エピローグ

 あの不思議な旅行から帰ってきてから一カ月が経った。梅雨の季節に入り、蒸し暑く、ジメッとした日が続く中、清の体調は少しずつ悪化していた。

体が痛みだす間隔が短くなり、また食欲も無くなって行く。固いものは食べにくくなっていたため、和子はなるべく柔らかいものを中心に作り、またおかずは一つ一つ細かく刻んで清が食べやすいように用意してくれた。

 体力も減退し、一人でトイレに行くにも時間がかかる。この頃、清は、トイレと、トイレに近いリビングに移動させたベッドの中、テレビを見る時に座るリビングのソファ、食事する時に使う隣の台所、の四か所を最小限の移動距離で歩く生活が続いていた。

 これ以上清の体調が悪化して食欲もなくなるようであれば、訪問看護をお願いして栄養も点滴で摂取することになるようだ。

ただ、清と和子の要望で、少しでも自分の足が動き、自分で食事ができる間は二人で今の生活を続けることとし、訪問看護は最後の手段とするということを、定期通院している病院の担当医と家族で話し合っていた。

 そんなある日、体調はここ最近小康状態で、ベッドから移動し、久しぶりにソファで横になりくつろいで本を読んでいた清は、台所でバタンと倒れる大きな音が聞こえた。嫌な予感がする。

「おい、和子、和子」

 清が台所に向かって呼んでも返事がない。あまり大声が出せない清は、ソファから立ちあがり台所にかけよると、胸を押さえたまま苦しそうにして床に倒れている和子がいた。清は自分の顔から血の気が引く音が聞こえるほど真っ青になる。

「和子! しっかりしろ、和子!」

 清は和子の耳元で叫んだが和子は顔を歪め、声も出せないほど苦しんでいる。昔の悪夢がよみがえった。

 清はリビングにある電話機の所までなんとか歩き、夢中で番号を押して救急車を呼んだ。和子の心臓発作が起きたのだ。もう何十年となかった和子の発作が再発したのだろう。救急車を呼び終えた清は、再び和子のそばに戻り、倒れた和子を抱き上げた。清は叫んだ。

「和子! 絶対今死んじゃ駄目だ! お前が先に行くんじゃない! 先に行くのは俺だ! 勝手な事を言うが、俺はお前を見送る勇気はない。俺は怖いんだ! 死ぬのが怖いんだ! お前に見送られなければ安らかになんか死ねない。だから頼む! 死なないでくれ! 和子! 俺を苦しめないでくれ! 俺を安らかに死なせてくれ! 頼むから俺の死を見守ってくれ! 和子!」

 救急車が到着するまで清は叫び続けていた。いや、救急車が到着して運ばれる間も、一緒に乗り込み病院について部屋に運ばれるまで清はずっと叫び続けた。

 救急車が到着して隣の家にいた誠も驚いて外に出てきたが、状況を把握すると清に付き添って救急車に乗り込み一緒に病院まで付き添ってくれた。

 誠は病院について病室の外で呆然として待っている清を励ましたり、恵子や翔太達の携帯に連絡を入れたり、色々と忙しく走り回ってくれた。その間、病室に運び込まれた和子の無事を清は祈り続ける。

「頼む、助かってくれ。無事でいてくれ。和子。和子。俺を一人にしないでくれ。俺を置いて行かないでくれ」

 

 何とか和子は一命を取り留めることができた。狭心症を起こした和子はしばらくそのまま病院に入院することになってしまったが、手術などは必要が無いという。薬と療養することで検査などを含めて二週間ほどの入院をした後、彼女は退院をすることができた。

 

 それからさらに一カ月後、八月に入って真夏日が続く暑い時期、容体が悪化した清は完全に一人では動くことができなくなった。できる限り自宅で面倒をみたいという和子の強い要望と、そうはいってもつきっきりの看護は和子の体にも良くないという医者と家族との話から、清には週三回のヘルパーによる看護をつけ、月一回の医師による訪問診療を受けることになった。

