第267話 ウイスキーがお好き?
「どうしてあんな危険なことをしたのですか。たまたま爆発を止めることができたからいいのですが、下手をするとあなたたち二人ともあの場で吹き飛んでいたのかもしれないのですよ」
普段は明朗快活な町田さんが腹立ちを露わにして小言を言い、僕と山葉さんは恐縮して聞いているしかなかった。
「まあまあ、内村さんたちのおかげで爆発を未然に防ぐことができたのですから、それほど怒らなくてもいいではありませんか」
鴨志田さんが温厚な笑顔を浮かべて僕たちに助け舟を出すが、町田さんの怒りは収まらない。
「いいえ、あの爆弾はタイマーからデジタル信号で起爆指令を出すタイプだったので、タイマー側のケーブルを引きちぎって爆発を止められたのは確率二分の一でしかない。たまたま犯人が安全志向の設定を選んでいただけなのです。もしもあなたたちが死んでいたら私は」
町田さんは言葉に詰まると、顔を伏せてしまった。
「どうしたんですか町田さん」
僕が尋ねると、傍らにいた奈々子さんが猫の衣装のままでしなを作って尻尾を動かして見せる。
「彼はあなた達を心配していたのよ。町田さんも機嫌を直しなさいよ」
「止めてください。菜々子さんにそんなポーズをとらせたら、僕は二重の意味で坂田警部に殺されます」
町田さんは、僕達の無謀な行為に対する怒りは収まらない様子だが、取り敢えず顔を上げた。
僕たちは町田さんが所属する鮫洲署に収容されていた。
劇団キキの劇場内に仕掛けられていた爆破装置は、起爆用のタイマーが止まった状態で爆発物処理班が無事に回収し、僕達は鮫洲署で爆発物を発見した経緯を聴取されていたのだ。
「小林容疑者が逮捕直後に体調不良で病院に収容されたため、爆発物の所在を問いただすことも出来ませんでした。犠牲者を出さずに済んだのはあなた達のお陰です。何とお礼を言ったら良いのかわからないくらいです」
町田さんは改まった口調で僕達に謝意を告げるが、途中で言葉を切ると改めて僕達をにらんだ。
「もう二度と危ない真似はしないでくださいね」
「はい、わかりました」
山葉さんは、町田さんの小言も終わった事に気づき、素直に頭を下げる。
その時、僕達が収用されている部屋に制服の警察官が現れ、町田さんに耳打ちした。
町田さんは、驚いた表情を浮かべたが気を取り直して僕達に告げる。
「これから皆さんを、それぞれにお送りします。菜々子さんは坂田警部が劇場までお迎えに来ているそうです。」
「送ってくれるというのは、パトカーに乗せてくれるという意味ですか」
山葉さんが嫌そうな表情で尋ねるが、町田さんはにべもなく答える。
「そうですよ。あまり贅沢は言わないでください。それから、病院に収容されていた小林容疑者ですが」
町田さんは室内にいる関係者の顔を見渡してから言葉を続けた。
「先ほど死亡したと連絡がありました。死因は心不全です」
居合わせた全員が無言でたたずんでいるが、山葉さんは、口許を押さえてつぶやいた。
「もしかしたら、私の呪詛が彼に降りかかったのではないだろうか。私は脅迫状を作った人間に呪詛を送りつけたが、木下さんに脅されて小林さんが脅迫状を作ったとしたら、彼に呪詛の効力が及んでしまう」
町田さんは当惑したように彼女の顔を見るが、無言のままだ。
「私は殺人罪で逮捕されるのだろうか」
山葉さんは自分のお腹を見下ろしながら沈痛な表情を浮かべが、町田さんは頭を振りながら言った。
「医師の診断は心不全による死亡です。もしもあなたの呪いが効いたのだとしても、現代の科学で立証出来ない場合は不能犯と言って処罰されることはありません」
町田さんはそれ以上、山葉さんの呪詛についてコメントすることはなく、僕達はそれぞれに帰途についた。
鮫洲署の警察官はカフェGreen leavesの正面に横付けするつもりだったが、山葉さんは少し手前の方が車を停めやすいからと、離れた場所でパトカーを降りた。
パトカーが去って行くのを見ながら山葉さんが言った。
「ウッチーどうしよう。私はいざなぎ流の呪詛によって人を殺したのかもしれない」
お店まで歩きながら山葉さんは再び、呪詛殺人の件を口にして自分を責める雰囲気だが、僕は彼女が小林さんを殺したのだとしても、気にするつもりはなかった。
それは小林さんが劇場に居合わせた全ての人を巻き添えにするつもりで爆破装置のリモコンのボタンを押すところを目の当たりにしたからだ。
