第473話 運転不適格

巨大アシダカグモが口器を広げて大きな牙が僕の胸に刺さろうとした時、叫び声が響いた。


「わああああああ」


それは山葉さんの声で、僕の頭上にあった触角の一つが切断されて落下し、重く湿った音を立てた。


山葉さんが僕の窮地を見て、床に投げ出された日本刀を手にして攻撃したのだ。


触角はクモの感覚器官であり沢山の神経が集まっているため、巨大アシダカグモは激痛に襲われて僕の上から離れて後退した。


「あっちにいけええ」


山葉さんは日本刀を振り回して巨大アシダカグモと戦っている。


虫愛ずる姫君と呼ばれていたわりにゴキブリや蜘蛛が苦手な彼女はきっと必死の思いで戦いを挑んでいるに違いない。


僕は山葉さんから日本刀を取り上げると、彼女に告げた。


「山葉さん、式王子の召喚を続けてください」


「うっちー、怪我はないのだな。私はウッチーがあいつに食べられてしまうかと思ったのだ」


山葉さんは青い顔をしているが、呼吸を整えるといざなぎ流の法文の詠唱を再開した。


僕は、今度は油断しないように日本刀を構えて巨大アシダカグモと対峙した。


上段に刀を構え、巨大アシダカグモが間合いに入れば即座にその足を切り落とすつもりで待ち受けるが、足や触覚に傷を負った巨大アシダカグモは少し用心深くなり僕に詰め寄ろうとしない。


その時、僕の横を通り抜けてついと前に出る者があった。


水干姿に太刀を佩いた平安朝の貴族然とした風貌の青年は飄々とした雰囲気でつぶやく。


「これは大きな蜘蛛じゃのう。飼いならしたら番犬よりも役に立ちそうだが、こ奴はちと邪悪なものを取り込み過ぎておる」


「高田の王子」


僕が思わずその名を呼ぶと、山葉さんが召喚した式王子は目を細めて僕に微笑えむ。


「徹殿、そなたもなかなかの武勇の輩じゃ。この化け物蜘蛛の足一つ切り落としたらその刀に銘がついて子々孫々伝えられてもよいほどの凶暴さだ。とはいえ、こ奴の始末は私に任せられよ」