 清の体は思っていた以上にガンの進行が進んでいたようだ。和子の入院という精神的なダメージも清の体を蝕む速度を速めたのかもしれない。

 幸いなことに清がほぼ寝たきりになった時には、和子の体もかなり落ち着いて回復していた。一人でも十分歩きまわることができるようになった和子は、清の面倒をヘルパーのいない時はほとんど一人で看護している。和子はそうさせてくれと望み、清もそれを望んだのだ。

 ヘルパーを雇い、訪問診療を受け始めて三カ月、ガンの手術から八ヵ月が経っていた十一月のある日、朝十時にきてくれたヘルパーさんがいる間に、和子は買い物に出かけようとして清に声をかける。

「あなた、ちょっと買い物に行ってくるわね」

 清はうっすらと目を開けて、軽く頷いた。もうこの頃の清は意識はあるが、ほとんど声を出して受け答えすることがない。辛うじて反応するという程度だ。

「じゃあ、ちょっと出かけてきますからお願いしますね」

 和子がヘルパーのゆう子さんにもそう伝えると、

「行ってらっしゃい。お気をつけて」

 と和子は笑顔で見送られた。ゆう子は五十六歳の元看護師で、結婚を機に看護師を辞めたが、末期のすい臓ガンにかかった自分の母親を三年前に半年間在宅で看護した後に亡くした経験から、自宅で死を迎えたいと望む人々の力になりたいという思いでヘルパーをやっているという。

 昔は自宅で死を迎える人が大半だったのに近年は多くが病院で息を引き取るケースが多い。自宅で看取られたいと思っていても現実には看病する人の負担や、往診してもらえる医師がいない、訪問看護が受けられない、親戚など周囲の人がなぜ入院させないのかと口を挟み理解されにくい、などの理由で患者の望みがかなえられない場合がほとんどであるという。そう考えると清と和子の場合は幸運であったといえるのだろう。

 和子は近所のスーパーに買い物に出かけた。ゆう子が自宅にいて清を見ていてくれる間に、外での用事を済ませておかなければならない。

 昼間に働いている恵子に代わって家にいる誠がそういう買い物などはやるから、と言ってくれたが、ヘルパーも雇っているからということと、できるだけ食事などの準備も全て和子が見てあげたいという気持ち、そして何より家の中で看護ばかりしていると和子の方が病んでしまうという心配もあり、気分転換も兼ねて買い物には出かけるようにしていた。ただ何かあってはいけないので和子は携帯をいつも持って出かけている。

 和子が買い物に出かけてしばらくすると、目を瞑って静かにしていた清が、突然起きてヘルパーのゆう子に何やら話し始めた。

「清さん、何ですか? おトイレですか?」

 ゆう子が尋ねると、清は首を横に振り、右手を蒲団から出して消え入りそうな声で何か言っている。言葉を聞き取ろうとしてミツコが清の口元に耳を近づけると、

「ケ、ケイタイ、ケイタイ」

 と清は言っている。

「清さん、携帯ですか?」

 ゆう子の言葉に清は頷いた。ゆう子は念のために置いてある枕元の携帯電話を

「これでいいですか?」

 と清に手渡した。清は顔を少しだけ動かして笑みを浮かべながら携帯を開き、ボタンを操作しだす。

「どこかにかけるの? 和子さんに? 手伝いましょうか?」

 清は全くゆう子を無視するかのように、一生懸命一つ一つ確かめるようにいくつかのボタンを押し、最後の一回を強く力を込めた。電話ではなかったようだ。

 清はホッとした顔をしてミツコの目を見た。

「もういいんですか?」

 ゆう子は手を差し出し、清から使い終わった携帯を受け取り枕元に置いた。

「携帯で何をしていたんですか?」

 ゆう子はそう言いながらもう一度清に視線を移すと、清はすでに目を閉じていた。また眠ってしまったのか、とゆう子は思いながら、清の腕に通されている痛み止めの点滴を確認する。食欲がどんどんなくなって口から食べることが少なくなった清は、栄養を取る為の点滴も使っていた。

