第425話 未来との接点

僕たちは山葉さん特製のパンケーキにソフトクリーム&ベリーソースを添えたセットを食べ終え、カフェラテを楽しんだ後に、おもむろにマスクを着用するとツーコさんが担当するクライアントの話を始めた。

最近は山葉さんが感染防止対策にうるさくなり、うっかり食事中に口をきこうものなら白い目で見られるのだ。

ツーコさんは無粋なマスクを着用し、マスクのために少しくぐもった声で説明を始めた。

「私が担当しているクライアントは岩本雪ちゃんといい、小学校の2年生なのです。母親は紗希さんといわれるのですが、紗希さんが娘さんのことを発達障害ではないかと疑って来所されたのです」

それ自体はよくある話で珍しい事例ではないはずだった。発達障害は病名の頭文字をとってADHDとも呼ばれるが、発症率は五~十パーセントと言われており、小学校の教室に児童が四十人いればそのうち少なくとも2人は程度の差こそあれ発達障害を持っていることになる。

「発達障害とみられている症状が霊障に起因しているという話なのですか」

僕が口を挟むと、ツー子さんは話を最後まで聞けというように首を振り、続きを話し始めた。

「それが、雪ちゃんには多動性や学習障害などの症状は見られず、知能検査の結果も高い値を示しているのです。私は母親の紗希さんが訴える症状が雪ちゃんには顕著に見られないために困惑するばかりでした」

僕は話の行方が分からなくなり、おとなしく彼女の話を聞くことにした。

「霊が取り付いているというのは、その雪ちゃんという女の子なのだな」

山葉さんが尋ねると、ツー子さんは答えを求めるように美咲嬢に顔を向け、美咲嬢はよどみなく答えた。

「それが違うのでございます。着かず離れずという訳ではないのですが、その霊が付きまとっているのは明らかに母親の紗希さんなのです。そして夫の祐樹さんがいる時に確認してもその傾向には変わりがありませんでしたの」

美咲嬢が話し終えると、ツー子さんはため息をついて僕たちに告げた。

「霊障か定かではありませんが、私は雪ちゃんよりもむしろ母親の紗希さんがカウンセリングを必要としているように思えるのです。しかし、本人から症状の訴えが亡ければ無論そんなことは出来ません。私としては霊を排除して紗希さんが正常な思考ルーティンに戻ってくれることを祈るしかないのです」

山葉さんは彼女の言葉を反芻するように目を閉じていたがやがて眼を開けてツーコさんに尋ねる。

「美咲さんがその母親に付きまとう霊を排除したことが有ると言っていたが、霊が戻るまでの間も母親の振る舞いに変化はなかったのかな」

ツーコさんは面白くなさそうな表情で山葉さんの問いに答えた。

「美咲先生が霊を除去したと言った時から、その後元通りに戻ってしまった時まで、冷静に彼女の同行を観察したつもりですが私の目から見て特段の変化はありませんでした。本当のところは母親が単なる代理ミュンヒハウゼン症候群なのではないかと思っているのです」

僕はツーコさんがすでにカウンセラーとして一人前の域にあるような気がして妙に焦燥感に駆られた。

僕がオンライン授業しか受けられず、なし崩しに博士課程に進学を決めた間に彼女は美咲嬢の元で実地に指導を受けて春からは就職と共に臨床心理士として活躍することが明らかだ。

しかし、居合わせた人々は僕の内面など気づくこともなく、話を続ける。

「それでは、私は母親に付きまとう霊の正体を突き止めて、戻ってこないように浄霊すればよいのだな」

山葉さんが尋ねると、ツーコさんはゆっくりとうなずいて答える。

「はい、疑わしい要因は順番に取り除いていくことが雪ちゃんのためになると思います。彼女は大人しくて聡明な子供なのに、母親は周囲の人々に彼女のことを脳に障害があるなどと、まるで精神薄弱者のように吹聴しているのです。そのために雪ちゃんは少なからず傷ついて自分の殻に籠りそうになっています。私は一刻も早く母親の悪影響を排除したいのです」

ツーコさんは真剣な眼差しで山葉さんに訴える。

「ふむ、それではその母娘に会ってみることが必要だが、その辺の段取りは美咲嬢に任せたらよいのかな」

美咲嬢は目を細めて答えた。

「それはお任せくださいませ。今日はパンケーキをごちそうになり、ツー子さんが抱える案件も解決の糸口をつかんだとしたら正月早々嬉しいことですわ。今回の件は私の依頼としてこれでお願いしたいと思いますの」

美咲嬢は今時珍しい小切手帳を取り出すとサラサラと金額を書きつけて山葉さんに渡す。

「私の出張お祓いの規定料金よりも多いようだがいいのかな」

「私にとってそれだけ重要な案件だということですわ。それ故問題解決をよろしくお願いしたいと存じますわ」

美咲嬢は立ち上がって優雅に一礼すると、面談の日時は後程伝えると告げたが、テーブルの上に置かれた破魔矢に目を止めた。

「この鏑矢、良い音で飛翔しておりましたが、縁起物として販売されるのかしら」

「一本三千円で絶賛発売中だよ。私たちが霊の支配する時空間に閉じ込められた時に莉佐が柳瀬春香ちゃんと共に成長した姿となって現れて、この矢を射て助けてくれたので、その時の記憶を頼りに製品化したのだ」

山葉さんの説明は言葉足らずだが、事情通の美咲嬢は理解してくれた様子だった。

「あら、春香ちゃんも私たちのカウンセリングセンターに来た折に、莉咲ちゃんに会いたいと口走っていましたわ。」

僕と山葉さんは莉咲と共に現れた振り袖姿の春香さんを思い出して顔を見合わせる。

「あなた方に異存が亡ければ、機会があったら彼女を連れてくることにしましょう。当初はこのお店にも立ち寄る話でしたが、何分コロナウイルス感染症の問題が有るので彼女のご両親が不要不急の訪問を避けていたのですわ」

僕たちの話は理解できないはずだが、莉咲はハイローチェアに座って機嫌よく美咲嬢の顔を見つめている。

「それはもちろん歓迎するよ。莉咲もきっと喜ぶはずだ」

山葉さんが答えると、美咲嬢は妖艶な笑みを浮かべた後、破魔矢を売って欲しいと僕に告げる。

結局美咲嬢たちは人数分の破魔矢やお守りをお買い上げの上で帰っていった。

「こうして未来へとつながっていくのだな」

山葉さんは、垣間見た未来と現実が繋がりつつあるのを実感するようにしみじみとつぶやいた。


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