高田の王子は太刀を抜くと風のように走った。


高く振り上げた巨大タカアシグモの脚をかいくぐった高田の王子は、その頭胸部に飛び乗り、硬い外骨格に深々と太刀を突き刺す。


高田の王子が太刀を引き抜いて飛び降りると、巨大アシダカグモは脚を折り畳み、丸くなって転がった。


時々痙攣するように動く巨大アシダカグモは端からサラサラと砂のように崩れて消えていく。


僕が高田の王子に話しかけようとした時、周囲の空間は通常の時間の流れに戻り、病院の待合室のざわめきが僕の耳に飛び込んで来た。


山葉さんは御幣を片手に息を切らせており、高田の王子の姿はすでにない。


僕は詩織さんが地縛霊のように捕らわれていたソファを見たがそこに彼女の姿は無かった。


「うまくいったのでしょうか」


僕が尋ねると、山葉さんは御幣をしまいながら小声で答える。


「詩織さんが意識を取り戻したのか確かめたいが彼女の居場所がわからない」


それ以上病院の待合室にいても無駄と思えたので、僕たちはとりあえずその場を離れようとしたが、僕たちの前を塞ぐように中年の看護師さんが仁王立ちしていた。


「あなた達、公共の場で何をしているの。ここは病気の人達が診察を待つための場所なのに、そんなことをして迷惑だと思わないの」


山葉さんはゴキブリやクモを目にしたときのように僕の後ろに隠れ、僕は言い訳するように看護師さんに説明した。


「すいません、知り合いの詩織さんという人の意識が戻るように祈祷をしていたのです」


看護師さんは詩織さんを知っていることを伺わせる表情の変化を示した。


「ああ、交通事故で意識が戻らない高校生の方ね。だからと言ってここで踊っていいわけではありませんよ」


僕は彼女の剣幕が収まるのをひたすら待つしか手はないと気づき、無言でお小言に耐える態勢に入ったが、僕たちの脇をすり抜けるようにして若い男女が駆け抜けるのが見えた。


「こら、あなた達も病院内を走ってはいけません」


「すいません、友人の意識が戻ったと知らせが入ったものですから」


走りながら看護師さんに謝る女性と、その隣で振り返って看護師さんに頭を下げる男性の顔には見覚えがあった。


それは詩織さんの記憶を追体験したときに見た榛さんと、詩織さんの意中の人だった正和さんだったのだ。


榛さんと正和さんがエレベーターホールに消えるのを見送って看護師さんは再び僕たちを振り返ったが、彼女はかなりトーンダウンしていた。


「いいですか、もう二度と待合室でふざけるような真似はしないでくださいね。私はあなた達の顔を憶えたから、今度やったらこの病院に立ち入らせませんからね」


看護師さんは相当に無茶なことを言っているが、そのおかげで気が済んだ様子で僕たちを放免した。


「私にとってはさっきのクモに匹敵するくらい怖かった」


山葉さんは僕の後ろに隠れたままでボソッとつぶやき、僕は彼女でも苦手なものがあることがなんだかおかしかった。


「今走り去った二人は詩織さんの同級生なのですよ。後をつけてみませんか」


僕の言葉を聞いた山葉さんは、俄かに興味を示す。


「友達が意識を取り戻したと言っていたが、詩織さんのことかもしれない。後を追うんだ」


僕たちは、二人の行方を見定めるためにエレベーターホールに急ぎ、幸いにも二人が乗ったエレベーターが六階に止まったことを確認できた。


僕たちは六階まで行き、詩織さんの部屋に行ったと思われる榛さんと正和さんの行方を探したが、探すほどのことも無く二人の行方は判明した。


榛さんの大きな声がエレベーターホールまで響いていたからだ。


僕たちはさりげなく榛さんの声がする病室の前まで行き室内の様子を窺う。


その部屋は四人部屋で、部屋の入り口にドアはないため室内の様子を覗き見ることが出来るのだが、そこではベッドに半身を起こした詩織さんと、それを囲む榛さんと正和さん、そして詩織さんの母親らしき姿が見えた。


榛さんがうれし泣きしながら声高に話す声が廊下まで漏れていたのだ。


「どうやら僕たちは当初の目的を達したようですね」


「うむ、私たちにとっては彼女はもともと赤の他人なのだから、意識を取り戻したことを確認できたらこれで十分だ。このまま引き上げよう」


山葉さんの言う通りで僕たちは詩織さんと面識すらなく、通りすがりに彼女を助けただけなのだ。


僕たちは一円にもならないボランティア活動を繰り広げたのだが、達成感を感じながら病院を後にしたのだった。


数日後、室井さんがカフェ青葉を訪れた。


室井さんは僕が提供した心霊的な手段で知り得た情報を交通事故の捜査に活用し、捜査が進展したと礼を言いに来たのだった。


「内村さんが教えてくれた場所を再捜査した結果、被疑者が運転していた乗用車の微細な塗料片を検出することが出来ました。そのうえ、被害者が意識を取り戻して、事故当時都道を直進していて追突されたと証言したので被疑者の偽装工作を暴くことが出来たのです」


僕と山葉さんは、正義が貫かれたことを知って嬉しかったものの、事故の加害者のその後が微妙に気になっていた。


彼の生霊がクモの妖と合体した存在を僕たちは滅ぼしていたからだ。


「事故の加害者は偽装工作がばれたことで、偽証をあきらめて反省しているのですか」


僕は、自分の考えていることとはあえて違う内容で室井さんに質問したが、室井さんは肩をすくめて見せた。


「それが、内村さんに情報提供していただいた日に加害者は乗用車の誤操作で立体駐車場のフェンスを突き破って三階の高さから地上まで落下して即死してしまったのです。かなり高齢だったこともあるし、不注意な運転が多かったようですから自動車の運転などするべきではない人だったのですね」


僕は、自分たちが手を下してしまったような気がして手放しで喜べる話ではなかったが、山葉さんはクールにつぶやいた。


「いい加減な運転をするドライバーに事故に巻き込まれる不幸な人がいなくなったのだから喜ぶべきかもしれないね」


「結果的にはそうですが、私達としては加害者に反省を促すことが出来なかったのが残念です」


室井さんは山葉さんに答えると他意のない笑顔を浮かべてカフェラテを口に運ぶ。


僕としては、巨大アシダカグモによって地縛霊のようにされていた詩織さんが日常を取り戻すことを祈るだけだった。


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