第469話 空間マップの記憶

僕と山葉さんが地縛霊となった詩織さんの霊にどう対処しようかと相談していると、病院の受付からアナウンスが流れた

「内村山葉ちゃん、清算窓口までおいでください」

アナウンス担当の人は相変わらず山葉さんをキラキラネーム持ちの子供と勘違いしているようだが、僕たちはとりあえず治療代を精算するために窓口に行かなければならなかった。

僕が清算窓口に行こうとすると、待合室のソファに戻っていた詩織さんの霊はもの言いたげに僕たちを視線で追っているのがわかる。

「山葉さん、詩織さんは僕たちを認識しているみたいですよ」

「私もそう思うが、接触したらダイレクトに記憶が流れ込むのでは、対面的な会話による意思疎通ができないな。私としては彼女が現状をどう認識しているのかと、彼女があそこに縛り付けられている原因を調べるために会話的なやり取りをしたいのだ」

彼女の言う通りなのだが、霊が存在している時空と僕たちが生きている世界は時間の流れが異なるため、彼女が存在する時空間に僕たちの意識が遷移しなければ会話することは難しい。

それゆえ、僕は彼女に接触を試みたのだが、その結果が彼女の記憶の奔流にさらされて、おそらく彼女が死に至った直前の記憶を追体験してしまったのだ。

僕と山葉さんは病院の清算窓口で治療代、詳しく言えば初診料と診察費に加えて検査費用の個人負担部分を支払い、僕は現実のタスクを優先して山葉さんに告げた

「とりあえず、薬局で薬を貰ってしまいましょうか。その後でもう一度詩織さんの霊の所に行きましょう」

僕は当初の目的である山葉さんの胃潰瘍治療を薬の受け取りまで完結させておかないと地縛霊への対処のために彼女が肝心の自分の治療を忘れてしまわないかと心配になったのだ。

「そうだな、とりあえず薬の受け取りを済ませよう」

山葉さんは何時になく素直に僕の意見を聞きいれて処方箋を手に薬局を探しているので、僕は彼女を病院から道路を挟んだ向かいにある処方箋薬局まで案内した。

薬局では数分待たされただけで処方箋薬を受け取ることが出来たが、山葉さんはその量の多さに驚いた様子だ。

「こんなにたくさん薬を飲まされるのだな」

「僕の聞いた話では、胃酸の分泌量を押さえたりして胃潰瘍の回復を促す薬らしいですよ」

僕はわずかとはいえ先に治療を始めているので先輩顔をして山葉さんに説明し、僕たちは処方箋薬局を後にした。

本来なら薬を持って自宅に帰ればよいのだが、僕たちは詩織さんの霊に対処するために再び病院の待合室に戻った。

薬局を出ると、山葉さんは小さな声でいざなぎ流の祭文をつぶやき始めていた。

その祭文は僕の記憶が正しければ、「みこがみ」の祭文だった。

待合室に戻り詩織さんの霊が縛り付けられているエリアに戻ると詩織さんは相変わらず僕たちを目で追っている。

山葉さんは小声で「みこがみ」の祭文を唱え続けていたが、詩織さんの霊の前まで来てさらに祭文を唱え続けた。

本来なら、いざなぎ流の神々に捧げるための神楽を舞うところなのだが、山葉さんは病院内でトラブルになることを避けるために努力しているようだ。

彼女は最近状況に応じて祭文の最後の部分、つまりコンピュータープログラムで言えば実行コマンドに相当する「りかん」の言葉だけを使うケースや、神楽を省略する場合もあるのだが、省略した分は時間がある時に律義に神にささげる神楽を舞って埋め合わせをしているのだ。

山葉さんは祭文をあらかた唱え終えると、「みこがみ」の祭文の「りかん」の言葉を唱え、悪目立ちしないように気を込める。

詩織さんの霊は白い閃光に包まれると同時に忽然とその姿を消した。

「おかしいな。私は彼女をこの場所に縛り付けているくびきを取り外したつもりだったのに」

山葉さんが言葉通りにその能力を振るったとしたら、少なくとも詩織さんの霊がこれまで縛り付けられていたソファの周辺から移動が可能になるはずなのだが、詩織さんの霊はその姿すら見えなくなってしまったのだ。

「本来彼女が行くべき場所に移動してしまったのでしょうか?」

僕の質問に山葉さんは首をひねる。

そもそも、僕自身も彼女に尋ねたところで答えが出るとは思っていない。

「例えば、彼女が自分の家族が住む家に帰れたのだとしたら、私の祈祷は目的を達したと言えるのだが、この状況では確かめようがないな」

山葉さんも煮え切らない思いを抱えているようだがそれ以上手の打ちようがなく、僕たちは自宅に帰るしかなかった。

病院の駐車場から山葉さんがWRX-STIのステアリングを握り、僕たちの自宅を兼ねているカフェ青葉を目指したのだが、山葉さんは微妙に機嫌が悪い。

「私はなんだか納得がいかない気分だ、あの場所に地縛霊化していたくらいなのだから詩織さんなる女子高校生が交通事故死したと言う事実はあるはずだ、帰ってからそれらしい事故の記録がないか調べてみよう」

僕はWRX-STIの助手席で山葉さんが話すのを聞き、同じ気分を共有したので彼女が指摘した通りに、スマホで過去の交通事故の記事検索をすることにした。

マスメディアでは交通事故の被害者や刑事犯罪の被害者は実名で報道されるため、詩織さんなる女子高校生が最近交通事故死したのならば、比較的容易に事故の日時や場所が特定できると思っていたが、検索しても彼女の死亡記事は見つけることが出来なかった。

「おかしいな。交通死亡事故の検索で特定できると思ったのになかなか見つかりませんね」

僕がつぶやくと、山葉さんは運転中なので視線を前に向けたまま僕に指摘する。

「彼女が死亡したのは最近のことではなくて、実は数十年前のことだったと言うことはないだろうか。平成の初期とかなら一見現在と変わらないように見えて、インターネットすら普及していなくてネット検索しても当時の記事は見つからないと言うのは十分考えられることだ」

山葉さんの言葉に僕は納得しかけていたが、彼女は僕が追体験した記憶の中でスマホの地図ソフトを使っていたことを思い出した。

スマホの仕様やアプリのバージョンを考えても、数年前のことならそれとなく違和感が付きまとうはずだが、彼女が使っていた地図アプリの記憶は最新のものだったと思えた。

「山葉さん違いますよ。彼女が使っていたスマホやアプリの仕様を考えると、つい最近のことだと思われます」

僕は山葉さんに告げながら、彼女が事故に遭遇した場所がおぼろげに思い浮かぶ気がしていた。

死者の記憶を追体験する場合、その人見当識に由来する空間マップを僕も共有することになる。

人によって自分がいる場所を認識する空間マップは異なっており、場合によっては僕にとっては全く理解できないこともあり得るのだが詩織さんの空間把握は僕にとっても理解しやすいもので、鉄道駅を基点とした自己位置の感覚は僕にも共有できるものだった。

そして、その記憶に基づいて、彼女の記憶がブラックアウトした場所が特定出来るような気がしたのだ。

「山葉さん、次の信号で左に曲がってください」

山葉さんは僕の言葉を聞いて、ちらと僕の顔に視線を向けた。

「何か手掛かりをつかんだのだな」

山葉さんが期待していることが感じられるため、僕は詩織さんの記憶を頼って交通事故現場を目指さざるを得なかった。

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