「もしそうだとしても、気にする事はありませんよ。山葉さんは正しいことをしたのですから」
彼女は足を止めると、意外そうに僕の顔を眺める。
「ウッチーの口からそんなセリフを聞くとは意外だな。君は優しい上に正義感が強い人なのに」
「考えてくださいよ。彼は木下さんに自分のこそ泥の罪を着せて、全ての原因を作ったのですよ。その上、木下さんを殺しているのに逮捕されても、日本の法制度では死刑になる可能性すらない」
僕は一気にしゃべって息をついたが、その時に何度も嗅いだ覚えのある、ウイスキーとタバコの香りが混じった饐えた臭気を感じる。
山葉さんはそれには気付かない様子で、ポツリと言った。
「私が神のように人に罰を与えて良いとは思えない」
彼女は納得し難い様子だが、カフェの入り口から中に入り、僕もそれに続いた。
店内に入った僕の目に飛び込んで来たのは、右手に十字架を掲げた沼さんが、何かを唱えながら、足早に駆け寄ってくる姿だった 。
沼さんは明らかに除霊の術を使う態勢に入っていると気付き、僕は沼さんと山葉さんの間に割って入ろうとしたが、それよりも早く沼さんの十字架から閃光がほとばしっていた。
僕の目の前で、人の形をした何かが青白い炎に包まれ、悶えながら燃え尽きて虚無に戻っていくのが見えた。
「ウッチーさんも山葉さんも何をしているんですか。凶霊が一緒にいるのに気付きもしないで家に入れてしまうなんて」
沼さんは呆れたようにつぶやくと鼻から大きく息を吐いた。
「その霊はどんな姿をしていたの?性別とか容貌の判別ができていたなら教えてほしいんだけど」
僕が尋ねると、沼さんは上目使いになって、彼女が浄霊した霊の姿を思い出そうとする。
「私もウッチーさん達がお店の入り口に来るまでは見えていなかったんですが、二人がドアを開けようとしたら急にその霊が姿を現した感じです。見た目は頭の天辺が禿げた貧相な中年の男性だったんですが、今にもウッチーさん達につかみ掛かりそうな感じだったので、除霊しないと危ないと思って」
「それはおそらく小林さんの霊だな、入り口で姿が見えるようになったのは、この家に張られた結界ではじかれたためで、なおも追いすがろうとしたところを沼さんに除霊されたわけだ」
山葉さんは淡々とした雰囲気で説明した後で、再び内省的な雰囲気となってつぶやいた。
「私がくよくよと考えていたから呼んでしまったのだろうか。それとも私の呪詛によって死んだから復讐しようと後を追ってきたのか」
その時、店の奥から祥さんも現れて話に加わった。
「私も怪しい気配を感じます。何があったのかおしえてくれませんか」
山葉さんは当惑した表情だが、僕は祥さんたちに一連の出来事を伝えることにした。
僕がカフェ青葉のバックヤードにある従業員用食堂で祥さん達に一連の出来事を話すと、祥さんは僕の顔を見ながら、心配そうに言う。
「私はウッチーさんに何かが取り憑いていると思います。さっきから変な臭いがして気持ち悪いんですけど、それも取り憑いた霊に関連しているかもしれません」
「それは、ウイスキーとタバコの臭いではないかな 」
僕が尋ねると、祥さんはうなずいた。
「それだけではなくて、酸っぱいような嫌な臭いです」
僕は劇場にいる間も、その臭いを頻繁に嗅いでいたことを思い出した。
「その臭いは、殺された。木下さんに由来するものかもしれない。私がウッチーを祓ってみよう」
山葉さんは物憂げにつぶやくと、僕達を和室へといざなった。
「もしかしたら、木下さんが爆発物の所在を教えてくれたのかもしれませんね」
僕の言葉を聞いて、山葉さんはゆっくりとうなずいた。
「私もそんな気がしていた。彼は自分を貶めた犯人が小林さんだったとわかったので、彼を告発するのと同時に無関係な人々を爆発の被害に巻き込むまいとして私達を導いたのかもしれない。」
山葉さんは、いざなぎ流の祈祷を始め、木下さんの生前の功績として、演劇の原作小説を著作し、人々を楽しませたとして讃えた。
山葉さんの祈祷が終わり、カフェ青葉のバックヤードの和室は何事も無かったように静まり返っていた。
それ以後僕がタバコとウイスキーの混じった香りを感じることは二度と無かった。
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