第481話 アシダカグモの妖

僕と山葉さんは霊が潜む時空に引き込まれていた。

「私は体を乗っ取られてここに封じ込められていました。きっと、そこに寝ているのがその犯人なのです。私も外の情景は時々見ることが出来るので状況はあらあらかた分かっています。どうかその第二次大戦の亡霊をお祓いしてください」

彼女の言い分は理にかなっているように思えた。

淑子さんが空襲のさ中に我が子を助けたいばかりに何者かに残りの人生を差し出したのだとしたら、それ以来眠り続けているのかもしれない。

その上で、仁美さんに似た風貌の女性が自分こそが里香だと主張すると説得力がある。

しかし、山葉さんは僕とは異なる考えがあったようで冷たい視線でその女性を見つめていた。

「ほう、あなたが里香さんだと言われるのですね。それにしてはわたしが見た彼女とは微妙に違う点があるのですが」

山葉さんはシニカルな口調で里香さんに言うが、僕は山葉さんが何故そんな態度に出るのか理解しかねていた。

「何が違うと言うのですか。私は敷島里香です」

彼女は断固とした口調で山葉さんに抗議しており、僕はどうしてよいのかわからずおろおろしながら二人を見るばかりだ。

「本物との相違点を教えてやろう。お前は里香さんの記憶から彼女自身の似姿を作り上げたのであろうが、そこにはエラーがあったのだ。考えたらわかるはずだが、誰もが思い描く自分の姿というのは鏡に映った鏡像なのだ。お前は左右裏返しの里香さんの姿で私の前に現れてだまそうとしていたのだ」

山葉さんは彼女が里香さんに取り付いた邪霊であると断定したわけで、僕は彼女が激高して反論するところを想像したが、彼女が示した反応は異なっていた。

「そんなことはありませんよ」

平然とした雰囲気で答えながら彼女の顔は微妙にぼやけて、再びシャープに見た時には先ほどとは妙に違う雰囲気になっていたのだ。

僕は彼女が指摘された間違いを素直に修正してしまったことに気が付いて背筋が凍る思いをしたが、山葉さんは憤然と彼女に告げる。

「馬鹿なのか?私が指摘した間違いをその場で修正したら自らが邪霊だと認めたようなものではないか」

「いいえ、私はもともとこの姿です。そちらが見間違えたのではありませんか?」

里香さんを装う女性がシレッとした雰囲気で答えたので、山葉さんから、イラついたオーラが立ち上った。

そして、山葉さんは女性の霊を無視していざなぎ流の式王子を召喚する法文を唱え始めた。

式王子とは神ならぬ存在だが、いざなぎ流の祈祷において穢れと呼ばれる呪詛や邪霊の類を除去する役割を持った強力な使い魔のような存在だ。

山葉さんは式王子の一つである高田の王子の法文を唱えながらいざなぎ流の神に捧げる神楽を舞い始めた。

「私は里香本人だと言っているのに」

女性がつぶやいた時、僕はその背中に何かが張り付いていることに気が付き、目を凝らしてみるとそれは大きな蜘蛛だった。

脚を広げると60センチメートルはあろうかと思われるアシダカグモが平たくなって背中に張り付いているのだ。

ズワイガニサイズのクモを見たら普通なら驚いて逃げ出しかねないが、生憎僕たちは先日も巨大アシダカグモの妖と戦ったばかりだった。

その時のクモは人よりはるかに大きいサイズだったので、今回のアシダカグモは巨大と言っても、毒を持っているのでさえなければ命の危険を感じるほどの大きさではない。

慣れてしまうと平気になるもので、僕はアシダカグモの脚を掴んで女性の背中から引きはがそうとしたが、アシダカグモは僕が触ると同時に驚くほどの速さで背中から駆け下りて床を走った。

アシダカグモが走る先には山葉さんがいたのだが、彼女はゴキブリやクモの類が苦手なのだった。

「ぎゃあああああああ」

山葉さんは大きな蜘蛛が駆け寄ってくるのを見て、式王子の法文の詠唱も忘れて絶叫をあげた。

「こっちにくるな!」

アシダカグモは目にも止まらない速さで走ったのだが、山葉さんはクモに触れたくない一心でじたばたと足踏みをする。

両者の有り得ないようなスピードはたまたま彼女の足元で交差することになった。

グシャッという湿った音が聞こえ、山葉さんは唐突に動きを止めると緑色がかった透明な液体を滴らせたつま先を下にして右足をあげる。

彼女の足元では八本の脚の付け根にあたる胸部を踏みつぶされたアシダカグモが足を縮めて丸くなった態勢でピクピクと痙攣していたが、その足先から砂のように崩壊して消えていきつつあった。

「すごい、山葉さんは式王子も使わないで妖を退治してしまったんですね」

「私はこんな気持ちの悪い退治の仕方は嫌だ」

山葉さんはつま先に付着した粘度の高い液体を気持ち悪そうに畳にこすりつけているが、その横で、里香さんを装っていた女性の霊は床に倒れていた。

僕は畳の上のふとんに寝かされていたもう一人の女性が気になり屈んで覗き込んだが、その顔は妙に特徴がないのっぺりしたものだった。

揺り動かしても反応がないので僕は布団の端を掴んでめくろうとしたが女性の顔をくっつけた状態の敷布団と掛布団がセットでめくりあがったのを見て僕は思わずそれを放り出していた。

枕や女性の顔が一体化した布団もどきの物体は端から砂のように崩れて消えていく。

「どうやらそれはアシダカグモの妖が作り出したダミーだったのだな。あのアシダカグモの妖は下北沢の劇団の大道具として働いたら重宝されそうだったのに」

「そんなわけにはいかないでしょう」

山葉さんは本気とも冗談ともつかない口調でつぶやいているので僕は適当に答えてから、一連の出来事の間時間が止まったように動きを止めている阿部弁護士と里香さんを眺めた。

阿部弁護士はいつもの容貌なのだが、里香さんの顔は僕の記憶にある顔とは異なっており、山葉さんが指摘したように、僕は里香さんに取り付いて一体化した霊の容貌を彼女の顔と認識していたのだと気付いた。

僕は、倒れている女性の霊を仰向けにしたが、その顔はアルバムで見た子供時代の里香さんに通じる容貌で、時間が止まったように静止している里香さんの顔そのものだった。

「山葉さん、この人が里香さんの霊体なのではないでしょうか?妖が里香さんの鏡像を顔として張り付けていたのは淑子さんの霊や妖本体の影響で見た目が変化していたので、あえて里香さんの顔にする必要があったのかもしれませんね」

山葉さんは足先に付着したアシダカグモの体液を除去することをあきらめた様子で僕に振り返った。

「それならば、私たちが記憶を追体験した淑子さんの霊は何処に行ってしまったのだ?」

それは僕も考えていたことだった。

布団に寝かされていた女性が淑子さんの霊だったとすればつじつまが合うのだが、それはアシダカグモの妖が作り出したダミーに過ぎなかったので、彼女の行方が気になるところだ。

僕は、足を縮めて痙攣しながら消えて行こうとしているアシダカグモに目を向けた。

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