第313話 残された夫

指輪を発見した次の日、カフェ青葉の2階には巫女の装束に身を包んだ若い女性が佇んでいた。

「まあ、山葉の服がぴったりなのね。このまま巫女さんが出来るくらい似合っているわよ」

巫女の装束に身を包んでいるのは沼さんだ。

着付けを手伝った裕子さんは、まるで自分作品を自慢するように話すが、巫女姿の沼さんは不愛想な雰囲気で応じた。

「いえ、私はクリスチャンですから巫女として仕事をするわけにはいきません。今回は山葉さんを手伝うためのコスプレということで、神様にお許しをいただきます」

僕たちは幽霊となって産婦人科医院の病棟に現れる美登里さんの結婚指輪を発見したので、美登里さんの夫である勇太さんに連絡を取り、山葉さんの病室まで呼び寄せることになったのだ。

勇太さんは、美登里さんが出産中に死亡したことを病院の過失だと信じて、主治医の菱沼先生と病院を訴えようとしている。

そんな状況下で、勇太さんをうまく誘い出し、娘さんと一緒に山葉さんの祈祷を受けさせるという困難なミッションが僕たちに課せられたのだ。

「そもそも、旦那を呼び出す必然性がないと思うのですが。幽霊の所在が分かったのだから浄霊してしまえばいいのですよ」

沼さんは死霊を見つけたら即刻除霊しなければならないとする持論に基づき、指輪にいるはずの霊を徐霊したがるが、僕は廊下で遭遇した美登里さんの表情を思い出して反論した。

「彼女は心残りがあるからこそこの世に霊として現れるんだ。その心残りを取り除かないと浄霊はうまくいかない」

僕は確信がある雰囲気で沼さんに断言したが、本当は確たる勝算があるわけでもなく、山葉さんに頼まれたままに準備を進めているのだった。

「それでは、おっしゃる通りにしますから幽霊の旦那のところに行きましょうか」

沼さんはドライな雰囲気で僕に促す。

沼さんを起用したのは、勇太さんに僕の面が割れているので、僕が勇太さんと面談した場合、話も聞いてもらえずそのまま門前払いされる可能性が高かったからだ。

ぼくは、沼さんをWRX-STIに乗せると、勇太さんの自宅を目指した。

山葉さんの実母の裕子さんはタクシーで山葉さんが入院している産婦人科医院に先回りし、祈祷に必要な「みてぐら」等を準備してくれることになっている。

勇太さんの住居は車で十分ほどの距離で、僕はマンションの来客用スペースに車を置いて、沼さんと共に勇太さんの部屋を目指した。

沼さんは事前に打ち合わせをした通りに部屋に直通のインターフォンで来意を告げる。

「私の知り合いが産婦人科に入院しているのですが、あなたの奥様のものと思われる指輪を見つけたのです。心当たりがあれば少しお話したいのですが」

インターフォンの向こうでは微妙な間があり、戸惑ったような声で返答がある。

「本当に妻の指輪なのですか」

「現物は持って来ておりませんが、写真で確認をお願いします」

勇太さんは、沼さんに部屋まで来るように告げた。

山葉さんが考えたシナリオは事実に沿ったシンプルなもので、詐術を使って勇太さんを誘い出すようなものではない。

要するに、沼さんのためにこれまでの事実関係を整理してセリフの流れを準備しただけなのだ。

僕たちが到着し、マンションの玄関を開けた勇太さんは、沼さんの後ろに立つ僕の顔を認めると、表情を険しくしてドアを閉じようとしたが、沼さんはドアに足をはさんで閉まらないようにした。

「だましたな。病院関係者が俺に何の用だ」

剣呑な雰囲気に変わった勇太さんに沼さんが告げた。

「この人は病院関係者ではありません。奥さんが出産されたばかりで病院に面会に来ていただけです。そして、たまたま指輪を見つけて届けに来たのですよ」

「それにしては事情をよく知っている雰囲気じゃないか」

勇太さんが疑うように僕の顔をにらむので、僕は指輪の写真が表示されたスマホを勇太さんに見せながら山葉さんのシナリオに沿って説明を始めた。

「僕の妻は陰陽師をしており、彼女は部下です。出産のためにあの病院に入院していたのですが、廊下で入院患者と思われる人の幽霊を見かけたのです。その原因を探すうちにこの指輪を発見したのですが、この指輪をお祓いして供養するときには家族の方にも立ち会っていただきたいと言っているのです」

