第279話 初詣の蘊蓄

初詣には自家用車で出かけることになり僕がWRX-STIのステアリングを握ってゆっくりと走行した。

急ブレーキ時等にハンドルでお腹を圧迫するのが心配で山葉さんに運転しないように勧告したため、彼女は最初不機嫌だったが後部座席で沼さんと心霊話で盛り上がっているようだ。

成り行きとはいえ、カフェ青葉 のスタッフは霊視能力がある人間が増えている。

僕と山葉さんの他に祥さんと沼さんが、それぞれに霊を見ることが可能で、これまで自分一人で霊と関わっていた各自が相談や、情報共有できるようになった意味は大きいようだ。

僕にとっては、霊視は出来れば持ちたくなかった能力に他ならない。

幼い頃、霊を見たことがトラウマになり記憶自体を封印していた経緯があるようなのだ。

沼さんにしても子供の頃、自分だけが霊を見ることが出来ることにずいぶん悩んだらしいが、彼女の場合は家族と共に通っていた近所の教会の牧師さんによって、キリスト教の悪魔払いの術を身に着けるに至っていた。

山葉さんと沼さんが異なる宗教を信じているのに話が盛り上がるのは、浄霊という実務の面で互いに認め合っているからに他ならなかった。

目的の神社の近くの有料駐車場に車を止めると、木綿さんは不服そうな顔をする。

「ウッチーさん、この駐車場に止めると目的の神社の裏手になってしまいましたよ。参拝するには反対側の参道入り口に歩かなければならないからかなりのロスです」

木綿さんは出かけるときには入念にリサーチする性質らしく、僕がナビ画面で最も近いと思った駐車場がご不満のようだ。

「まあまあ、この辺を散策すると思えばいいではありませんか」

沼さんが鷹揚に弁護してくれたので僕はそれ以上追及されず、一行は参道を目指すことになった。

「木綿ちゃんと沼ちゃんはお正月に振袖は着なかったのか」

元旦に僕の家族が押し掛けたとき、妹が振り袖姿で登場したこともあり、山葉さんが尋ねたが、二人は顔を見合わせて笑う。

「振袖は成人式の時に着るべくスタンバイしてます。沼ちゃんも実家に帰って成人式に出席するのよね」

「私は面倒くさいからいいと言ったのですが、両親がどうしても出席しなさいというので」

そういえば彼女たちも二回生なので成人式を迎える年齢だったのだ。

「見に行けないのが残念だけど、後日でいいから写真を見せてほしいな」

「その場にいた誰かに写メ撮ってもらって送ります」

「右に同じっす」

山葉さんが水を向けたものの、二人は振袖を着ることにそれほど固執していないらしくあっさりと答える。

和やかな雰囲気で、僕たちは参道に向かって歩いていたが沼さんが不意に足を止めた。

「あそこの神社の塀が曲がり角になった部分に怪しい人影が見えませんか」

沼さんが示したあたりを見て、僕はザワッと皮膚に鳥肌がたつような感覚を覚えた。

彼女が示した先には明らかに霊と思える神職の装束を身にまとった男性の姿があったからだ。

その男性は、日本刀を両手で持ち、装束にはべっとりと返り血を浴びている。

「山葉さん、性質の悪い悪霊かもしれません。私が浄霊しましょうか」

沼さんが少し緊張した様子で山葉さんに尋ねるが、山葉さんはのんびりとした口調で応えた。

 「神社の経営は基本的に世襲制だ。こんな大きな神社ならば江戸時代とかに跡目をめぐって刃傷沙汰の一つも起きていたとしても不思議はない。あの霊をどうにかするのはこの神社の責任だから私たちはスルーしよう」

山葉さんは時として、目の前の事象を放置して成り行きにまかせようとする傾向がある。

僕が思うには、彼女は高校生の頃に彼女の祖母が病魔に侵された時に、いざなぎ流の秘術を尽くして助けようとしたのに、それが叶わなかったことがトラウマとなり、心霊に関わる際にシニカルな態度をとるのではないかと疑っていた。

しかし、僕たちの目の前に現れた霊の姿を見ると僕の考えは変わった。

その霊は神職と思える装束を身にまとっているのに日本刀を構えており、その刃にはべっとりと血糊が付着している。血染めの日本刀を抱えて周囲を睥睨している霊など関わりたくないのは僕も同様だった。