 ゆう子は天井からぶら下げてある点滴を確認して視線を下ろすと、清の様子がおかしいことに気がついた。ただ眠り始めたのではなさそうな気配なのだ。

「清さん! 清さん!」

 嫌な予感がしたゆう子は大きめの声で呼びかける。清の反応はない。今度は体をさすりながら

「清さん、大丈夫ですか! 清さん!」

 と先ほどより大きな声で叫んだ。それでも清には全く反応が無かった。これは意識が途絶えた状況だと判ると、ゆう子は自分の持っている携帯電話で訪問診療をしてくれている担当医にかけた。ツーコールででた医師にゆう子は説明する。

「権藤先生ですか? こちら田端清さんの在宅ヘルパーをしているものです。先生が担当されている田端清さんの容体が……」

 

 買い物を済ませた和子がスーパーを出た時、和子の持っている携帯が鳴った。一瞬ドキリ、としたが電話ではなくメールが受信されたようだ。緊急の場合なら電話が鳴るはずである。

 和子はまた時々入ってくる迷惑メールか何かかと思い、携帯を操作して受信したメールを見ると、差出人が清になっている。そして件名が、”和子へ”となっていた。胸騒ぎがした和子がメールを開いてその内容を読み始める。おかしい。短い文章だったが、それでもここ最近は意識も朦朧とし始めている今の清がこれだけの文字をメールで打てるだろうか。

「和子へ。ながいあいだ、つらいかんびょうをさせてすまない」

 悪戯かと思いながらもそのような書き出しで始まる文章に目を通した和子は、読み進むにつれて手が震えた。

 和子が受信したメールを二度読み終わった時、携帯がいきなり大きく鳴り始める。和子は思わず携帯を取り落としそうになった。今度はメールではなく電話だ。和子が慌てて通話ボタンを押して携帯を耳に当てると、声の主はゆう子だった。

「和子さん、今どちらですか?」

 なるべく落ち着いて話そうとしているゆう子の声は緊張で震えているようだ。和子は悟った。

「今、帰る途中です。あと二、三分で家に着きますが、あの人がどうかしましたか?」

 和子はゆっくりとゆう子に聞く。ミツコもゆっくりと喋る。

「そうですか。それでは慌てず気をつけて戻ってきてください。清さんの容体が少し気になる状況なので今、担当の権藤先生を呼びました。詳細はお家に戻られてからご説明します」

「判りました。すぐに戻ります」

 そう言って和子は携帯を切った。

 

 和子が家に戻るとまだ権藤先生は来ていないようだった。ゆう子が和子の顔を見ると

「すいません、お電話なんかして驚かせてしまいまして」

 と頭を下げる。和子はベッドに横たわっている清の顔を見ながら

「いえいえ、大丈夫ですよ。それでこの人がどうかしましたか?」

 和子の問いにゆう子は答える。

「先ほどから意識がなくなったようです。こちらの呼びかけに反応しなくなったものですから」

 そう言ってゆう子は、和子の前で、

「清さん! 清さん! 和子さんが帰ってきましたよ! 清さん!」

 と大きな声を出しながら清の体をさすっている。それでも清は全く反応しない。ただまだ息はあるようだ。脈拍も弱くはなっているが動いている。その様子を確認した和子は

「判りました。あとは先生が来るのを待ちましょう。私は家族に電話します」

 と冷静に答え、最初に恵子の会社に電話を入れた。その後に隣の家にいる誠にも電話を入れると誠はすぐに和子の家に飛び込んできた。

 

 権藤先生と看護師が一人、和子の家に駆け付けた。清の意識は完全にはっきりしなくなっていた。つまり清の容体もそこまで悪化していたのだ。

 清の意識がなくなり、もういつ何があってもおかしくないと聞いた和子は、覚悟をしてはいたがそれでも内心では動揺した。

 恵子はお昼をまわった頃に会社を早退して家に着いた。ほぼ同時に学校に行っていた翔太と美咲も清のいる部屋に入ってくる。

「お母さん、お父さんは?」

 恵子が和子に尋ねる。和子はゆっくり微笑んで

「この人の顔色はそんなに悪くないでしょ。だいぶ前から食欲が無くてほとんど点滴でしか栄養を取ってなかったから少し痩せたけど足は結構腫れているの。で、昨日から傷みが激しくなって少し痛み止めを打ったら、今日急に意識がね」

