第63話 時間を稼いでみせますわ
「〈風牙双激〉‼」
なけなしの魔力を絞り出し、ロザリィは渾身の魔術をドラゴンに叩き込んだ。これでもう三度目。一度目はロザリィの魔術を警戒して大きく旋回したドラゴンも、有効打になり得ないと理解したのか、もはや怯む様子もなくこちらに向かって突進してくる。
「くっ……!」
ドラゴンの突進を、ロザリィは紙一重で回避する。大きな翼、鋭利な爪、長い尻尾。どれも少し掠っただけで致命傷だ。アリシアの箒が粉砕されたことでわかるように、衝撃緩和術式なんて気休めにもなりやしない。
(……無事ですわよね、アリシアさん)
ドラゴンの動きには注視しつつ、ロザリィは湖に落下したアリシアの安否を心配する。
ミナリーによって引き上げられた彼女は、まるで死んでいるかのようにぐったりとしていた。嫌な考えに思い至ってしまい、ロザリィはその考えを頭から振り払うように首を振る。
「無事に決まっていますわ! だってアリシアさんですもの‼」
ロザリィは自分に言い聞かせるように叫ぶ。
ロザリィにとって、アリシアは身近なヒーローだった。
競技魔術師の名門バルキュリエ家の天才、アリス・バルキュリエの妹。世間の評価はその程度だったが、同い年のロザリィからすればアリシアはアリスにも負けず劣らずの憧れの存在だった。
ロザリィは幼い頃から当たり前のように箒に慣れ親しんできた。
王国七大貴族の一つ、名門サウスリバー家は競技魔術師の家系ではないが、古くから龍討伐を生業としてきた一族だ。
龍討伐に欠かせない箒を乗りこなす技術は、サウスリバー家に生まれた者として当たり前に身につけなければならない教養だった。
幼い頃から箒に乗り続けてきたロザリィは驕っていた。アリス・バルキュリエには勝てずとも、他の同年代の誰よりも自分は箒を乗りこなせるだろうと。
その自信が打ち砕かれたのは、腕試しにと参加した小さなウィザード・レース。そこでロザリィは、同い年の少女に完膚なきまでに叩きのめされた。
アリシア・バルキュリエ。常に姉である天才少女と比較され過小評価され続けてきた彼女は、アリスの出ないレースでは負けなしだった。ロザリィはそんなアリシアに、手も足も出ず完敗を喫したのだ。
その敗北に、悔しいという感情はわかなかった。ただただ、ロザリィは感服し、敬服した。開きすぎた才能と実力の差は、幼い少女に羨望を覚えさせた。
領地が遠かったこともあり、アリシアと会う機会はほとんどなかった。だから同じ王立魔術学園飛空科に入学できたと知ったとき、心の底から喜んだ。憧れのアリシアさんとようやく一緒に居られる。友人としてずっと傍に居ることができる。
そう思っていたのに、アリシアの隣には、既に平民の少女が居た。
その少女はロザリィが願ったポジションにすっぽり収まっていて、そこにロザリィが入り込む余地は残されていなかった。
ロザリィはミナリーからそのポジションを奪おうとした。けれど、幾度となく跳ね返された。高貴な生まれでもない、魔術すらろくに使えない平民なんかに。
アリシアさんに隣に居るべきはわたくしですわ!
そう思っていたのは、ほんの少しの間だけ。
(アリシアさんを頼みましたわよ、ミナリー!)
新入生歓迎レース前、アリシアのために学食の手伝いをして食材を分けてもらい、夕食を作るミナリーの姿をロザリィは毎日見かけた。
歓迎レース後、体調を崩したアリシアのためにミナリーは毎日のように王都へ買い出しに行って食事を作っていると言っていた。
そして、さっきも。
ドラゴンが現れた直後、ミナリーはロザリィも追いつけない速さでアリシアを助けに向かっていった。
湖に落下したアリシアを助けるため箒に乗ったまま湖に飛び込むなんて無茶までしでかして、アリシアを水中から引き揚げてみせた。
もはや張り合おうなんて気も起きない。アリシアの隣に居るべきはミナリーなのだと、ロザリィは自信を持って断言できる。
そして今も、アリシアの隣にミナリーが居る。彼女ならきっと、アリシアを助けてくれると、ロザリィは信じていた。
だから、
「その時間を稼いでみせますわ‼」
ロザリィは果敢にドラゴンへ向かって箒を進める。
既に魔力は限界を超えている。なけなしの魔力で放つ魔術ではドラゴンの厚い鱗を突破することができず、もはやロザリィに打つ手はなかった。それでも立ち向かえるのは、彼女の気持ちが折れていないからに他ならない。
「努力と根性ですわぁあああああああああああああッッッ‼‼‼」
ロザリィはドラゴンの鋭い爪を掻い潜り、長い尻尾をひらりと躱す。少しでも箒のコントロールに失敗すれば体の一部を持っていかれかねない。そんなギリギリの飛行を続けるのは、ドラゴンをこの場に留める為だ。
ドラゴンは、明らかにバルキュリエ姉妹を狙っている。今もロザリィが少しでも距離を取れば、ドラゴンはミナリーたちの居る岸の方へ飛んでいこうとする。
「いったい何に惹きつけられているか知りませんが、行かせませんわよ‼」
ロザリィは尻尾を避け切ると再び箒を反転させ、ドラゴンの懐へ飛び込もうとする。
だが、そこでドラゴンがおかしな動きを見せた。
口を大きく開き、空中に制止したのだ。
それがいったい何を意味するのか、ロザリィは一瞬後に理解する。
(まさかっ――)
直後、ドラゴンの口から灼熱の炎が放たれた。
「ブレス――ッ⁉」
ドラゴンの吐き出した炎に対し、ロザリィは咄嗟の判断で魔力シールドを展開する。
「どうして小型龍(ワイバーン)がブレスなんて……⁉」
ドラゴンのブレスは中型龍(サラマンダー)の特徴だ。ロザリィが相対しているドラゴンはその大きさから小型龍に分類されるはずだった。ロザリィが知る限り、生体構造上、小型龍がブレスを吐くなんてありえなかった。
「シールドが……!」
ドラゴンの体内から吐き出される魔力の奔流に、魔力切れ寸前のロザリィの魔力シールドは見る見るうちに削られていく。
「努力と、根性……ですわっ‼」
それでも最後の最後まで、ロザリィは魔力シールドの展開のため魔力を絞り切ろうとした。激痛が頭を苛み、汗が滝のように溢れだす。息が苦しい。少しでも気を抜いてしまったら、意識が飛んでしまいそうだ。そんな状況下で、ロザリィは歯を食いしばって必死に耐える。
だがそれも、限界だった。
ピシリと亀裂が走り、魔力シールドが食い破られる。灼熱の炎に、ロザリィの体は包まれた。
――はずだった。
「何とか間に合いました」
ロザリィの目の前には、銀色の二房の髪を天使の羽のようにはためかせる少女の背中があった。
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