第312話 隙間に挟まっているもの
幽霊を見かけた翌日、僕は山葉さんの病室に付き添いに出かけた。もちろん裕子さんも一緒だ。
産婦人科医院の廊下に現れる女性がこの世に対して感じている未練の内容を知って、僕は彼女をどうにかして慰めてあげたいと思うようになった。
山葉さんも同じように感じている様子で、ベッドに横たわりながら時折天井を見つめて考え込んでいる。
「ウッチー、私はもう一度、昨日見た幽霊の遺留品探しをしてみようかと思う」
僕は、彼女の気持ちが手に取るようにわかり、少し微笑ましい気分になった。
「僕もそう思っていたところです。遺留品探しは僕がやるから山葉さんは体に障らないようにゆっくり休んでください。」
山葉さんは僕の顔を見ると、嬉しそうな表情を浮かべる。
「それではウッチーにお願いしようか。でも、彼女を神上がりさせるときは私にやらせてくれ。沼さんには悪いが、同じ病院で出産したママ友として彼女をきちんと送ってあげたいのだ」
僕も彼女を慰霊し、無事に神上がりさせたいと思っているが、山葉さんはそのことに使命感すら感じている様子だ。
その時、裕子さんが僕たちのいる病室に戻ってきた。
「あの人の名前がわかりましたよ。橋詰美登里さんという方のようです。そして、菱沼先生を訴えようとしている旦那が、橋詰勇太さん。徹さんの推理どうりで、美登里さんが亡くなられたのは2年近く前とのことです」
裕子さんは、看護婦詰め所で情報収集していたのだ。
彼女の物柔らかなキャラクターは聞き込み相手の気を緩め、情報を引き出すのに適している。
「お母さんもたまには役に立つんだね。ウッチーは生真面目すぎて話を聞き出すのには向かないのだ」
山葉さんのセリフに僕と裕子さんは微妙に気を悪くする。
「失礼な。私はいつも役に立っておりますよ。ねえ婿殿」
裕子さんがむきになって菅井さんモードで僕に訴えるが、僕は自分に対する指摘が当たっているので口答えもしないで黙ったままだ。
僕はむすっとした雰囲気で立ち上がると、山葉さんに告げた。
「美登里さんの遺留品を探しに行きます」
山葉さんは、口を滑らせたことを悟ったのか、無言で僕を見送った。
廊下に出た僕は、遺留品を探すと言ったものの、新たに探す場所はあまりない。
所在なく廊下を行ったり来たりしながら、床を眺めていると後ろから聞き覚えのある声が響いた。
「ウッチーさんさっきから何をうろうろしているのですか」
僕が振り返ると、そこには紙袋を手にした木綿さんが立っている。
僕は少し気恥ずかしくなって、言い訳をするように彼女に説明した。
「実はこの病棟には幽霊が出るんだ。僕たちはその幽霊の身元を突き止めたが、きちんと浄霊するには廊下のこの辺りにあるはずの、幽霊の遺留品を見つけなければならないんだ」
木綿さんは僕の言葉に怪訝そうにつぶやいた。
「幽霊の遺留品ってどういうことなのですか」
僕は彼女の疑問に気づいて言い方を変える。
「要するに、今では幽霊になっている人が生前に使っている品物がこの辺りに残されている可能性が高いということだよ」
木綿さんは納得した様子で僕と並んで病院の廊下の床を眺め始めた。
「丁度居合わせたから私も探しますよ。何を探せばいいのですか」
木綿さんは自分の荷物を廊下のソファの上に置くと、熱意のある表情で僕に尋ねる。
「それが、その品物が何か僕にもわからないんだ」
「はあ?」
木綿さんはあきれたような声を出す。
「それじゃあ探しようがないじゃありませんか。このソファとか、窓枠だってその可能性があるわけですよね」
僕は、何と答えたらいいか迷った。
「それでは、その遺留品とやらは、いつからこの辺りに放置されているのですか」
彼女の問いに、僕はゆっくりと答える。
「おそらく2年ほど前だと思う」
木綿さんは、大仰に両手を広げて見せた。
「そんなに前から同じものが床に転がっているわけがありませんよ。あるとすれば小ぶりな品物がどこか小さな隙間に挟まっているとかそんな感じかしら」