 そう説明する和子の声がかすんだ。

「バァバ、大丈夫?」

 美咲は和子のことを心配した。美咲はすでに意識のない清の晴れた左足をさすった。

「ありがとう、私は大丈夫よ」

 そう和子は答えた。しかし、心臓の発作が起こってからまだ完全ではない和子は清の看病疲れもあり、頬もこけ、すっかり疲れた様子であった。

 恵子は清の枕元に近づき、ずっと手を握って、

「お父さん、頑張って。お父さん」

 と声をかけている。

「あんた達、よく来たね。間に合ってよかった。この人は待っていたんだね。みんなが揃うのを待っていたんだよ。間に合ってよかったね」

 そう言いながら、先ほど和子は清の意識は無いけどちゃんと聞こえているはずだよ、だから声をかけてあげて、と美咲と翔太に促した。

「爺ちゃん、爺ちゃん」

 翔太はベッドの反対側にまわり、腫れた清の右足をさすりながら声をかける。

「ジィジ、ジィジ、しっかりして。美咲だよ。お見舞いにきたよ」

 美咲も一生懸命足をさすっている。

「お義父さん。お義父さんの言うとおり、家族全員で見守っていますよ」

 誠は翔太の隣で、清の右手を握っている。恵子は和子と一緒に清の左手をさすった。

 誠はふと冷静な眼で和子と恵子をみる。和子と恵子はじっと清の姿を見て立っている。その姿を見ていた誠は、ああ、この二人はもう覚悟をしっかりしているんだな、と感じた。

 おろおろしている翔太、泣き叫びそうになっている美咲とは違い、和子は少し涙ぐんだりしていたがもう気丈な姿に戻っていて恵子と清の枕元で清のことを笑いながら話をしていた。強いなあ、誠は心の中でそうつぶやいた。

 その時、清の容体が急変した。体がビクッビクッと波打ち始める。 

 ― あなた! お父さん! 爺ちゃん! ジィジ! お義父さん! 

  みんなが一斉に声を出す。そばにいた医師の権藤先生と看護師が何やら処置をし始める。清の枕元にいた和子と恵子、足元にいた美咲は、医者と看護師の後ろに一歩下がり、その様子を見守っていた。

 ベッドのそばにあった心臓の動きを示すグラフの数値や脈拍を示す数値がどんどん下がっていく。 

 ― あなた! お父さん! 爺ちゃん! ジィジ! お義父さん!  

 先ほどまで落ち着いていたはずの和子も恵子も清に向かって必死に叫んでいた。

 誠も翔太も美咲も必死に呼びかける。 

 ― あなた! お父さん! 爺ちゃん! ジィジ! お義父さん!  

 ビクッビクッとしていたか清の体が急に静まった。

 心電図がピーッと音をたてた。

 心電波が水平になる。

 数値もゼロを表していた。

 それまでバタバタと慌ただしく処置をしていた医者と看護師の動きが止まる。

 一瞬の静寂。

 そして 

 ― あなた! お父さん! 爺ちゃん! ジィジ! お義父さん! 

 その場にいた全員が叫んだ。

 一呼吸して権藤先生が

「残念ながら・・・・十三時四十五分。田端清さん、お亡くなりになりました」

 無情にもそう告げた。清が亡くなった。

 ― あなた! お父さん!

