第466話 家族内感染
カフェ青葉の建物は店舗と住居を兼ねている。
僕は苦手な病院から戻り、ほっとする想いで二階の住居部分に続く階段を上った。
僕たちの居室に入ると、授乳が終えたところらしく莉佐はベビーベッドで眠っていた。
眠っている莉咲の口でおしゃぶりがチュパチュパと動いているのが可愛らしい。
「ウッチー診察の結果はどうだったのだ?」
山葉さんは、どことなく面白そうな表情で僕に尋ね、僕は少々疲れた気分で彼女に答える。
「活動期の胃潰瘍だと診断されました。胃カメラで見たら胃壁に穴が開いているのがわかりましたよ。そのうえ、ピロリ菌検査も陽性でした。これから数週間の間投薬治療を続けて胃潰瘍を治療したうえで、抗生物質を使ってピロリ菌の除菌を行うそうです」
僕は医師に説明されたままに山葉さんに伝えるが、山葉さんは少し気落ちした雰囲気でつぶやいた。
「そうか、それでは私も病院に言って診察を受けなければいけないな。新型コロナウイルス感染症のために営業自粛等を始めてから一年以上になるが、私はずっと胃が痛い思いを抱えていたのだ。今にして思えばウッチーにピロリ菌をうつされていたのかもしれない」
山葉さんの話ぶりでは、僕はまるでバイ菌の塊みたいな雰囲気なので僕は反論した。
「ピロリ菌は胃の中に居るのだからそう簡単には感染しないでしょう」
「いいや、医療関係の記事を読んだところ、経口感染すると書いてあった。よもや身に覚えがないとはいわせないぞ」
山葉さんが少し舌を出して見せたので僕は諸々の記憶を呼び覚まされて微妙にたじろぎ、傍目には少しばかり赤面していたかもしれない。
「すいません」
僕が小声で謝ったのに対して鷹揚にうなずきながら山葉さんは言った。
「明日辺り診察に行きたいから、予約を取ってくれ」
僕は無言でうなずくと、スマホを取り出して山葉さんの名で予約を取り、病状を聞かれたので自分の場合と同じように胃の痛みがあると告げる。
電話の応対をしている女性は、おそらく病院の事務の人だが、僕の場合と同じように診察前日の注意事項を告げた。
「明日の午前中で予約が取れましたよ。今夜の9時以降は何も飲食してはいけないと言っています」
僕が注意事項を伝えると、山葉さんは神妙な顔でつぶやいた。
「なんてことだ、晩御飯をしっかり食べておかなくては」
僕はすっかり胃潰瘍の話に気を取られていたが、山葉さんの病院行が確定したため、もう一つ気がかりなことが有ったのを思い出していた。
「そうだ、病院のロビーで見てしまったんですよ」
山葉さんは僕の口調だけでそれが何を指しているか察したように言う。
「例の黒い影がいたと言うのならば、それは病院という場所にはつきものなのだから仕方がないと思うしかないな」
「いや、それもたくさん見えたのですが、地縛霊化した幽霊が待合室にいたのです。それも、僕と目があったらそのことに気がついて何かを伝えようとしていたので、普通の幽霊とは少し様子が違うと思って気になっていたのです」
山葉さんは、興味を持った様子で身を乗り出すと僕に重ねて尋ねる。
「ほう、それは面妖な話だな。私たちが見ることが出来ても基本的に幽霊というものは私たちが生きているのとは違う時空に存在している。それ故、私たちが接触しない限りはこちらの存在に感知しないでただそこに存在しているだけの場合が多いのだ。視線が合ったくらいでウッチーに気が付いて話しかけようとするのはレアケースだと言えるな」
彼女が理屈っぽく解説することで、僕は病院で見た幽霊が気になっていた理由が明らかになった気がした。
「明日は僕も病院まで付き添うから、その幽霊の素性を確かめてもらえますか。僕はなんだかあのまま放置してはいけないような気がしていたのです」
山葉さんは微笑を浮かべて答える。
「いいとも、立ち居振る舞いが違う理由を調べた上で、浄霊することが出来たら病院を利用する人や幽霊ご本人のためにもなるだろう」
彼女は自信のある表情で僕に告げるが、やがて別のことに考えが及んだらしく眉毛をハの字にした情けない顔を僕に向けた。
「ウッチー、胃カメラってどんなものなのか教えてくれ」
山葉さんのテンションの低下は眠っていた莉咲にも伝わり、莉咲がぐずり始めたので、僕はべビーベッドから抱き上げてあやしながら自分の胃カメラ体験を山葉さんに伝えた。
しかし、山葉さんの気分は僕の話を聞いてさらにネガティブな方向に振れた様子だった。
翌日、僕と山葉さんは莉咲の世話を裕子さんに頼んで病院に出かけることになった。
胃潰瘍の疑いがある奥様が診察に行くのを、同じく胃潰瘍と診断を受けた僕が付き添って行く訳だ。
僕はカフェ青葉の裏口からWRX―STIを出すとゆっくりとしたスピードで病院を目指した。
「そういえば、莉咲の保育園の入所について何の連絡もありませんね」
僕と山葉さんは莉咲が一歳を過ぎたのでそろそろ日中は保育園に預けることを検討しているのだが、入園したくても定員枠が空くまで待たなくてはならない、いわゆる待機児童という状況になっているのだ。
「丁度いいよ、幼児の場合無症状で新型コロナウイルスに感染している事例もあるようなので、新型コロナウイルスの感染が下火になるまでは入園許可が出ても少し遠慮したいくらいなのだ」
彼女の考え方ももっともなのだが、一歳になるまでは面倒を見ると言う話で四国から来てくれた山葉さんの母、裕子さんも莉咲の一歳の誕生日から早二か月以上も滞在を伸ばしている状態なのだ。
「やはり、巷の新型コロナウイルス感染症が治まるまでは新しい動きは取りづらいですね」
僕がつぶやいた言葉に、山葉さんは無言でうなずいた。
病院に到着すると山葉さんは怖いとか心配そうと言う表情を通り越して無表情になっていた。
彼女は筋金入りの病院嫌いなのだ。
病院のロビーでは僕たちは問題の地縛霊がいる辺りから遠く離れた席に座って山葉さんの診察の順番を待った。
やがて、看護師さんが呼ぶ声が響いた。
「内村山葉ちゃん」
看護師さんは山葉という名前を今どきの子供のキラキラネームの一種と誤解したみたいで、小さな女の子を呼ぶような声色で呼んだが、山葉さんはぶすっとした表情で立ち上がると僕に告げる。
「行ってくる」
顔所の後姿が診察室に消えると、僕は地縛霊のいる辺りの様子を窺った。
すると、僕の視線に反応するように、女子高校生の地縛霊はまっすぐにこちらを見返す。
僕は素早く目線をそらすと山葉さんが診察を終えて戻ってくれるのを待つしかなかった。
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