第331話 河川敷のミステリーサークル

僕は永井家に残っていた思念から追体験した記憶の場所と同じ場所にたどり着いので、記憶の中の真一さんの行動をなぞれば本人の居場所にたどり着けないだろうかと僕は考えた

僕は永井家のキッチンで追体験した記憶を必死で思い出そうとする。

「永井家に残っていた思念の中でこの場所を見た覚えがあります。真一さんの行方を記憶からたどってみます」

僕は記憶の中の風景を思い起こしながら踏み分け道を歩き始め、山葉さんは僕に続いて歩きながら言った。

「タイムラグがあるから、本人にたどり着くのは無理かもしれないが、何らかの手掛かりはえられるはずだ。頑張ってくれ」

「すごいですね。物に残っていた記憶と同じ場所にたどりつくなんて」

小西さんが、褒めてくれるのをどこか遠くの出来事のように感じながら僕は一心に見覚えのある風景を探していた。

そして、人の記憶にありがちな距離感の短縮や、注意を払っていなかった箇所が記憶では欠落していたために幾度もルートを見失ったが、真一さんが歩いた道をどうにか辿っていく。

「真一さんを探し出したとしても、彼がどうやって永井家に侵入したのかという謎は残りますね」

小西さんがもっともな感想を漏らす。

最近、俊樹さんが気配を感じた際には、永井家は厳重に戸締りして外部から侵入することは困難な状態だったのだ。

「私もそれは気になっていた。以前に侵入した際に合い鍵を作った可能性も考えたが、ホームレスが合い鍵を作ることまでするとは思えない。もう一つの可能性が無きにしもあらずだが」

