第578話 消える扉
翌日、僕と山葉さんは鳴山さんが姿を消した分譲マンションを訪ねることになったた。
山葉さんのWRX-STIの後部座席には乳幼児用のチャイルドシートを二つセットしており、そこには祐太と祐樹が収まることになる。
もう一つ莉咲が使うチャイルドシートがあるのだが、助手席に僕が乗るために取り外してトランクに収納したところで、山葉さんがステアリングを握る予定だ。
僕が双子用のベビーカーを無理やりトランクルームに収納しようと四苦八苦していると田島シェフと祥さんが見かねたように手を貸してくれる。
「午前中だけなら私達が祐太ちゃんと祐樹ちゃんを見ていてもいいのですよ」
「山葉さんがそれでは申し訳ないと言うんだ。三時間程度預けるとどうしてもおむつ交換のタイミングが来てしまうからね」
おむつ交換と聞いて祥さんが沈黙し、田島シェフが双子用ベビーカーの位置を修正しながら話題を変える。
「内村さん一家も家族が増えたので、ミニバンに乗り換えた方がいいかもしれませんね」
それは僕も最近考え始めていたのだが、何分大きな買い物だけに簡単には決められない。
「家族全員で出かける機会もそうないから、もう少し先かな?山葉さんはこの車がお気に入りだし。ミニバンに今一つ魅力を感じないと言っていた」
僕と山葉さんも、それとなく自家用車の買い替えの話をしたことがあるのだが、彼女が購入を検討していたエスティマがずいぶん前に生産中止になったうえ、もう一つ候補と考えていたオデッセイも既に生産中止されていないとのことで、話しは立ち消えになっている。
何よりも彼女がWRX-STIを手放したがらないので、流石にもう一台購入する余裕はない。
どうにかベビーカーをトランクルームに収めたところで山葉さんが祐太を抱えて現れ、僕はもう一人の祐樹を連れてくるべくハイローチェアを並べてある厨房の隅に向かった。
祐樹を抱き上げると、生まれたばかりの時よりも確実に重くなっていることを実感する。
祐太と祐樹は二卵性双生児だ。
普段見ているカフェ青葉のスタッフでも、見分けがつかないくらい似ているものの、家族が見ると微妙に顔立ちが違っている。
僕が祐樹をチャイルドシートに乗せると、祥さんが真顔で僕たちに告げる。
「何か怪しいものを拾って来たら私が祓ってあげます。特にウッチーさんは半分取り憑かれた状態で戻って来ることが多いから七瀬先生の結界でも防ぎきれませんからね」
ずいぶんな言われようなのだが、僕には前科があるので反論することもできない。
「私も気を付けておく。留守にして申し訳ないがよろしく」
山葉さんはオーナーの貫禄を漂わせて祥さんに告げるとWRX-STIのエンジンをかける。
田島シェフと祥さんに見送られてカフェ青葉を後にした僕たちは、鳴山さんが消息を絶ったマンションに向かった。
ゴトー不動産の商圏は横浜を中心としているらしく今回の物件も横浜市内だった。
川崎市で営業するミニヨン二号館と事業場のパートナーになるのは妥当な選択かもしれない。
待ち合わせ場所に指定されている東横線の沿線にあるマンション近くに向かったものの僕たちはその場所を探しあぐねていた。
「だめだ、ナビ上の目的地から離れていく。通過した場所にそれらしい車は見えなかったのか?」
「おかしいですね、気を付けて見ていたはずなのに見つけられませんでしたよ」
後藤社長は既に現場に入っているはずで、ゴトー不動産の社員である田中さん達が待ち合わせ場所に来ているはずなのだが、僕たちは見つけ損ねたようだ。
WRX-STIのナビゲーションは既に目的地近くだとして案内を終了しているので、リルート設定もされない。
山葉さんは、道幅の狭いエリアで苦労しながら脇道を使って元の方向に戻った。
徐行しながら元の道をたどる間に、僕は後藤社長に教わった田中さんのスマホに電話し、田中さんはすぐに応答した。
「内村さんすいません。高中さんに呼ばれて車内に戻っている時に、内村さん達が通過するのが見えました。待ち合わせ場所はわかります」
「概ね戻りつつありますよ」
通りを間違えているのでは無いかと疑っていたが、田中さんが僕たちを視認していたならば間違いはないはずだ。
その時、僕たちの目の前に路地から少し車体をのぞかせているセダンが見えた。
以前、乗せてもらったことがある後藤社長のクラウンと同じ車種なので僕は山葉さんに速度を落とすように指示するとスマホで告げる。
「路地から出てこようとしていますね。僕たちは北東側から接近しています」
「わかりました。先導しますので後からお出で下さい」
田中さんの声がスマホから響くのと同時に、クラウンの車体が姿を現し、一瞬ハザードを点灯してから僕たちの先導を始めた。
