第463話 祥の帰還

小西さんが玲奈=祥さんを連れて大講義室に入り、講義が始まったのを見届けると、僕と山葉さんは一旦二人から離れた。

「いいのかウッチー、私たちの目が届かなくなった時に彼女が逃亡を図ったら、再捕捉することは困難になるかもしれない」

山葉さんは心配そうに僕に尋ねる。

彼女にしてみれば、祥さんの身体を乗っ取った死霊がその体を支配したまま、逃走することを心配しているのだ。

「僕は彼女の記憶に触れてその記憶を追体験したのです。彼女がそんなことをするとは思いません」

僕は内心その件を心配しつつも、彼女を擁護せざるを得ない。

そして、そのことについて多くの言葉を費やすよりも山葉さんにこれからの作戦の詳細を説明する方が近道だと判断したのだった。

「とりあえず、僕たちはこちらのカフェテリアでお茶でもしながら講義終了を待つことにしましょう。あの講義室からはこのカフェテリアから見える通用口以外は廊下を建物の端まで歩いたところにしか出入り口がないため、ここから見張っていれば小西さんと玲奈=祥さんが出てくるのを確認できます。万一他の出入り口に向かった場合は小西さんが連絡してくる段取りです」

「ふむ、それはわかるが、例えば彼女が小西さんを鈍器で殴って昏倒させてから逃亡を図った場合は、私たちの目に触れない出入り口から逃げる可能性もあるということだ」

山葉さんは相変わらず懐疑的なので、僕はため息をつきながらカフェテリアに案内する。

大学のカフェテリアはオーダーした品物をトレイに乗せ、レジでお金を払って自分でテーブルに運ぶスタイルで、お昼時になれば大勢の学生が集まるが講義中の時間帯は閑散としている。

僕は二人分のコーヒーを買うと屋外に置かれたテーブルに山葉さんを案内して、テーブルに座った。

「僕は彼女の記憶を追体験したので、彼女の気持ちをある程度理解していると思います。彼女が大学受験を頑張るきっかけとなったのは高校生の同級生の黒磯良太君がお見舞いに来たことだったのです」

「ほう、それでは彼女は良太君が行く大学に行きたかったということなのかな」

山葉さんは俄かに興味を覚えた様子僕に尋ねる。

「いえ、もともと彼女の志望校はここだったのですが、クラスメートの良太君がたまたまAO入試で先に入学を決めていたから、大学に行くと言う目的意識をさらに強化したのだと思います。そこで、彼女が大学生活を体験する場として良太君が講義を受けている講義室を選んだのです」

山葉さんは何時になく感心した表情で僕の顔を見つめた。

「しかし、この大学は学生数も多いのにどうやって良太君が履修している講義を探しだしたというのだ?」

僕は自分がこの講義室に到達した経緯を話すことにした。

「AO入試は全ての学部で実施しているわけではないので、自ずと探す範囲は狭まります。その上で、彼女の志望学部で網をかけた結果黒磯良太君がいると思われるクラスはほぼ特定できました。その上で、そのクラスの学生が必須科目として全員が履修している講義を選んで小西さんに案内させたのです」

「そうか、憧れの大学でクラスメートに再会したら彼女の願望を達成できる可能性は高いわけだな」

山葉さんは納得したらしくゆったりと椅子に座って空を見上げた。

キャンパスの木々は新緑の葉を茂らせ、吹き抜けていく風は木々の葉を涼しげに揺らす。

「たまには外に出て空を見るのもいいものだね」

山葉さんは空を見ながら、のんびりとした口調でつぶやき、ぼくも一緒に空を見上げる。

「新型コロナウイルス感染症のおかげで不要不急の外出を控える傾向が強くなりましたからね。早くあの病気の流行が治まってくれればいいと思いますよ」

玲奈さんが命を落としたのは、白血病で抵抗力が落ちたところで肺炎に感染したためなのだが、病状が悪化した際に体外型人工心肺装置が使えなかったことがダメ押しになった感が強い。

その時、問題の大概型人工心肺装置が新型コロナウイルス感染症の患者のために使われていた可能性は高かった。

新型コロナウイルス感染症という疫病の蔓延が無ければ、玲奈さんがこの大学の新入生としてキャンパスを歩いていたかもしれないと思い、僕の心には残念という単語一つでは言い表せないような様々な感情が浮かんでは消えていく。

それでも、よく晴れた空と、さわやかな気候のおかげで僕たちはカフェテリアのコーヒーを片手に心地の良い時間を過ごすことが出来た。

大学の講義の時間は九十分と長いが、僕と山葉さんは暇つぶしに他愛のない会話を交わすうちにいつの間にか小西さん達が受講している講義の終わりを告げるチャイムが響いた。

講義室からは学生たちが次々とキャンパスにあふれ出てくる。

「これからどうするつもりなのだ?」

山葉さんは眉間にしわを寄せて、学生の群れを見つめているが、今の彼女は霊視能力を発揮しているわけではなく、近眼で遠くが見えづらいためのようだ。

「黒磯良太さんを見つけて、小西さんにその位置を連絡するつもりです。玲奈=祥さんをさりげなく良太さんに引き合わせたいのです」

「なるほど、講義室から出てくる人すべてを視界に収めるために、この場所を選んだのだな」

山葉さんは僕の意図を理解してくれたが、僕自身は講義室からの人波の中に良太さんを探すことに必死だった。

やがて、僕は小西さんが玲奈=祥さんを伴って歩く姿を視野に捉え、小西さんは当初の予定通りに通用口から出入りする人を見渡せる建物の壁際に立った。

当然ながら小西さんは黒磯良太さんの顔などわかるわけがないので、僕が良太さんを発見して小西さんに伝え、彼がさりげなく玲奈=祥さんを良太さんの前に誘導するという連携が必要となるのだが、そのためには僕が良太さんを発見することが不可欠だ。