「僕もそんな霊にはかかわらないほうが良いと思います。視線を合わさないようにして先に行きましょう」

目を合わすということは、言葉を交わすのに等しい程度のコンタクトをとることでもある。

僕は正月早々妙な霊に関わりたいとは思わなかったのだが、僕の思いは沼さんにも通じたようだった。

「わかりました。今日のところはあの凶霊に関わらないことにして神社に参拝しましょう」

沼さんは、胸に下げた十字架のペンダントから手を離し、その霊と戦わないと宣言してくれた。

「そうそう、あの霊はこの神社ゆかりの者かもしれないが、神社そのものの結界に阻まれて境内に入りたくても入れないのに違いない。初詣の前に相手をするようなものではないよ。人込みに行けば行くほど私たちの目に入る霊は増えるのが道理だが、それらのすべてを浄霊するわけにはいかないからね」

僕は山葉さんの言葉を何気なく聞き流していたが、神社の鳥居をくぐって参道に入ると彼女の言葉がいやおうもなく思い出された。

一月三日なので人込みは少ないとはいえ、参道にはまだまだ参詣の人々が並んでいる。

拝殿に向かうために整然と並ぶ人々は、新年の平安を祈るための人が多いはずだが、僕の目にはその人々の背後に佇む霊がそこかしこに見える。

「こうして人込みに来ると、結構いろいろな人に霊が取り憑いているものなのですね」

僕の言葉に、山葉さんは肩をすくめる。

「見えてしまうものは仕方がないが、本人が何の差しさわりもない場合は、その人の祖先の霊かもしれない。闇雲に浄霊しようとすれば、かえって問題を引き起こしかねないのだ」

彼女の言葉はもっともに聞こえるが、そこかしこに人の死を司ると言われる黒い影も見えており僕は自制するのに苦労した。

そしてそれは、僕と同様に霊視能力を持つ沼さんも同様のようだ。

どうやら僕たちの能力は他の能力者と接触したことによりインスパイアされ、さらに感度が高くなったように感じられる。

それでも神社の境内を進み、白壁に朱色の柱が映える本殿に近づくにつれて参拝客にとりついていた霊の多くは、その形を保てなくなり消滅し始めた。

「何が起きているのだろう」

僕が悄然としてつぶやくと、山葉さんが低い声で囁いた。

「神社そのものの霊験といって良いだろう。東京の神社の多くは徳川家康が江戸幕府を開いた時代に、江戸の町を守る結界を作るために配置されたと言われている。この神社などは江戸城の鬼門の方角に当たるので、当時の風水や神道の知識を総動員して作られているはずだ。世襲の宮司が少々出来が悪くても揺らがないほどの霊験があるのだな」

僕は自分の前を歩いている綺麗な女性にまとわりついていた男性の霊が神社の本殿近くに来て、人の形をとれなくなり、やがて影が薄くなり消えていくのを無言で見ていた。

やがて僕たちが参拝する順番が訪れ、僕は二礼二拍手一礼でお参りした。やはり祈るのは家族の安全のことで、特に僕たちの子供が無事に生まれることを祈念する。

参拝が終わると、参道わきで待っていた沼さんと合流して僕たちは帰途に就いた。

先ほどまで並んでいたのとは人が入れ替わっており、僕たちの前を歩く女性の背後にはまたしても霊が佇んでいるのが見える。

この神社の霊験をもってしても消えない霊がいたのだなと僕が感慨深く思っていると、その女性の袂から何かが落ちるのが見えた。

ちょうど自分の進む方向だったこともあり、僕はその落ちた物体を拾い上げた。

それは、お札を折らずに入れることが出来る、長いタイプの財布だった。

僕はその財布を片手に持って落とした女性の後を追おうとしたが、軽いめまいと共に周囲の視野がぼやけるのを感じる。

そして僕の目には、先ほどまでいた神社の境内とは異なる風景が映っていた。

僕の前にはまっすぐな道が地平線まで続いて伸びており、道の両脇には彼方まで並木道がつづいている。

道の彼方には、真っ赤な夕日が沈もうとしており、折からの寒さで並木の木々からはハラハラと黄色い葉がとめどもなく降り続いていた。

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