忍び寄る魔の手
第559話 山葉のおやつ
午後の遅い時間に僕はカフェ青葉の厨房でパンケーキを焼いていた。
お客さんからオーダーがあったためではなく、山葉さんのおやつとして作っているのだ。
「徹さん、こちらにはカツオのたたきバーガーが仕上がりましたよ。田島シェフ特製のタルタルソース付きですからね」
祥さんがカツオのたたきを挟んだ魚介系のバーガーをトレイに乗せている。
カツオのたたきバーガーは田島シェフが考案したメニューで山葉さん考案のアジの開きバーガーと並んで魚介系バーガーとして人気を博している。
僕が作っているパンケーキは、座敷童を訪ねて東北地方を旅した時に現地のカフェで食べたパンケーキを参考にメニュー化したもので、スキレットで提供する外観の可愛らしさと相まって人気のメニューだ。
どちらも単品で食べても結構ボリュームがあるのだが、まとめておやつに提供することには少々事情があるのだった。
その時、厨房の入り口から白シャツ黒ズボンの上にカフェエプロンを付けたスタイルで小西さんが顔を出した。
「ウッチーさん、山葉さんのおやつ用のミルクたっぷりカフェラテ出来ましたよ」
「ありがとう。こちらも仕上がったから僕が持って二階に上がるよ」
僕は焼きあがったパンケーキに器に入れたベリーソースと、バニラアイスクリーム、そしてメイプルシロップを添え、カツオのたたきバーガーとカフェラテを並べててんこ盛りになったトレイを両手で抱えた。
「このタルタルソースはもしかして田島シェフがこのおやつのために作ってくれたのかな?」
カフェ青葉ではタルタルソースを作り置きしないことにしているので、ランチタイムが終わった後でタルタルソースを使う場合は新たに作るしかない。
タルタルソースは茹で卵を刻んで作るため結構手がかかるのだが、田島シェフは照れくさそうな笑顔を浮かべて答えた。
「オーナーには美味しく食べてもらいたいですからね。ピクルスを切らせていたのカレーライス用のラッキョウを刻んで入れたのですがオーナーには内緒にしてください」
田島シェフは雑な仕事はしないため、ラッキョウを刻んで入れたとしたら、それなりの味に仕上げているに違いない。
僕は田島シェフにお礼を言うとカフェ青葉の二階にある僕たちの居住スペースに向かうことにした。
「待って下さいウッチーさん。私も行きます」
厨房を出て二階への階段を登ろうとしていた僕を追って祥さんが駆け上がる足音が響く。
「祥さん、どうしたの?」
僕が尋ねると祥さんは微妙にきつい表情をして僕に説明する。
「私は今日のお昼ご飯を山葉さといっしょに食べたのですが、産後に元の体形に戻すのが大変だから沢山食べるのは気乗りがしないなんて言っていたのです。ウッチーさんをはじめとしてみんなが一生懸命に山葉さんを支えようとしているのにわかっていないなと思って」
「そんなことを言っていたのですか。妊婦検診の血液検査の結果でカロリーが足りないと言われて、食べる量を増やそうと言っているのに、本人が及び腰では困るな」
山葉さんの体調は子宮頚癌の手術の予後としては順調に経過しているのだが、お腹にいる双子の発育に食べる量が追いついておらず、カロリーが足りないために母体の組織を消耗する状態となっているのだった。
「ウッチーさんは優しいからきついことが言えないのでしょう?私がガツンと言ってあげますよ。キチンと食事をしないと黒龍様をけしかけると言ったら山葉さんも真面目に取り組むかもしれません」
「黒龍をけしかけるのはちょっと困るな」
祥さんは聞き分けのない子供に、言われたとおりにしないとお化けが出ると言って脅すのと同じノリで黒龍の話をしているのだが、僕や山葉さんにとって黒龍は恐るべき存在だった。
黒龍の呪いを受けた人々が相次いで事故死するのを目の当たりにした体験があるので、それが冗談では済まないと思えるのだった。
結局、僕は祥さんを伴って自分の居室に続くドアを開けた。
「山葉さん、おやつの時間ですよ」
僕がトレイを抱えて部屋に入ると、莉咲の世話をしていた裕子さんが山葉さんに顔を向ける。
「山葉、婿殿がおやつを持って来てくださいましたよ。しっかり食べて栄養を取るのですよ」
山葉さんは複雑な表情で僕のトレイに目を向けており、どうやら祥さんが話したとおり、産後に体形を元に戻すことを考えている様子だ。
「山葉さん、ウッチーさんを始めみんなが一生懸命準備したおやつです。全部食べてちゃんと栄養を取ってくださいよ」
山葉さんは臨月も近くなり悪阻の症状は消えているが、トレイに並ぶ食べ物を見て微妙に嫌な表情を浮かべた。
「そ、そうだな。食べないわけにはいかないのだった」
山葉さんの奥歯にものが挟まったような言葉を聞いて祥さんは少し声のボリュームを大きくする。
「産後に体形を元に戻すことを考えて、みんなの想いをないがしろにするなら黒龍様を呼びますよ」
山葉さんは助けを求めるように僕の顔を見たが、ぼくも自分が作ったパンケーキを美味しそうに食べて欲しいことは確かだった。
「子供たちのためにも、残さず食べてください」
僕が諭すように言うと山葉さんは諦めたように俯いたが、気分を切り替えることにしたらしく明るい表情で僕たちに答えた。
「わかった。我が儘は言わずに美味しく食べさせていただきます」
彼女はダイニングテーブルに着くと、おやつを食べ始めた。
「このカツオのバーガー、タルタルソースが絶妙に合っているよ。すごく美味しい!」
もともと彼女は食欲旺盛なタイプであり、カツオのたたきバーガーはあっという間に彼女の胃袋に消えた。
バーガー程度はやはりおやつでしかないと思わせる食べっぷりを見て、祥さんは満足そうな表情を浮かべる。
「やはり体が栄養を欲しがっているのだね。このパンケーキもすごく美味しいよ」
テーブルの下に来た莉咲が口を開けてみているのに気が付いて彼女はパンケーキを取り分けしてアイスクリームやベリーソースを絡めて莉咲の口に持っていくが、僕はその程度なら目くじらを立てないことにした。
山葉さんがおやつを食べ終え、祥さんが食器を回収して階下に運ぼうとしていると、建物の外から聞きなれないエンジン音が響いた。
走行状態から停車してアイドリングに入ったエンジン音は、一気筒当たりの排気量が大きいバイク特有の重低音を響かせている。
「この音は、もしかしたらお父さんのハーレーダビッドソンではないかな」
山葉さんは排気音を聞きながら小声でつぶやいた。
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