第283話 賄い係の腕前

「それでは、山葉さんとウッチーさんは明日、沙也加さんのおとうさんを探さなければならないのですね」

祥さんは夕方の賄の食事を並べながら、大きなため息をついた。

「まあ、立川市に住んでいたという証言があるからある程度は絞り込めていると言っていいのではないかな」

山葉さんはつぶやくが、僕はスマホで立川市の人口を調べて暗惨たる気分になる。立川市の人口は優に十七万人を超えており、その中の一人を当てもなく探すのは困難に思えたからだ。

「それって絞り込めているとは言えないと思いますよ。差し当たってどこから探すつもりなのですか」

ぼくの言葉を聞いて山葉さんはスプーンを持った手を一瞬止めたが、楽天的な雰囲気で食事を再開する。

「とりあえず、沙也加さんの記憶を頼りに彼女のお父さんが住んでいた辺りから探し始めよう。ところで、この牛タンのシチューすごく美味しいけど材料はどうしたの」

賄いのメインは牛タンのシチューで、その皿はレストランのメニューのようにビジュアルが映えるものだったのだ。

分厚く切られた牛タンと丸ごとのブラウンマッシュルームとペコロスが皿の中央に盛り付けられ、少し赤みが立ったドミグラスソース系のルーをまとっている。

皿の縁に付け合わせとして置かれた温野菜のブロッコリーの緑とニンジンの赤色が、皿全体の雰囲気を整えていた。

「山葉さんが新メニューの試作用に買った牛タンのブロックが長い間放置されていたから使ってみたんですけど」

「あ」

山葉さんは、何かを思い出した様子で絶句した。

「そうだった。私のつわりが始まったので新メニューの試作が出来なくなって、そのまま忘れていたのだった」

山葉さんはバツが悪そうにつぶやいた。

「勝手に使ってはいけなかったのですか」

祥さんが山葉さんに尋ねるが、僕から見ると確信犯で使ったうえで事後承諾を求めているようにしか思えなかった。

「いや、ロスになるよりこうして使ってくれたほうがいい。美味しい料理が出来て良かったよ」

山葉さんは気を取り直してナイフとフォークで牛タンを切って、口に運ぶ。

「美味しい。柔らかいうえにドミグラスソースに酸味が加わっているので、さわやかな味に仕上がっている」

「ドミグラスソースだけではありきたりなので、カットトマトを加えたのです。牛タンはフライパンで焼き目を付けてから煮込んだので肉のうまみが逃げていないはずですよ」

僕も料理を口に運んだ。程よく歯ごたえが残った牛タンをかみしめると、少し酸味を帯びたソースの味と共に旨味が口の中に広がる。

カフェ青葉では田島シェフと山葉さんが主に調理を行っており、祥さんはフロアマネージャー的な仕事が多いのだが、勉強熱心な彼女は自分も調理の勉強をしていたようだ。

祥さんが自信のある口ぶりで説明するのを横で見ていた木綿さんが言った。

「山葉さん、お正月に私たちが作った料理と今日の祥さんの料理から一つメニューに採用するとしたらどちらですか」

僕は何もこのタイミングでそんなことを聞かなくても良いのにと少し慌てる。

案の定、祥さんは少しむっとした表情で木綿さんを見つめ、田島シェフは口をはさんだものか迷っている様子で祥さんと木綿さんを交互に見ている。

山葉さんは咀嚼していた牛タンをゆっくりと飲み込むと、嬉しそうに微笑して言った。

「どちらも美味しい。祥さんの料理は牛タンの食感を堪能できるし、木綿さんはキューバ風ということで目新しさがあるから二者択一はすごく難しいが、あえてメニュー化するなら木綿さんの料理かな」

木綿さんは、山葉さんの言葉を聞いて顔を輝かす。

「どうして、そちらになるんですか」

祥さんが納得いかない様子で尋ねるが、山葉さんは気にする様子もなく答えた。

「単純にコストの問題だ。祥さんの料理だと店で提供するには単品で二千円を超える価格を付けなくてはならないが、木綿さんの料理だとランチメニューにぴったりの価格で提供できる。うちは昼間の営業を中心にしているからどちらか一つ選ぶと言われたらそちらになるけれど、」

山葉さんは話しながら新たに牛タンをナイフとフォークで切り分け始めた。

「祥さんの料理も抜群においしいから、冷めないうちにいただこう」

山葉さんの説明に祥さんも納得した様子で、皆は和やかに食事を始めた。

「沙也加さんのお父さんの話ですけど、何故生霊になっているのでしょうね。それに、四六時中沙也加さんに張り付いているのだとすると、その間彼女お父さんは普通に活動しているのでしょうかそれとも、生霊が出現している間は眠っているとか意識を失っているといった状態なのでしょうか」

僕は料理を食べながらさりげなく山葉さんに聞く。これまでにも生霊に関わった事はあるが、その時とは様子が違うのが気がかりだったからだ。

「ふむ、一般的には生霊が第三者に取り付いていても、生霊を飛ばしている本人は全く気が付かないままに日常生活を送っていたりするものだ。しかし、沙也加さんのお父さんのケースは少し違うタイプなのかもしれないな」

山葉さんはバゲットでお皿のシチューをぬぐい取りながら答えた。

「それは、あの霊が人の姿に見えたからですね。私も一見普通の霊と思っていたのですが、お父さんが生きているはずだと聞いてはじめて生霊かもしれないと思ったくらいですから、自信がなかったのです」

祥さんもタンシチューを食べながら山葉さんと生霊の話を続ける。

「うむ、生霊の場合ははっきりした姿がないか、私たちに見えてもぼんやりとした塊としか見えないことが多い。顔かたちまで判別できたということは、ウッチーが言うように本人が意識不明で昏睡中なのかもしれないね」

山葉さんは考え込む雰囲気でつぶやいたが、田島シェフと目が合うと微笑を浮かべた。

「田島シェフ、今日の祥さんの料理と、木綿さんたちが作った豚タンのキューバ風煮込みをレシピ化してもらえないかな。価格設定を一緒に考えたうえで期間限定メニューとして提供して反応を見ることを検討しよう」

「もちろんいいですよ。キューバ風はまだ食べていませんが、祥さんの料理はなかなかの出来だと思っていました」

山葉さんが両方を立てる話に持って行ったので、田島シェフも安心した様に笑顔を浮かべる。

「え、さっきは単価設定が高くなりすぎるから無理って言ってませんでしたか」

祥さんは意外そうな表情を浮かべるが、山葉さんは温和な雰囲気で彼女に告げた。

「それは二者択一でどちらか選べと言われたからで、私としては折角なので両方ともお客さんの反応を見てみたい。せっかく考えてくれたのだからね」

祥さんは嬉しそうな表情に変わり、田島さんと笑顔をかわした。

「それでは明日、私は沙也加さんに依頼された生霊調査の件にかかるから、お店のことはよろしく頼むよ」

山葉さんがおもむろに告げると、祥さんが困ったものだと言いたそうな表情で答える。

「山葉さん、いい加減に産休体制に入ってくださいよ。来月に入ればお母さんが身の回りのお世話に来てくれる予定なのでしょう」

「そうそう、立ち仕事がよくないかもしれないから休んでいてくださいと言ってもすぐに、お店に降りてきて料理を運んだりしたがるんだから」

木綿さんも同調したので、山葉さんもさすがにしおらしくうつむいて見せた。

「すいません。以後気を付けます」

彼女がしおらしくなっている間にと、僕も急いで口をはさむ。

「明日の移動の時も車の運転は僕がしますからね」

山葉さんは自分の大きなおなかに手を当てるとため息をついて見せた。

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