呪詛の使い手

第551話 通りすがりの陰陽師

 僕たちの家族は令和四年のお正月を穏やかに過ごすことができた。

 新型コロナウイルスの感染症は秋から年末にかけて感染者数が減少しており、カフェ営業を営む僕たちは久しぶりにまともに営業出来た訳だが、年末ごろから新型コロナウイルスの新たな変異種であるクサイ株による感染者が増加しているのが気になるところだ。

 今後、新型コロナウイルスの感染者数が増えるとしたら、感染の波としては第六波に相当する訳で、僕は都内がロックダウンを思わせる状態となった令和二年の春を思い出してうんざりしていた。

 僕はカフェ青葉の二階にある居住スペースで娘の莉咲を膝にのせて地上波テレビのニュースを見ていたのだが、隣で編み物をしていた山葉さんも同じことを考えていたらしく小さなため息をついたのが聞こえる。

「新型コロナウイルスの感染者が増えたらまた客足が減るかもしれませんね」

 僕は少し沈んだ声で山葉さんに問いかけたが、彼女は編みかけのニット帽をテーブルに置くと明るい声で僕に答えた。

「大丈夫だ。以前のように街から人影が消えるようなことはないから、スタッフに感染者が出ない限りはカフェの営業は続けられる。祥ちゃんが計画していたアルコール飲料を提供する夜の営業は無理だが、それに対するスタッフの追加配置前だったから実害は少ないのが幸いだ。祥ちゃんには悪いが時短営業に協力する形でカフェの営業に専念するのみだね」

 彼女の言う通りで、夜の営業用にスタッフを増やす前に新型コロナウイルス感染症が広まったため、二十時までの時短営業には無理なく応じることが出来るのだった。

 山葉さんが手編みしているニット帽は八割がた出来上がっており耳付きの可愛いデザインを目指していることが見て取れるが、彼女は出産予定日までにもう一つ完成させる予定だった。

 彼女のお腹の中に居る僕たちの子供は定期健診の結果、双子だと判明しており、彼女は出産するまでに二人分のニット帽を仕上げようと頑張っているのだ。

「莉咲の時と同じで、春に生まれるから暖かくなってニット帽を使う機会はあまりないかもしれないが、二人分作ってあげたいのだ」

 山葉さんは穏やかな笑顔を浮かべており、その表情にはここ二年ほどの難局を乗り切ってきた自信も窺えるようだった。

 そんな時に僕たちの居室を軽くノックする音が響き、僕が答えるのと同時にドアが開くと山葉さんの母である裕子さんが顔をのぞかせた。

 彼女は莉咲の出産前後に四国にある山葉さんの実家から手伝いのために来てくれたのだが、その後新型コロナウイルス感染症の蔓延で移動が制限された時期があり、最近では山葉さんの第二子懐妊とがんの手術のための入院もあったため、大半の時間をカフェ青葉で過ごす結果となっていた。

「お父さんが赤ちゃんが生まれる頃にここに来て滞在したいと言っているけど、差し支えないかしら。それまでに柚子の剪定を済ませて、バイクに乗ってここまで来るつもりらしいの」

 裕子さんの言葉を聞いて山葉さんは眉をひそめた。

「来てくれるのはいいけど、バイクって、ビンテージ物のハーレーダビッドソンでしょ?高速道路でエンジンが止まったりしたら大変だから飛行機で来るように言ってよ」

 四国から東京までの道のりは高速道路を使っても12時間以上かかるため、彼女の心配はもっともなものだった。

「私もそう言ったのだけど、東京を拠点に箱根にツーリングしたいとか、勝手なことを言って素直に聞き入れてくれないのよ」

 裕子さんも心なしか困った表情で答えるが、山葉さんは即座に次善策を考えたようだ。

「箱根に行くなら私のXJ400を使えばいいから、四国から来る時は飛行機を使うように言っておいて」

 裕子さんは山葉さんの言葉に納得した様子だが、少し皮肉な雰囲気で山葉さんに言った。

「そうするわ。山葉が癌の手術を受けないと言って頑張ったのもお父さんに似たのかしらね」

 山葉さんは、苦い表情で裕子さんに答える。

「いや、それはお父さんに似たわけではなくて、私なりに考えがあったのだ。ちゃんと手術も受けて再発の兆候もないのだから蒸し返さないでくれ」

 裕子さんは温厚な笑顔でうなずくと、僕の膝の上の莉咲に話しかけた。

「莉咲ちゃん、三月になったら赤ちゃんに会えるし、じいじも来るのよ。賑やかになるわね」

「赤ちゃんママのお腹の中いるよ」

 莉咲は僕の膝から降りるとソファに座る山葉さんのお腹にそっと手を置き、山葉さんは嬉しそうにその様子を見ている。

 昨年夏の状況が嘘のような平和な光景で、僕はこの和やかな時間を守るためならたとえ相手が悪魔だったとしても戦う気分だった。

 山葉さんと裕子さんは、山葉さんの父である武雄さんの話で盛り上がっていたが、ひとしきり話したところで、山葉さんは僕に振り返えった。

「そういえば、ウッチーは、明日大学院まで出掛ける予定だったよね」

 いきなり話を振られて僕は口ごもったが、たしかに出かける予定はあった。

「ゼミで使う文献が届いていると栗田准教授から連絡があったから、先に目を通しておきたいから受け取りに行くんだ。まだ冬休み中だけど研究室には入れるからね」

 僕が説明すると山葉さんは電子マネーのカードを取り出して僕に渡しながら言う。

「莉咲のおむつの買い置きが少なくなっているから帰りに買って欲しいのだ」

 僕はおむつのパッケージはかさばるのでなるべく近所で買おうと思いながらうなずくのだった。


 翌日、僕は小田急線に乗って大学院の研究室を目指した。

 僕が通う大学院は対面で行う講義を増やす方針だが、それも状況に応じて変化している。

 今後は感染者数の変化に応じて再びオンライン講義が増えることも考えられた。

 僕としてはゼミに必要な文献はキャンパスに自由に出入りできるうちに早めに自宅に運んでおきたかったのだ。

 僕は地下鉄に乗り換え、キャンパスの最寄り駅で降りて研究室を目指した。

 大学も大学院も冬休み中だが、キャンパスから通りを挟んだ向かいにはサンチョパンサという大きなドラッグストアもあるため人通りは多い。

 僕は山葉さんに頼まれた莉咲のおむつの買い物を研究室からの帰りにサンチョパンサで買うべきか、それとも下北沢界隈で物色するか迷って立ち止まったが、それは人の流れを遮ることになったようだ。

 僕の背中に通行人が軽くぶつかり、僕は自分の不注意を詫びようと振り返ったが、その人は若い男性で大きく見開いた目で僕を凝視していた。

 僕は彼が身にまとっているのが妙に時代がかった装束で平安朝の狩衣を思わせるデザインだと気付いたが、都内でその手のコスプレをしている人がいないわけでも無い。

「すいません。ちょっと考え事をしていて」

 僕はとりあえず非礼を詫びる言葉を口にしたが、男性は聞く素振りも見せずに僕の脇をすり抜けて先を急ぐ様子で立ち去ってしまった。

 僕はその男性の後姿を探そうとしたが、大した人混みでもないのにその姿はみあたらない。

 そして僕は周囲に異変が生じていることに気が付いた。

 自分以外の通行人が彫像のように動きを止めており、人だけではなく車道を走る自動車も車道で静止しているのだ。

 ほんの少し前の大通りの喧騒は静まり返り、僕自身が動いた衣擦れの音が聞こえる静寂が辺りを包んでいる。

 僕はこれまで死霊に接触して霊が支配する時空に轢きこ荒れた時とそっくりな状況だと気が付いて、辺りを見回した。

 そして、先ほどの狩衣姿の男性がこの現象の原因なのではないかと気が付いたのだった。

 僕はとりあえず先ほどの男性を探そうとして通りを進み始めたが、目の前に先ほどの男性とは別のものが飛び出し、僕の進路を遮った。

 それは、二足歩行のヒューマノイドタイプという意味では人型をしていたが、僕の尺度では人ではない存在だと思えた。

 身長が一メートルほどのそれは、茶色の髪が顔の半分ほどまで蔽い、その間から青く光る目が覗いている。

 そしてそれは自分の身長に匹敵する長さの柄の大きな木製のハンマーのようなものを抱えていた。


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