 和子と恵子が涙に咽んだ。誠は絶句した。翔太も美咲も言葉が出ない。あっという間に“死”に至る瞬間を目の当たりした誠達は、呆然とその場に立ち尽くしていた。そこにいた全員の頬は溢れ出た涙でびっしょりと濡れていた。

 誠は言葉を失いながらも清の眠りについた顔を見つめながら思った。今ここに家族全員が清の死というものに立会い、清の死を看取った。そしてその死を悲しんでいる。清と和子の最後の旅行で、清が和子に言ったという清の願いは叶ったのだ、と。

 

 清が亡くなった後、一つだけ清の願いが叶わなかったことがある。それは清の葬儀だった。清の葬儀は身内だけでなるだけ簡単にしてくれ、という遺言だったがそれを周りは許してくれなかったのだ。

 周りというのは清が会社を辞めてから通っていた、地域のボランティアの関係者である。清には生前大変お世話になったという方々が大勢いるから、と近所の方々などに言われてしまった。

 まだ心臓の病気を抱える和子に代わって、父を失って呆然としている恵子を支えながら、誠が清の葬儀などについて全ての手配を仕切ることになった。やむなく誠は近くのお寺にお通夜と告別式をお願いすると、これが想像以上の事態を起こしたのだ。

 体調が万全でない和子を休ませるため、喪服姿で葬儀社の方々などと慌ただしく打ち合わせをして、葬儀に来られた方々を迎える役目を誠と恵子が行うと、そこで誠は唖然とする。驚いたことにそのお寺の境内は想像以上の人々で一杯に埋め尽くされ、黒い服を着た人がそれこそ文字通り、黒山の人だかりとなっていた。

「何だ、この人数は」

 誠は会社の仕事上で色んな方の葬儀に出たことがあるが、ちょっとした会社の社長レベルでもこれだけの人数はそうは集まらない、と知っている。見渡すとざっと五〇〇名以上はいる。

 清はメーカーに勤めていた普通のサラリーマンだった。そして退職後、この地域に住居を構えて三年後から民生委員を始めたのだ。病気が判ってからはすでにその仕事を辞めてはいたが、十年間ほどその役目を果たしていた。

 民生委員というのは、民生委員法という法律に基づき都道府県知事の推薦により厚生労働大臣が委嘱する、非常勤の特別職の地方公務員にあたるものだ。交通費など実費が支払われるが、給与の支給は無い。

 しかし地域の住民の生活状態を把握しそれを援助することを目的とされている中、複雑な家庭事情まで入り込む必要性が求められ民生委員は、相当な人望や見識、信頼を得た人でないと務まらない役割であること、近年の個人情報保護法の問題からおこる個人世帯情報の管理の問題や、幼児虐待や若者、老人の引きこもり、妊産婦問題など多様化する家庭環境で対応も困難となってなり手も急激に減少している。

 民生委員の役割についての条文には

 ―援助を必要とする者がその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように生活に関する相談に応じ、助言その他の援助を行うこと― 

 ―援助を必要とする者が福祉サービスを適切に利用するために必要な情報の提供その他の援助を行うこと―

 とある。

 清はそれほど大きな会社に勤めていたわけではない。その清のお葬式にどうしてこれだけの人が集まるのか、と誠は疑問に思っていたが、送られた花輪を見てまた驚いた。厚生労働大臣や都知事、市長、国会議員に警視庁からのものまである。恵子もまた驚いていた。 

 二人はさらに多く送られてきた弔辞を聞いて民生委員として携わった清の長年の功績が称えられているんだ、ということを知り、納得することができた。ここに集まっている人々は皆、今まで清にお世話になった人々ばかりだったのである。参列している方々の顔を見ればわかる。義理で参加しているような顔ではない。本当に清の死を悲しみ、惜しんでいる人々が集まっているのだ。それがこの五百人という数なのだ。

 翌日の告別式も同様だった。お通夜以上の人数が集まっている。告別式にはお通夜には無かった厚生労働大臣や都、市、警察からの表彰状まで飾られていた。粛々としてそして葬儀に集まった人々が心から清の死を偲ぶ、すばらしい葬儀となった。

 

 告別式が終わった後、遅くなった昼食を親戚一同で食べ、家に戻った誠は、恵子と翔太、美咲に言った。

「考えさせられるね」

「何を?」

 ため息をついている誠に恵子は尋ねた。

「大企業に勤めていた役員などが亡くなったりしてもあれだけの人が集まったり、亡くなったことを惜しまれている人はそういない。例え人が集まっても義理で参加した会社の人ばかりだよ。俺は仕事の取引先でそう言う葬儀に何度も出席してきたから判る」

