第381話 計画的な門限破り
「車を動かそうにも僕たちはお酒を飲んでしまっていますけど」
僕は管理事務所の男性に難色を示すと、彼は事も無げに答えた。
「このキャンプ場内のアクセス道路は公道ではありませんので、飲酒状態で移動しても道路交通法違反に問われることはありませんが、酔っぱらって自信がないようでしたら私が運転しますよ」
そう言われると僕たちも反対することは出来ず、男性が僕たちのWRX-STIを運転して安全な避難先まで移動したが、熟睡中を起こされた上に雨のしぶきが掛かった莉咲はぐずり始めた。
管理事務所の男性が避難場所として指定した建物は、ちょっとしたイベントが開催可能なホールで、床をフラットにすると相当な面積だ。
僕たちはそれぞれが毛布や断熱シートをあてがわれて、ホールの隅に陣取る。
スマホの雨雲レーダーの画像によると周辺エリアは時間雨量が80ミリメートルを超える紫色で覆いつくされている。
それだけの雨量をもたらす雨雲は、スーパーセルと呼ばれる巨大積乱雲の場合が多い。
上空に冷たい空気が入って大気が不安定なこともあり、雨と共に激しい稲光と雷鳴が立て続けにキャンプ場を襲った。
しかし、気持ちよく眠っているところを起こされた上に、雨のしぶきも浴びてご機嫌斜めだった莉咲は、僕に抱えられているうちに再びうとうとと眠り始めていた。
「この子、ものすごく大物かもしれませんね」
雷鳴をものともせずにすやすやと眠っている莉咲の顔を眺めて僕は感心したが、山葉さんは微笑する。
「お父さんに抱っこされているだけで安心できるに違いない」
僕は子供は無条件に親を信頼しているものだと改めて思い知らされたのだった。
避難所となったイベントホールには他のグループも次々と避難して来る。
人影が少ないとはいえ、僕たち以外に数組のグループが宿泊していたわけだ。
避難してきた人々は休日をバンガローやテントでゆったりと過ごすはずだったのに、一か所に押し込められる羽目になり皆一様に不機嫌な様子だが、大雨が原因とあっては表立って不満を口にする人もいない。
「皆さん、ご不自由をおかけして申し訳ありません。このキャンプ場は上流域で土石流が発生した場合も安全な場所に建設されておりますが、想定を超える雨量が観測されたため安全が確認されるまではこの状態で待機をお願いします」
管理事務所の男性が状況を説明し、イベントホールに避難した人々は無言のままで各自の場所でじっとしている。
僕は近くに陣取った男性のグループに僕たちの所に着火用具を借りに来た男性の姿があることに気づいた。
その集団の中にボーイスカウト姿の少年の姿も見えるが、グループに年かさの人もいて子供を連れてきたのだろうかと思い僕はあまり気に留めなかった。
僕はエアークッションの上に子供用の布団を敷いて、そっと莉咲を寝かしつけた。
山葉さんは二人分の寝袋を車から持ち出して使う準備を始めた。
キャンプ場の管理者は、災害避難時の準備もしていたらしく、避難した人々に段ボール製のパーティションを配布したのである程度のプライバシーも確保できそうだ。
「当分はここで待機する羽目になりそうだから、寝てしまうのが一番かもしれませんね」
「私もそう思う。上流域で相当な降雨があったはずだから、そう簡単に安全を宣言することは出来ないはずだ」
僕たちは莉咲を挟んで川の字の形で寝る準備を始めた。
僕は山葉さんに莉咲の見守りを頼んでからトイレに行こうと避難場所となったイベントホールから外に出ようとしたが、先ほど見かけたキャンプサイトの利用者の一団が何事かもめている様子だった。
「隆一、車が大事なのはわかるけど無茶なことはしないほうがいいよ。置いてある場所だって河原に置いてあるわけではないから明日の朝になっても無事かもしれないだろ」
「そうだよ、もし浸水しても車両保険でカバーできるはずだろ、取り敢えず身の安全を確保したほうがいいと思うな」
グループは乗り合わせてきた様子で、自動車の持ち主が駐車場の浸水を心配しているが、他のメンバーは口々に安全な場所にいるように諫めている。
「だって、納車したばかりなのに水に浸かったら悲惨だろ。俺はちょっと様子を見てくる」
隆一と呼ばれた男性は仲間の制止を振り切ると傘を持って避難所となったイベント用の建物を後にする。
ボーイスカウトの制服姿の少年も無言でその男性の後に続いて建物を出て行くのが見えた。
僕は、キャンプ場の駐車場と谷川の位置関係を思い浮かべた。谷川と言っても大きな山脈の麓だけに河川敷の幅は二十メートル程もあった。
そして、駐車場はオートキャンプ場だけにそれぞれのバンガローやテントサイトの近くに確保されている。
テントサイトが少し低い位置にあると言っても、川床から数メートル上にあるテントサイトまで水没することはまずないはずだ。
もし被害を受けるとしたら、谷を埋め尽くすような大規模な土石流が上流から押し寄せてきた時だが、今回の集中豪雨でキャンプ場の管理者が万一を心配して利用客を避難させたのは、その土石流災害を想定したと思え、自動車を斜面の上まで持って来たいという考えは理解できる。
僕が用を足して戻り、山葉さんが入れ替わりにトイレに立った時、隣にいるテントサイトの利用者グループから、先ほどの男性を心配する声が聞こえていた。
「隆一の帰りが遅いよ、真治、ちょっと様子を見に行った方が良くないか」
「そうだね、下まで行けば対岸も見えるはずだから行ってみるよ」
真治と呼ばれたのは、僕たちからガスバーナーを借りた男性だった。
真治さんは、仲間の捜索に行く前に僕のいる場所に近づいた。
「あの、このガスバーナーありがとうございました。おかげで助かりました。」
真治と呼ばれていた男性は僕が貸したガスバーナーを返却に来たのだった。
真治さんからガスバーナーを受け取りながら僕はさりげなく尋ねた。
「いいえ、お気になさらずに。ところで、こちらまで聞こえてきたのですがお友達が下に降りて戻ってこないのですか」
「ええ、すぐに戻ると思っていたのですが、遅くて心配なので様子を見に行くところです。橋を渡るのは危ないからよせばよかったのに」
真治さんの言葉を疑問に思って僕はさらに尋ねた。
「駐車場はテントを張る場所の横にあるのではありませんか?」
真治さんは苦笑しながら答える。
「このキャンプ場は門限があって、割と早い時間にゲートを閉めるでしょう。隆一はバーベキューが終わった後で物足りなくて街に行きたくなるかもしれないと言って、早めに車をキャンプ場のゲートの外、川を渡った対岸の空き地に隠していたのですよ」
僕は少々あきれるとともに納得した。
彼らは、街に夜遊びに出るために車を隠していたので、キャンプ場の管理者にそのことを言いそびれていたのに違いない。
その挙句に心配になってこっそりキャンプ場内に移動させようとしていたのだ。
「そうですか。お子さんも一緒だから心配ですね」
僕が何気なく返した言葉に、真治さんは怪訝な表情を浮かべた。
「お子さんって何のことですか。僕たちは全員独身ですよ」
今度は怪訝な表情を浮かべるのは僕の方だった。
「あなたたちのグループの中に、中学生くらいの背格好でボーイスカウトの制服を着た子がいるので気になっていたのです。さっき車を取りに行かれた方が建物を出るときにそのボーイスカウト姿の子も一緒に出て行くを見たので、その方のお子さんかなと思ったのですが」
僕の言葉を理解した真治さんの顔から血の気が引いて行くのがわかった。
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