第564話 ウッチーかく戦う
和幸は父の和真と同じく相当に武術の修練を積んでいたに違いない。
彼は素晴らしい反射速度で頭上を襲った僕の斬撃を自分の刀で受け止めたのだ。
しかし、片手で刀を持って頭上をカバーしたのでは、僕の刀の勢いを完全に止めることは出来ず、彼は自分の刀の峰の部分で頭部を強打していた。
頭部打撲で脳震盪を起こした和幸は自分の刀の峰が食い込んだ辺りから血を流しながら後ろによろめき、路用にへたり込む形となった。
結局のところ、カフェ青葉に押しかけた松蔭家の男たち全員が戦闘不能に近い状態に陥ったことになる。
僕の横ではカフェ青葉の結界の炎が三人の人間を覆っている。
高温の青白い炎は既に三人の身体を焼き尽くし、焼け残った骨がなお赤く熱せられていた。
生き残った和幸と豊和の様子を窺うと、豊和は立ち上がってブツブツと何かを唱えている。
何か新しく仕掛けてきそうな気配を感じ、僕は痛む身体を鞭打つようにしてもう一度刀を構えようとしたが、豊和は印を結んで何かを空中に投げる。
それは小さな紙きれで、人型に斬り抜かれた白い紙が宙を舞ったが、その行方を見失ったと思った時、そこに人の姿が現れていた。
男性と思われるシルエットは妙に頭が大きく見えたが、竹で編んだ笠、いわゆる虚無僧笠をかぶっているためで、着流しの黒い着物の腰に刀を差し、無造作に笠をかぶった姿だ。
装束としては修行として尺八を携えて暗解する虚無僧とは異なり、不気味な雰囲気を漂わせている。
「レイス、その男を殺せ」
豊和は、のどに何かが絡んだような声で短く命じた。
レイスとはスコットランドの伝承で魔術師が幽体離脱に失敗した幽霊のような存在として知られているが、陰陽師的な呪術を使って召喚した存在をそんな名前で呼ぶのは少々ミスマッチな気がする。
僕が文化人類学的観点から呑気な考察をしている間に、刀に宿っている辻斬り佐吉の霊の影響を受けている僕の身体は、躊躇なく上段から斬撃を繰り出していた。
先程の和真と同じように頭を立ち割る勢いの僕の刀を、レイスは上体を背後にのけぞらせて躱し、切断された虚無僧笠の一部が宙に舞う。
レイスは僕の刀をかわすのと同時に抜刀して横なぎに刀を振り、僕は後退して紙一重でその刀を躱していた。
日常の動作とはかけ離れた速度とパワーを絞りだされて僕の身体は過負荷が掛かってバラバラになりそうに痛む。
しかし、豊和が呼び出した、式神の類と思われる虚無僧姿の男は容赦なく僕に攻撃を仕掛ける。
その動きの鋭さは武術の素養のない僕が見ても鳥肌が立つような凄まじいもので、もしも僕自身の意思で戦えばその場で切り刻まれることは想像に難くない。
それ故、僕は自分の刀に取り憑いていると思われる辻斬り佐助の霊に身をゆだねて戦うしかなかった。
そして、辻斬り佐助の霊に動かされる僕とレイスの戦いはしばらく続いた。
剣の達人というものは互いの刀を打ち合わせて鍔迫り合いなどしないものらしく、レイスと僕は、互いの攻撃を紙一重で交わしてカウンターを狙う動きを繰り返す。
傍目には剣客同士の目にも止まらぬ攻防に見えるはずだが、僕にとっては自分の動きで首が折れたり手足が千切れるのではないかと思える想像を絶する動きだ。
その運動量は僕の心肺能力のキャパシティを遥かに超えており、僕は目がかすみ倒れる寸前まで追い込まれていた。
刀に取り憑いた霊に動かされているとはいえ、僕の身体が酸欠でダウンすればたちどころに斬られてしまうはずだ。
人ならぬ存在である式神と生身の人間が戦えば遅かれ早かれその問題は発生するはずだが、普段の僕はアスリートではないため限界に到達するのは早かった。
「もうだめだ」
自分の視界が暗くなりこのまま倒れると思った時、僕の視界を横切って何者かが目の前に立つのが見えた。
その影がレイスと激突すると、日本刀を握った片手がはじけ飛ぶのが見え、次の瞬間には虚無僧笠が宙に舞い、レイスが首を斬られたように見えた。
しかし、鮮血が飛び散る代わりにレイスの姿は消え、切り裂かれた紙切れが風に舞う。
レイスを倒した人影は路上に倒れてあえいでいる僕に太刀の切っ先を向ける。
その人影は水干姿の青年に見え、僕にはなじみのある姿に見えた。
「高田の王子!助けてくれたのか」
その人影は、山葉さんが使う最強の式王子である高田の王子だったのだ。
しかし、高田の王子は冷たい目で僕を眺めると冷めた口調で独り言をつぶやく。
「ふむ、徹殿の意識をとどめているようにも思えるし、邪霊の気配は強く感じられない。これは異なことが有るものだ」
高田の王子は困ったような表情で振り返ると、オーナーに意向を確かめる雇用者よろしく尋ねる。
「山葉殿、徹殿は完全に憑依されていたのではない。ご本人の意識が残っておりますな」
僕がなけなしの力を振り絞って高田の王子の視線の先に顔を向けるとそこにはお散歩用のマタニティドレスを着た山葉さんとカフェエプロンを付けた祥さんが立っていた。
「それは信じがたいな。今の立ち回りをウッチーが出来る訳がない。あの動きを見て、刀に取り憑いていた霊がウッチーに憑依したにちがいないと思ったのだが」
山葉さんは、除霊すべき対象物を見る目で僕を見下ろしており、優しく助け起こしてくれる気配はない。
僕はとりあえず、豊和と和幸の二人がその辺にいることを警告しなければならなかった。
「気を付けて、あと二人残っている」
山葉さんは周囲を見回すがそれらしい人影を見つけられないようだ。
「何処にいるというのだ?」
山葉さんは、相変わらず僕に取り憑いた邪霊を詰問する雰囲気で尋ねるが、隣にいた祥さんが山葉さんの腕をつつく。
「山葉さん、あそこに逃げていくのが見えます」
祥さんが指さしたのはカフェ青葉の裏にある路地を次の交差点まで行ったあたりで、和幸を担いだ豊和が、停車した黒いミニバンに乗り込もうとしているところだった。
「しまった、式神使いが残っていたのか。高田の王子、あの二人を追え!」
山葉さんが高田の王子に指示したが、僕は周囲の空間の変化が生じたことに気が付いく。
辺りから消えていた都会の騒音が僕の耳に届き、豊和が領域と呼んでいた閉ざされた空間から通常の時空に戻ったことが感じられたのだ。
豊和たちを回収した黒いミニバンは走り去り、通常の時空に戻るのと同時に高田の王子も僕たちの視界から消えた。
山葉さんは黒いミニバンが見えなくなるとおもむろに倒れている僕の横にしゃがみ込み人差し指で僕の頬をつつきながら尋ねた。
「本当にウッチーなのか?」
「他の誰だというんですか」
僕は若干不機嫌に答えるが、山葉さんは僕の頭にそっと手を置いた。
「よかった。また邪霊に乗っ取られてしまったのかと思った」
山葉さんはその顔におだやかな笑顔を浮かべ、僕は彼女が心配してくれていたことを理解したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます