第487話 妖の少女

 隼人さんと未来さんの子供時代のおやつの話は、皆を気分悪くさせるのに十分なインパクトがあったようだ。

 カフェ青葉の店内がよどんだ暗い雰囲気に包まれたことに気づき、クラリンが口を開いた。

「さっきのパンケーキがすごく美味しかったけれど、トッピングのフルーツソースはオリジナルなのですか?山葉さんが食事の間は黙っていろとか言うから折角美味しいものを食べているのに他の人と話が出来へんかった」

 クラリンは居合わせた人々の脳内イメージを別のものに置き換えようと考えたのか先ほど食べたパンケーキの話を始める。

 山葉さんは苦笑気味にクラリンに話す。

「ごめん、それでも食事中にマスクをしていない状態で会話をすることが新型コロナウイルス感染に繋がる最もリスクの高い要因だと私は思っているのだ。トッピングのソースは硬肉種の桃を仕入れて、店内でまとめて加工した季節限定品だ」

 山葉さんが生真面目に答えている横で、居合わせた人々は思い思いにパンケーキの感想を話し始め、キツネのおやつのイメージは払拭されていく。

「私も焼き立てのパンケーキにソフトクリームと桃のフルーツソースのトッピングはすごく美味しいと思いました」

 未来さんも人間的なおやつに賛同してくれたので、僕は少なからずホッとする。

 話の中心である隼人さんは周囲の微妙な空気の変化に気づいたのか定かではないが、妖に関するレポートを続けた。

「僕がそんなことを考えた途端に、天井に張り付いていたアシダカグモは天井をすごいスピードで走ったのです。そして教室の真ん中あたりで天井から下に向けて跳んだので、僕は思わず椅子から立ち上がってしまいました」

 山葉さんは虫愛ずる姫君ぶりを発揮して隼人君に質問した。

「ふむ、土蜘蛛の類といえども糸は持っているはずだが、そのアシダカグモは糸も引かずに飛んだのだろうか、それとも天井から糸でぶら下がった形だったのだろうか」

 僕はそんなことが話の本質に影響ないように思えたので山葉さんの意図を測りかねたが、隼人さんはカフェの天井を見ながらその時の情景を思い出そうとしている様子で、やがて説明を始める。

「そうですね、糸は引いていたみたいなのですが、ぶら下がってゆっくりと折りてくる感じではなくて、いきなりピョンと飛んだみたいでした。天井から飛び降りたアシダカグモは女子生徒の机に着地すると、机の天板下の物入れスペースに素早く隠れたのです。大きなアシダカグモが天井から降ってくるのが皆に見えていたら大騒ぎになるはずですが、それはどうやら僕にしか見えていなかったみたいで、授業をしていた先生は「水谷君どうかしたのかね」とか尋ねたんです。僕はどうしたらいいかわからなくて、「天井から大きなクモが落ちてきたのです」と言ってしまったのですが、先生は「居眠りしていて夢でも見たのだろう」と言って僕はクラスの皆に笑われる羽目になったんです」

 隼人さんは悔しそうに唇をかんでおり、その時の事がかなりダメージとして残っていると思えた。

 大人しいタイプの中学生は、大勢のクラスメートの前で話す機会は少なく、レアケースとして皆の注目を浴びた時に笑われる結果となったのはショックが大きいのだ。

「ふむ、先生の発言はいいとして問題はその女子生徒ではないかな、大きなアシダカグモが自分の机に潜り込んだわけだがその女子生徒はその時どんな様子だった?」

「それなんです。彼女は山崎悦子という名前なのですが、他のクラスメートが笑っているのに彼女は僕を睨んでいたのです。そしてその瞳は金色に光っているみたいでした」

 隼人さんの話は核心に差し掛かったと思われ、居合わせた人々がしんとした雰囲気で聞き耳を立てている中で、山葉さんが犯人を捜す探偵のように質問を続けた。

「その悦子さんは隼人さんに接触を取ってきたのではないかな」

「はい、僕はその日の放課後に彼女に呼び出されたのです。それも直接僕に言うのではなくて、僕が帰宅しようとしているところに、柔道部の主将をしている高岡君がきて「ちょっと顔を貸せ」と言って引っ張って行かれたのです。高岡君は僕を人気のない自転車置き場のはずれまで連れて行き、そこで悦子さんが待ち構えていました。彼女は「あなたにはクモの姿が見えているかもしれないけれど、次にそのことを口にしたら殺すから」と言って脅し、高岡君は僕のことをつるし上げて占め技で落とそうとしたんです」

 話を聞いているとなんだか可哀そうなシチュエーションだ。

「そんな奴、兄者が振り払ったら壁に叩きつけられていただろうに」

 未来さんが小声でつぶやくと、隼人さんは涙ぐんだ目で僕達に訴える。

「前の学校で不良グループにカツアゲされそうになったので、リーダー格の生徒を振り払ったら壁に頭をぶつけて頭蓋骨骨折の重傷を負わせてしまったので、黒崎さん達に事件をもみ消してもらわなくてはいけなかったのですよ。もう僕はそんなトラブルはこりごりです。とりあえず絞め落とされた振りをしたら彼女は帰っていったので、もう金輪際近づきたくないと思っているのです」

 未来さんと隼人さんの兄妹は、自分たちが目立たないようにしているつもりでも、妙に目立って良からぬ連中に絡まれる傾向があるみたいだった。

「隼人さん、その山崎悦子という女子生徒は、巨大アシダカグモを操る妖である可能性が高い。そうでなくてもアシダカグモの妖に操られている可能性があるので山葉さんが祈祷する必要がある。彼女がその女子生徒と接触できるように協力して欲しいのですわ」

 美咲嬢がやんわりと頼むと、隼人さんは唇をかんでいたが、やがて小さな声で言った。

「美咲さんに頼まれて僕が断れるわけがないでしょう。具体的にはどうしたらいいのですか」

 隼人さんは諦めたような表情で、美咲嬢に質問し始めた。

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