山葉さんが言い淀んでいる時に、僕は見覚えのある灌木を見つけた。

葦原の上に一本だけ抜きんでているところや、その枝ぶりなどが永井家の台所に染み付いていた思念の記憶と一致するのだ。

僕たちが歩いていた河川敷の道路からその灌木のあたりに通じていると思われる踏み分け道も見受けられる。

僕は踏み分け道をたどり、灌木を目指した。

「僕は島根にいる時でもこんな草むらに分け入ったことは無かったですよ」

小西さんが背後でつぶやくのが聞こえる。

東京生まれの僕が草むらをかき分けて歩いた経験があるはずもなく、僕の両手はいつの間にか葦の葉の縁で切られて血がにじんでいた。

僕の背丈を超える草むらの中は、草いきれでむせ返るようだったが、その中に異なる臭いも混じるようになった。

何とも言えない嫌な臭いで、どこかで嗅いだことが有るのだが何の臭いかは思い出せない。

その臭気が次第に強くなった時、最後尾にいた山葉さんが叫んだ。

「ウッチー、進んでは駄目だ、止まれ」

僕は彼女の声に素直に反応して足を止めたが、上半身は唐突に途切れた葦の茂みから開けた空間に飛び出していた。

そこは葦の茎を足で踏み倒してできた広場だった。

遠くから見えていた灌木の株元から数メートルにわたって葦の茎が踏みしだかれて敷き詰められた様は、上空から見ればミステリーサークルのように見えるに違いない。

そして広場を形作る床の部分には葦の茎だけでなく、腐臭を放つ男性の遺体が横たわっていた。

「うわああああ」

僕は思わず大きな声を上げて後退し、後ろにいた小西さんにぶつかった。

「どうしたんですか、ウッチーさん」

「死体があるんだよ。それも人間の死体だ」

僕たちのやり取りを聞いた山葉さんは僕と小西さんの襟首をつかんで強引に後ろに引っ張ったので僕たちはよろめくように後退する。

「早く離れるんだ。死体に付着したコロナウイルスは活性を保っているかもしれない」

僕は彼女に言われて初めて自分が置かれている状況に気づいた。

そこに存在する死体が新型コロナウイルスの感染によって死亡したものならば、僕は新型コロナウイルス患者と濃厚接触するのに匹敵する感染リスクに直面していたのだ。

河川敷の道路まで後退すると、山葉さんはアルコールのスプレーを取り出して自分の両手や服の表面に惜し気無く振りかける。

彼女は小西さんにも同様にアルコールを散布すると次に僕にもアルコールをかけようとしたが、僕の両手に血がにじんでいるのを見て愕然とした表情を浮かべた。

「何でことだ、傷を作った上にウイルスを振りかけるなんてまるで感染させるために接種しているようなものだ」

「え、それじゃあ新型コロナウイルスにかかってしまうんですか」

僕は文字通り血の気が引く気分だった。

山葉さんがあれほど感染対策をしていたのに、迂闊なことをして感染してしまっては彼女の努力が水の泡になってしまう。

「うむ、乾燥した草の表面ならそう長い時間ウイルスは活性を保てないはずだ。かろうじてセーフだが、念のためウッチーは別室で寝起きしてもらい経過を観察しよう」

「そ、そんなあ」

ストレスのたまる日常の中で、生まれたばかりの莉咲のしぐさや表情を見るのは僕にとって大きな楽しみだ。

別室に隔離されては僕のささやかな楽しみが削がれてしまう。

「念のため二週間我慢して家庭内別居しよう。他ならぬ莉咲ちゃんのためだ」

僕は大きくため息をつき、小西さんは自分の両手が無傷なことを確かめながら山葉さんに聞く。

「かろうじてセーフでなかったらウッチーさんはどうなっていたのですか」

「安全が確認できるまで、お店に出入り禁止だ」

山葉さんは愛娘の莉咲の安全のために妥協は許さないつもりのようだ。

僕は死体と遭遇してしまったショックと、感染リスクにさらされて山葉さんに家庭内別居勧告されたショックから立ち直ると、死体発見を警察に通報した。

緊急通報からパトカーが到着するまでに十分もかからず、二人の制服警官のうち一人は顔見知りの室井さんだった。

室井さんは僕たちの顔を認めると人懐こい笑顔を浮かべながら言う。

「内村さん、こんな時期に不要不急の外出はいけませんよ。それに変死体を見つけて通報して来るなんてどういうことですか」

室井さんは坂田警部の部下で、霊が絡んだ事件で協力したことがあるのだ。

室井さんは同僚の警察官と僕たちが教える現場に向かおうとしたが、山葉さんは二人を制止した。

「その遺体は新型コロナウイルスに感染していた可能性がある。ウイルスは死体のように湿った環境では長時間活性を保つとされているから、防護衣なしで検分するのは危険だよ」

二人の足は止まり、室井さんの同僚は無線でお応援を要請し始めた。

二人はとりあえず遺体がある現場までの通路を確保するべく葦を刈り始めたが、赤色灯を点灯したパトカーを見て寄ってきた人影があった。

僕はその顔を見て、永井家のに残されていた思念の記憶で修二さんと呼ばれていた人だと気づく。

人の記憶にはバイアスがかかっているので、僕の目で見た修二さんと記憶の中の修二さんの容貌は微妙に異なるが、同一人物であることは判別できる。

きっと、真一さんが尊敬の念を込めて修二さんを見ていたため、記憶の中の修二さんは微妙にリファインされたイメージなのだ。

僕の目に映る彼は薄汚れた作業服のような衣服を身にまとい、伸びた髪と髭が気難しそうな雰囲気を醸し出していた。

「何が起きたのですか」

修二さんは僕の近くに来て尋ねるが、山葉さんは彼の動きを見ながら微妙に立ち位置を変えて一定の距離を保っている。

僕は、修二さんに事実を告げた。

「この茂みの向こう、あの灌木の下あたりで死体が発見されたのです。ホームレス風の男性でした」

僕の言葉を聞いた修二さんは、灌木を目印に葦の茂みをかき分けて進み始めた。

室井さんはそれに気が付くと、草刈を中断して修二さんを制止する。

「一般の方は近寄らないでください。ウイルスに汚染されている可能性もあり危険です」

「この辺で死んでいるとしたら、俺の知り合いかもしれないんだ。確認だけでもさせてくれ」

修二さんの言葉に室井さんは困ったような顔で、僕に助けを求めるように振り返った。

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