「そうよね。あなたは多い時だと月に二回も喪服を着て出かけたこともあったわよね」

 銀行員時代の誠の姿を思い浮かべながら恵子が頷くと

「人間は亡くなった時にその人が何をやってきたかということが表れるんだな、って考えさせられたよ。自分が死ぬ時、あれだけの人に惜しまれるかどうかって思うととてもじゃないけど自信ない。いや普通は無理だ」

 誠はそう言って翔太と美咲を見た。二人も頷いている。

「ジィジってすごいよね」

「爺ちゃんが本当にすごいってこと、あらためて知った」

 二人は清のことを思い出しながらまた涙を流して死を悲しんでいる。

 誠は続けてこういった。

「お義父さんのこの死は、どんなドラマよりどんな恋愛、家族小説より、どんな自己啓発書より僕の心に響いたよ。この気持ちは恵子も翔太も美咲も感じてくれたと思う。この思いを僕はやはり誰かにに伝えたい。わがままかもしれないけど、僕は決めた。前から考えていたが今日のことで決心がついた。僕は小説家になってこの気持ちを文字にして伝えたい、そう思う」

 誠の急な宣言に、恵子も翔太達も驚いた。

「な、何よ、いきなり」

 恵子が動揺して誠の顔を見る。翔太も美咲も誠の顔を見つめていたが、誠はいたって真剣な顔をしていた。

「急な話ではないんだよ。実は前から少し考えていたことでもあるし、実は今でも少しずつ小説を書いたりしていたんだ。時々、俺がパソコンの前に座ってパタパタと打ち込んでいたことがあっただろ」

 そう言えば、誠は時々パソコンで何か作業をしている時があった。一生懸命キーボードを叩いていたり、インターネットで何か調べていたりしていたことを恵子は思い出す。それがまさか、誠が小説を書いていたなんて恵子は思いもしなかった。翔太も美咲も同様だった。心を病んで体の調子も崩した清が、家の中で主夫をこなしながらも気分転換でパソコンを使っている程度だと思い込んでいた。

「家の中で主夫をするのもいいけど、いつまでも働かない訳にもいかないと思うし、だからと言ってまだ体調に不安があるから今までの様な外で働く仕事は難しいかも、って思った時、家の中でできる仕事はって考えたんだよ。その中で、会社を休んで家の中でずっと療養している間にいろんな本を読んで、その本に感動したり、励まされたりしているうちに、俺もこういう小説を書いて自分と同じように苦しんでいる人達を喜ばせたいな、って思っていたんだけどなかなか踏ん切りがつかなかったんだよ。でもお義父さんを見て決心がついた。どうせ家の中にいるなら思い切って挑戦してみようって。そしてお義父さんに少しでも近づける人になりたいなって。そしてその最初の小説をお義父さんとお義母さん

 のことを書いてみたいなって思ったんだ」

 そう話す誠の顔は、すっきりとしている。以前銀行でバリバリと働いていた頃の、あの逞しい、そして凛々しかった姿を取り戻したようであった。

 清の葬儀が無事終わり、四十九日も過ぎた後、和子もまたこの世を去った。苦しむことなく自宅で静かに息を引きとったのだ。その顔はとても安らかであったという。

 和子の手には携帯が握りしめられていた。その携帯には清が最後に残したメールが残っている。清がまだ意識があり、指が動く間に携帯を操作して文章を保存していたようだ。  

 そして意識を失う前に、もう自分の命が残り僅かであると感じた清は、和子宛にメールを送信した。清からのメールにはこう書かれていた。

「和子へ。ながいあいだ、つらいかんびょうをさせてすまない。ありがとう。さきにいってまっているよ。またあおう。あいしてる。清」

 そして、もう送り先の無い、返信のメールが和子によって入力され、保存されていた。

「清さんへ。あなたにあえてわたしはしあわせでした。ありがとう。もうすぐわたしもあなたのところにいきます。あなたにあえるのがたのしみです。わたしもあなたのことをあいしています。ずっとずっとあいしています。そしてこれからもあいしつづけます。 和子」(了)

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