第59話 咆哮

 二つの箒が互いに競い合いながら、湖上を王都へ向かって飛んでいく。その姿を、わたしはただずっと見つめていた。


「がんばれ、アリシア」


 ハンドルをぎゅっと握って、親友の健闘を祈る。


 アリシアは、ここ一週間の努力の集大成をこのレースでいかんなく発揮していた。序盤に被った大幅な遅れを取り返し、絶望的なまでに開いたアリス先輩との差を追いつき、そして最後の直線でデッドヒートを繰り広げている。


 アリシアはすごい。ほんっとうにすごい‼


 既に魔力は限界のはず。いつ底を尽きたって不思議じゃない。


 それでも、アリシアは飛び続ける。限界も、自分の弱さも、お姉さんも、全部全部全部超えて、ゴールに向かって飛び続ける。


 わたしはその背中を、必死に目に焼き付ける。


 アリシアの飛行を見ていると、胸がぐつぐつと煮えたぎるように熱くなる。わくわくが、止まらなくなる。ずっと傍で見守っていたから、自分のことのように気持ちが昂る。


「これが、レースなんだ……」


 ただ飛んでいるだけとは違う。誰かと競いあって、気持ちをぶつけあって、限界を超えていく。ただがむしゃらに、前へ前へと飛んでいく。


 わたしも……。


 あんなふうに飛んでみたい。誰かと、競い合ってみたい。そんなふうに、思えてくる。


 まあ、このレースはアリシアに見守ると約束したわけだから、今更トップ争いに混ざるわけにもいかないけどね。それに今からじゃ、さすがに追いつけない。


 前とも後続とも結構な差がある。わたしは一人寂しく、ほどほどの速度でゴールを目指そう。このままゴールすれば、表彰台には上がれそうだ。


 ……なんて、思っていた時だった。




「ようやく追いつきましたわよ、ミナリー・ロードランドッ‼」




「えっ⁉」


 後方から聞こえてきた声に、わたしはビックリして振り返る。


 そこを飛んでいたのは、ボロボロの状態で飛ぶロザリィだった。


「ロザリィ⁉ シユティ先輩の魔術で墜ちたはずじゃ⁉」


「あれくらい、たいしたことありませんわ! 蚊に刺されたようなものですわね!」


 そ、その割には髪もぼさぼさだし、額から血を流しているようにも見えるけど……。


 普通に飛んでいるのが不思議なくらい、ロザリィはもう満身創痍な状態だった。薄紫のローブは焦げて黒ずみ、足には痛そうな火傷の痕も残っている。シユティ先輩の魔術をもろに食らっていたことを考えると、よくそれだけで済んだと言えるかもしれない。


 とても満足に飛行できる状態には思えなかった。


「ロザリィ、無茶しちゃダメだよ。すぐに救護の人に見てもらったほうが……」


「嫌ですわよ。そんなことすれば、レースをリタイアさせられちゃいますわ」


「そりゃそうだけど」


 気丈に振る舞うロザリィだけど、かなり無理しているのは表情で伝わってくる。飛行も少しおぼつかないように見えるし、どう見ても限界が近そうだ。


 それでも、


「これくらいの傷、唾でもつけときゃ治りますわよ。そんなことより、勝負ですわ、ミナリー! 今日こそ決着をつけて差し上げますわよっ‼」


 ロザリィはわたしを真っ直ぐ見つめ、ビシッと人差し指を向けてくる。


 あぁ、そっか。ロザリィも……。


 アリシアと一緒で、負けず嫌いなんだ。アリシアがアリス先輩に勝負を挑むように、ロザリィはわたしに勝負を挑もうとしている。負けた悔しさを晴らすため、勝利の優越感に浸るため。理由はきっと、色々あって。


 譲れない想いが、彼女の中にも確かにあって。


 ……その想いを受け止めなくちゃ、アリシアに顔向けできないよね。


「いいよ、ロザリィ。今日こそ決着をつけよう」


「それでこそミナリー、わたくしの永遠のライバルですわ」


「わたしいつからロザリィのライバルになったの?」


「今、この瞬間からですわ‼」


「なるほど、ねっ‼」


 箒を一気に加速させたロザリィを追ってスピードを上げる。


 速いっ……!


 入学試験、新入生歓迎レースと、ロザリィの本気の飛行をわたしはまだ一度も見ていない。魔術使用可能エリア直前でその片鱗は見せていたけど、ロザリィもアリシアほどとは言えずとも相当な実力者なことに間違いなかった。


 わたしに追いつくために相当な無茶をしてきたはず。そのうえ、体はボロボロで満身創痍な状態。にもかかわらず、こんな飛行ができるなんて……!


 休暇中に実家で鍛えてきたとは言っていたけど、嘘や冗談で言ってたわけじゃなかったみたいだ。


「まだまだっ! 努力と根性ですわ‼」


 ロザリィの体内から魔力が噴き出す。光の粒子がロザリィの周囲に集まり、彼女を包む流線形の壁を生み出した。


 これ、風の魔術……⁉


「〈風よ、穂先となって空を貫け〉……ッ‼」


 風の魔術によって形作られた流線形の壁が空気を前から後ろへと受け流し、ロザリィは槍の穂先のように大空を突き抜ける。


 これがロザリィの全力……ッ!


 王国七大貴族、風のサウスリバーの直系。その実力を、ロザリィはいかんなく発揮していた。風の魔術の操作では、わたしはロザリィに逆立ちしても勝てやしない。


 でも、同じようなことならマネできるかもしれない。


 ロザリィは魔力で自分の周囲に流線形の壁を作った。風の魔術として完成させることはできなくても、流線形の壁だけならわたしにも作れる。


 後は、かろうじて得意な水の魔術で同じように膜を張れば……!


「〈水よ、空気を受け流せ〉……!」


 体に押し寄せる空気の壁が消えた。水の膜が空気を受け止め、後ろに向かって流してくれているのだ。仕組みはロザリィの魔術と同じ。ただ、風の魔術じゃないせいかロザリィほどの加速には繋がらない。


 けれど、それで十分だ。


「ロザリィ‼」


 魔力の通り道に乗り、一気にロザリィとの差を詰める!


 隣に並んだロザリィは、わたしの魔術に目を丸くして、


「やはり、あなたは最高ですわ! 負けませんわよ、絶対に!」


「わたしも負けないよ、ロザリィ!」


 負けたくない。ロザリィとの勝負なんて勝っても負けてもどっちでもいいと、レース前は思っていたはずなのに。いざレース終盤になって、ここまで競った状況になったら、勝ちたい欲が心の奥底からあふれ出てくる。


 遠くに王都の街並みが見えてきた、王都までもうあと僅か数キロ地点。


 このままロザリィよりも先に、ゴールしてや――



 ――ドクンッ‼



「……ッ⁉」


 前方、ちょうどアリシアやアリス先輩の飛んでいるあたりで、湖の下が光った。


 ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ。


 光はまるで、鼓動を繰り返すように点滅する。


「あれ、は……」


 昨日の夜見た、謎の光。あの時は見間違いかと思ったけど、今はハッキリと見える。


 背筋に冷たい何かが走り抜け、全身に鳥肌が立った。


 嫌な予感がする。途轍もなく、嫌な予感がする!


「どうしたんですの、ミナリー⁉ 急に箒を止めたりして!」


 光を注視するあまり箒を減速させたわたしを気にしてか、ロザリィが訝し気な表情を浮かべてUターンしてくる。


 せっかくの勝負だったのに、ごめんロザリィ。


 だけど、あの光は明らかに異常だ。


「……なんですの、あれ」


 わたしが見ている方角に視線を向けたロザリィが首を傾げた。


「影……? 何かが水中を泳いでいるんですの? でも、あの大きさは……」


 ロザリィには魔力の光は見えていない。代わりに見えているのは、湖の中を高速で移動する黒い影。わたしの視界にもハッキリと映っていたそれは、やがて湖面に緑がかった鱗で覆われた表皮を浮上させる。


「あ、あれって……!」


「ありえませんわ‼」


 ロザリィは湖面に姿を現したそいつに向かってヒステリックに叫んだ。


 大きな翼をはためかせ、巨体が高速で空を飛んでいた。全身を鱗で覆われ、胴体から伸びた頭には巨大な咢と牙を持つ。短い手の先には鋭利な爪が伸び、長い尻尾はそれだけが意思を持っているかのようにしなやかな動きでうねり動く。


 どうして……、


「どうしてここにドラゴンが居るんですのよ⁉」


 神話や絵本の中でしかほとんど見られなくなった、かつて地上を支配し生態系の頂点に君臨していた生物――ドラゴン。


 そいつは、ある一点のみを目指し大きな翼をはためかせ恐ろしい速さで飛んでいた。


 その向かう先は、


「逃げて……、逃げて! アリシアっ‼」




『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッッ‼‼‼』

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