彼女の言い分はもっともだった。僕は廊下の途中に防火用のシャッターの設備があることに気が付いた。
シャッターの壁際や床と接する辺の部分には、シャッターをロックするための溝が付いている。
僕は床に埋め込まれた溝の中を覗き込むが、光線の加減でよく見えない。
顔の角度を変えたりいろいろやっていると不意に、溝の中に白い光が差し込んだ。
それは木綿さんが自分の小型LEDライトを取り出して照らしてくれたのだった。
「冬場は夕方帰る頃、暗くなっているので、自宅の玄関のかぎを開けるために持ち歩いていたのです」
木綿さんは淡々とした表情で溝の中を照らすが、その内部は意外ときれいで何も見当たらなかった。
シャッターの溝を端から端まで調べても、内部は小ぎれいでごみ一つ見当たらなかった。
「意外と整備が行き届いているのですね」
木綿さんもLEDで溝の中を照らしながら嘆息している。
僕は防火シャッターの近辺の捜索に見切りをつけて、分娩室の前のソファに座った。
木綿さんも自分の荷物の横に腰を下ろすと、ソファのクッションに視線を落とした。
「隙間と言えば、クッションの隙間ってよく埃がたまっているのですよね」
僕は彼女の言葉を聞くと同時に、ソファのクッション部分の隙間に手を差し入れて探り始めた。
やがて僕の手はしっかりとした手ごたえの物体を探し当てたので、僕は勢い込んでそれを引っ張り出す。
「こんなものがはさまっていたけど」
僕が差し出した物体を見て、木綿さんは失意をあらわにする。
「それはお菓子のプッチですよ。その幽霊はプッチが好きだったのですか?」
プッチとはソフトキャンディーの一種でパッケージ箱等の中でさらに個包装された人気のお菓子だ。
「いや、多分違うと思う」
「そんなもの捨てちゃいましょう」
木綿さんは僕が見つけたプッチの包みを取り上げると、ゴミ箱に放り込んだ。
僕はため息をついてから、気を取り直してソファーの隙間捜索を再開した。
ソファーの端から捜索を始めて中央辺りまで移動したころに、僕の手は冷たい金属の感触を探り当てた。
狭い隙間の中で二本の指を使って無理やりつかんで引っ張りだすとそれは指輪だった。
「おお、今度はそれらしいものが出てきましたね」
木綿さんが感心した様につぶやき、僕は指輪から何か所有者の手掛かりが得られないかと調べ始めた。
指輪はプラチナ製で大きな石があるわけでもなくシンプルなデザインだ。
そして指輪の内側にはY&Mと文字が刻まれていた。
往々にして結婚指輪は毎日使うのでこのようなシンプルなデザインが多い。
僕は指輪を右手に握り込むと、山葉さんに見せるために彼女の病室へと戻った。
「木綿ちゃんわざわざ来てくれてありがとう」
山葉さんは、見舞いに来てくれた木綿さんに礼を言う。
「来る早々、ウッチーさんが床に這いつくばるようにして、廊下をあっちに行ったりこっちに来たりしているからびっくりしましたよ」
木綿さんがお見舞いの品が入った紙袋を山葉さんに手渡しながら言うので、僕は
先ほど見つけた指輪を掌に載せて山葉さんに差し出した。
「木綿さんがヒントをくれたので分娩室の前のソファのクッションの隙間から見つけました」
山葉さんは指輪を受け取ると、子細に眺めてから言った。
「このデザインは結婚指輪だね。内側に刻んであるのはおそらく結婚した男女の名前の頭文字だ。橋詰勇太さんと橋詰美登里さんならば、Y&Mとなるからぴたりと一致する」
その一致は僕も感じていたところだった。
「それでは、その指輪を浄霊するのですね」
山葉さんは微笑を浮かべて僕に答える。
「もちろんそうだが、その前に橋詰勇太さんにこの指輪の所在を知らせてここに来てもらおう。」
山葉さんは何かを企んでいるときに特有の楽しそうな表情で話す。
しかし僕は、菱沼先生を相手取って訴訟を起こそうとしている彼をどうやって呼び出せるのかと懐疑的にならざるを得なかった。
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