

ちなみに、『忘却の霧』の中を旅している時は、廃墟と化した民家に勝手に上がり込み、寝泊まりすることが多い。

ハナは早速教えてもらった旅館へと向かうことにした。


その旅館は木造平家のこじんまりとした昔ながらの宿だった。

旅館というよりもむしろ民宿といった風情だった。

その入口には扉の両側に大きなたぬきの焼き物が鎮座していた。

――んん……?何これ?


右のたぬきは目と口を大きく見開き、左のたぬきは目を見開きつつも口を真一文字に閉じていた。

どうやら両側のたぬきで阿吽像を模しているようだったが、表情がたぬきのためいまいち締まらない。

――最近、阿吽像をあの修行寺で見たけど、このたぬきパターンは初めてみたな……。ナギが見たらめっちゃ小馬鹿にしそうな顔だな……。

とハナは思った。

そんなナギは既に眠っており、小さい毛布にくるまってスーパーカブの荷台に収まっていた。

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