僕たちは分譲マンションに到着すると、来客用スペースに車を止めて問題の物件に向かう。
「内村さんお子さんも小さいのに申し訳ありません。最近は後藤社長も事故物件には手を出さないようにしていたのですが、今回は怪しい気配がなかったはずなのにこんなことになってしまって」
田中さんが申し訳なさそうに説明するが、山葉さんは穏やかな笑顔で応じる。
「私はそんな時のために祈祷屋をしているのだから気にしなくていいのですよ」
今回はとりあえず、現場を見てみようと言う話だったが、山葉さんは白衣に緋袴の巫女姿でその手には式王子や榊の入った輸送用ケースを抱えている。
僕は、トランクから取り出したベビーカーに子供二人を乗せると慌ててその後を追った。
分譲マンションの玄関スペースに無理やりベビーカーを置くと僕は両手に一人づつ子供を抱えて室内に入る。
マンションのリビングルームでは先に入った山葉さんが後藤社長の説明を受けていた。
「鳴山さんがいなくなった時、僕は既存のクーラーの引き取りをお願いしていたのです。鳴山さんはこの部屋でクーラーの取扱説明書を探していたのですが、僕が別室で取扱説明書を探している間に姿を消してしまったのです」
「この住居の所有者だった方は身寄りがなく、病死されたと言うことだったのですよね」
山葉さんは僕の手から祐太を引き取ると背負い紐を使って背中に背負い、僕はそれに倣って祐樹を背中に背負うことにした。
「詳細は知りませんが、この物件が競売にかけられていた以上身寄りは無かったと思われます」
後藤社長が硬い表情で答える。
鳴山さんが行方不明になったために仕事をストップして対応しているのに違いない。
後藤社長の横には、鳴山さんが運営するミニヨン二号館の社員である神林さんも来ていた。
「今お話ししていただいた状況で鳴山さんが黙ってこの場を離れることはあり得ないですね。それに私達にも全く連絡が来ていないので何かの事故が起きたとしか考えられないのです」
ミニヨン2号館にとって鳴山さんは渉外から運用業務の大半を執り行っている中心人物だけに彼がいないと仕事にならないはずだ。
重苦しい空気の中で、山葉さんが後藤社長に尋ねた。
「この辺りの引き出しの中を見せてもらってもいいかな」
後藤社長がうなずき、山葉さんは液晶テレビが置かれたローチェストの引き出しに手をかけた。
リビングルームは生活感が感じられない雰囲気に片付けられており、この部屋の住人であった人の存在をうかがわせるものはあまりないと言ってもよい。
山葉さんは鳴山さんが物色していたと思われるローチェストの引き出しに目を付けたのだ。
僕も見守る中で、山葉さんは家電製品やクーラーの説明書類を見つけてそれを脇にあるローテーブルに積み上げていくがそのうちに絵本を手に取った。
「ここに一冊だけ絵本が残されているが何故だろう」
僕も彼女の意見に同感だった。この部屋の住人はあらかじめ部屋を誰かに明け渡すつもりであるかのように徹底して片付けていたように見受けられたからだ。
その中で絵本だけが妙に浮いた存在に思えたのだが、後藤社長は山葉さんの質問には答えなかった。
「どうしたんだ後藤さん」
山葉さんが重ねて後藤社長に問いかけるが、彼は彫像のように動きを止めて佇むばかりだった。
「山葉さん、周囲の様子がおかしいですよ。まるで妖の支配する空間に入り込んだようだ」
僕は他のメンバーに目を移して異変に気付いていた。
リビングルームの中は身動きすれば衣ずれの音が聞こえるような静寂に包まれ、僕と山葉さん、そして僕たちの背中にいる子供たち以外は時間が止まったようにその動きを止めていたのだ。
その時小さな子供がクスクスと笑う声が響いた。
「鳴山さんならここにいるよ」
リビングの壁にあるドアが開き、そこから小学生くらいの少女が顔をのぞかせている。
そして少女の後ろから鳴山さん本人がひょいと顔をのぞかせたのだ。
「あれ、内村さん達何故ここに居るのですか。後藤社長も今回はお二人を呼ぶつもりは無いと言っていたのに」
鳴山さんが僕たちに問いかけている間に、少女は小さく手を振って見せる。
ドアノブが付いた普通のドアはいきなりバタンと大きな音を立てて閉じるとその向こうにいた少女と鳴山さんの姿を遮っていた。
僕はそのドアを開けようともってドアノブに手を掛けようとしたが、そこにドアノブは存在していなかった。
そして、ドアそのものがそこに見えていたのが幻であったかのように、忽然と消え失せていたのだった。
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