やがて僕は、良太さんらしき人影を発見した。

玲奈さんの記憶の中では彼は高校生だったのだが、少なくとも半年以上経過した今、大学生となった彼は少し垢ぬけて見えた。

チノパンとTシャツの上にパーカーを羽織った、葦田大学のスタンダードのような服装だが、ヘアスタイルが変わって少しこなれた印象となっているのだ

「山葉さん、彼がいましたよ。今入り口の階段を降りている人です」

「そういわれても、私には判然としないな」

山葉さんにわからないのが当たり前の話で、僕は苦笑しながら小西さんにメールでこっそり連絡を取ろうとしたが、その時良太さんは予想外の行動をとった。

彼は何故か真っ直ぐに小西さん達の前まで歩いて行き。玲奈=祥さんに話しかけたのだ。

「どうして彼が玲奈さんを認識できるのだろう?偶然にしては出来過ぎている」

僕が驚いて呟くのを尻目に、山葉さんは席を立とうとしていた。

「ターゲットが動いたのだから、私達も近くに行って様子を見よう」

山葉さんは慌ただしく出口に向かい、僕は自分たちが飲んでいたコーヒーのカップをトレイと一緒に返却口に返して彼女を追った。

小西さん達の近くに行くと、良太さんは玲奈=祥さんにしきりに謝っているところだった。

「すいませんでした。ここにいるはずがないのだけれど、僕の知り合いにそっくりに見えたので思わず声を掛けてしまったのです」

良太さんは気の毒なくらい恐縮した雰囲気で玲奈=祥さんに謝罪の言葉を繰り返しており、彼が普通ではないテンションで玲奈=祥さんに詰め寄ったことを伺わせる。

「いいのですよ。すごい勢いで迫ってきたからちょっとびっくりしましたけど。私がお友達に似ていたのかしら」

玲奈=祥さんは微笑を浮かべて良太さんに応えている。

彼女は状況を把握して、人違いで呼び止められた見知らぬ大学生の役を上手く演じていると思えた。

「ええ、高校の同級生が一緒に入学する予定だったのですが、彼女は入学直前に病死してしまったのです」

良太さんはもはや打ちひしがれた雰囲気で答えているが、玲奈=祥さんは楽しそうな表情で彼に重ねて質問する。

「さっきの様子を見て思ったのだけど、あなたはその子のことが好きだったのでしょう?」

良太さんは俯いてしまったが、それでも小さな声で答えた。

「ええ、そうです。彼女は白血病で長期入院していたけど、白血病は回復して大学受験にも合格したすごい奴だったんです。一緒に大学に行けるのを楽しみにしていたのでつい見間違えてしまったのですね」

良太さんの言葉を聞いて玲奈=祥さんの頬が少し紅潮したのが見て取れた、同時にむず痒いような感覚と弾んだ気分が僕の心に進入する。

それはどうやら玲奈さんの心に浮かんだ強い感情が周囲にいる僕たちにも伝わったようだった。

「もう気にしないでください。そんな大切な人に間違えていただいて光栄なくらいですよ」

玲奈=祥さんがやさしい雰囲気で告げると、良太さんはもう一度お辞儀をしてから逃げるように去っていく。

良太さんの後姿を見送った玲奈=祥さんは僕と山葉さんの姿を認めると嬉しそうに言った。

「彼の居場所を探してくれたのですね。本当にありがとうございました。祥さんが頼りになると言っていたのは本当だったんだ」

彼女は嬉しそうに僕に告げ、山葉さんも微笑を浮かべて僕の顔を見ている。

僕は面映ゆい思いで彼女に答えた。

「どういたしまして」

玲奈=祥さんは無論祥さんの顔をしているわけだが、普段は見たことがないようないい笑顔を浮かべてキャンパスのイチョウ並木の梢とその上に広がる青い空を眺めた

「ここに来られてよかった」

その時、五月の気持ちの良い風が吹き抜けてイチョウの葉がザワザワと揺れた。

空を見上げていた彼女は視線を降ろすと、周囲を見回して怪訝な表情で僕たちを見ると言った。

「あれ?ここはどこなんですか?私は確か玲奈ちゃんの部屋にいたはずなのに」

山葉さんは眉間にしわを寄せて霊視能力を使いながら彼女の様子を窺ってからぼそぼそとつぶやいた。

「どうやら祥さんに戻ったようだな。玲奈さんは良太君に仄かな恋心を抱いて、そのために闘病生活と並行して受験勉強も頑張っていたにちがいない。ウッチーの気配りのおかげで彼女は思いが満たされて天に登ったのだ」

山葉さんはクールな人なのだが、その目には涙が浮かんでいた。

「そういうことだったのですね。ウッチーさんがいつになく気の利いた対応をしてくれたおかげで私も元に戻れたわけですね」

祥さんが先ほどとは少し違う笑顔を浮かべてぼくに絡み、僕はいつものように答えた。

「いつになくが余計だよ」

山葉さんは祥さんのかたにそっと手を置くと、優しく言う。

「玲奈さんは無事に神上がったみたいだが、帰ってから私が祈祷してあげよう。これからはあまり無茶なことはしないでくれ」

祥さんは殊勝にうなずいて、僕たちはいつもの日常に戻った。

それですべては円満に解決したわけだが、僕は四人でキャンパスを歩いていると、メンバーが一人かけているような気がした。

そしてそれが、ほんの一日の間だけれど身近に存在した玲奈さんの霊が居なくなったためだと気づき、心の中で彼女の冥福を祈るのだった。











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