勇太さんは少し態度を軟化させると、僕のスマホの液晶に映し出された指輪を見つめる。

「これは確かに妻の美登里の指輪です。でも、幽霊の話を持ち出した上で、お祓いをしてみせたからと言って病院への追及の手を緩める気はありませんよ。そもそも指輪を持って来てくれればいい話じゃないですか」

勇太さんがにやりと笑うのを見て僕は自分がいら立つのを抑えられない。

「確認してもらうために来たのですよ。病院に来てくれたら指輪はお返しします」

勇太さんは僕の言葉をあまり信用していない様子でつぶやく。

「美登里の幽霊なんて話をでっちあげて俺を誘い出し、寄ってたかって説得して訴訟を止めさせようとするのではないでしょうね」

「幽霊の話は本当なのです。僕も見たのですから」

勇太さんはじっと僕の目を覗き込んだ。

「見たというなら、美登里はどんな姿をしていたか教えてくださいよ」

僕はため息をついて勇太さんに説明を始めた。

「僕は最初入院患者の人かと思ったのですが、彼女は細かい花柄のパジャマの上にカーディガンを羽織った姿で廊下にいたのです。そして、出産したものの自分の赤ちゃんに会わせてもらっていないから早く見たいと言っていました」

勇太さんは僕の言葉を聞いて動きを止めた。

「美登里が入院当時に来ていたものくらい当時の看護師に聞けばわかるはずだ。しかし、そこまで話を作る意味が分からない」

「だから、本当に美登里さんの霊を見たのですよ。お嬢さんと一緒に祈祷に立ち会ってください」

沼さんが業を煮やしたように勇太さんに言うと、勇太さんは半信半疑なままに僕たちの申し出を受ける気になったようだ。

「その祈祷とやらは何時するのですか」

「あなたが良ければ今からでもいいです」

僕は彼がその気になっているうちに病院に連れて行こうと身を乗り出す。

「わかった、娘と一緒に出掛ける準備をするから少し待ってください」

勇太さんがドアを閉めると、僕はどっと疲れが出た気がした。

「どうにか来てくれるみたいだね」

「危うく門残払いにされるところでしたね」

僕が小さな声でつぶやくと沼さんは無表情に答えた。

数分後に勇太さんは先日僕が見かけたのと同じ、小さな女の子を連れて現れた。

僕は勇太さんにさりげなく尋ねる。

「お嬢さんのお名前はなんというのですか」

「智佐子です。二歳になったばかりなんです」

勇太さんは、気分を切り替えたらしく温厚な父親の表情で僕に告げると笑顔さえ浮かべて智佐子ちゃんと手をつなぐ。

「病院まではどうやって行きますか」

勇太さんが尋ねるので、僕は車で来たので送っていくと彼に告げて勇太さん親子を駐車場まで案内し、WRX-STIに乗せ山葉さんが待つ産婦人科医院まで急いだ。

病院に到着してから、山葉さんがいる病室に二人を案内するのは微妙に気を遣うものだった。

病院関係者と勇太さんが鉢合わせしてトラブルになってしまっては元も子もない。

僕は駐車場から病院のロビーに入る前に沼さんに頼んだ。

「沼さん、受付と待合室の間をうろうろして僕たちから目をそらしてくれないかな」

「ええ?嫌ですよこんな目立つ格好で待合にいる人の前をうろうろしたら目立っちゃうじゃないですか」

沼さんは当然だが僕の要請を嫌がったが、僕は何時になく食い下がった。

「僕が勇太さん親子をエレベーターに乗せるまで病院関係者の目を引いてもらいたいんだ」

沼さんは、逡巡している様子だったがやがて僕に告げた。

「わかりました。でも私がするのはゆっくり歩いて病院の受付を通り過ぎてその後で非常階段から三階の山葉さんの病室に直行しますからね」

「それで十分だ」

僕が答えると、沼さんはきりっとした表情で病院の受付に向かって歩いて行く。

僕は勇太さんと智佐子ちゃんを案内してエレベーターに乗るとほっと一息ついた。

「あんたは本当に病院関係者ではなかったんだな」

勇太さんは僕と沼さんのやり取りを見ていたらしく、僕の顔を見ながら意外そうにつぶやいた。

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