第259話 スタッフのやりがい

優待クーポンの一件があってから数日後、僕は下北沢にある川上レディースクリニックに居た。

個人経営のレディースクリニックは建物は小さいが、清潔で小綺麗な雰囲気だ。

僕は山葉さんの検診のためにWRX-STIを運転して送って来たのだが、彼女が検診を終えるまで女性が多い待合室にいるのは何となく居心地が悪い。

検診を終えた山葉さんが診察室から出てくると、僕は安堵して彼女を迎えた。

「どうでした?」

僕の質問に彼女は、何かが印刷された小さな紙きれを僕に示した。

「超音波診断の画像だ」

白黒の画像を見ると、ソラマメのような空間に体を丸めた胎児の姿が見てとれた。

「すごい。ヒトの形なのがわかりますね」

「この画像は2次元なので、断面図のように見えているが、3次元超音波診断なら顔の表情までわかるそうだよ。次に来たときは4Dと呼ばれている三次元画像の動画を見せてくれるそうだ」

山葉さんは素っ気ない口調で説明するが、画像を見つめる目は優しい。

彼女が断面図と呼ぶ2次元の診断画像でも、既にヒトの横顔の輪郭が見てとれる。

「頭の形が良いから、きっと美人に成りますよ」

僕が思わず口に出すと、彼女は可笑しそうに笑う。

「まだ性別も判っていないのに、既に親ばかが始まっている」

「それもそうですね」

僕も照れ隠しに笑うしかなかった。

僕達は川上レディースクリニックを後にして、その足でメリーランドホテルに向かった。

そろそろ、挙式関係の予約を確定しなければならなかったからだ。

ホテルの披露宴担当者に応接室に通されると、いくつか並べられた応接テーブルのひとつには先客がおり、対応に当たっているのは松居さんだった。

「資料を取ってまいりますから、少々お待ちください」

松居さんは、対応中の来客に告げて席を立ったが、僕達の横に来た時に、低い声で囁いた。

「田端さんが結婚されることになったそうで、挙式に当ホテルを使ってくださるそうです。きっと三好も喜んでいることと思います。ありがとうございました」

僕と山葉さんは隣の席を見て、先日カフェ青葉に来店した恵美さんと和也だと気が付いた。

そして、もう一人同じ応接席に座っている、年配の女性は、おそらく和也さんの母親だと見当がつく。

僕達を案内した披露宴の担当者も、資料を取りに行き、恵美さんは僕達に気づいたようすで軽く会釈した。

山葉さんは隣の席に聞こえないように小声で僕に言った

「ウッチーどうしよう。彼のマザコンは相変わらずで、母親がくっいているみたいだ」

彼女は祈祷によって和也さんのマザコンを直せなかったことに、挫折感を感じているよう

「最終的に、恵美さんと和也さんが結婚されることになったのだから良いではありません」

僕が慰めると、彼女は納得がいかない雰囲気だが、うなずいて見せる。

その時、応接室の入り口からホテルのスタッフの制服を着た女性が現れたが、僕は背筋が寒くなるような感覚を覚えた。

その女性は、恵美さん達の傍らに立つと、穏やかな笑顔を浮かべて話しかける。

「お友だちの披露宴に出席されていた時に、花嫁さんのブーケを受け取られた方ですね。この度はおめでとうございます。ご自分の挙式にも当ホテルを選んでいただき、ありがとうございます」

その女性は僕達が披露宴会場の下見中に見かけた、三好さんの霊だった。

恵美さん達の反応を見ると、彼女達三人にも三好さんの霊は見えているらしい。

「何ヵ月も前の事なのに、覚えてくれているのですね。お陰様で彼と結婚することになりました。先日頂いた優待クーポンが話が進むきっかけになったのですが、あなたが送ってくれたのですか」

恵美さんは嬉しそうに答えるが、三好さんはゆっくりと首を横に振った。

「職場の人事異動があって、私は披露宴の担当から外れておりますが、お見かけしたので挨拶だけでさせて頂きました。後のことを後輩の松居に頼んでいますから、なんなりと彼女にお申し付けください」

三好さんの霊は恵美さんに礼をすると、応接テーブルから離れた。

「山葉さん、見えていますか?」

「うん。私にもクリアな感じで見えている。なんだか、恵美さんにご挨拶するため特別に姿を現したような感じだな」

三好さんの霊は応接室から出ていく途中で僕と目があった。

彼女は笑顔を浮かべて僕に小さく手を振って見せる。

僕は一瞬固まってしまったが、ぎごちなく手を振り返す。

その様子を横から見ていた山葉さんは、何故か不機嫌な様子で僕の脇腹を軽く突いた。

「馴れ合うんじゃない」

それでも僕は、三好さんの霊から目を離す事が出来ないでいる。

三好さんの霊は、現れた時と同じように応接室から出ると、そこでふっと姿を消した。

「三好さんの霊は心残りが無くなって、神上がったのでしょうか」

僕が尋ねると、山葉さんは素っ気ない雰囲気で答えた。

「おそらくそうだ。彼女にとっては、恵美さんが結婚することになり、このホテルで挙式すれば心残りは無くなったということなのだろう」

しばらくすると、松居さんが恵美さん達のテーブルに戻り、何事もなかったように、パンフレットを拡げて説明を始めた。

「恵美さんが結婚して和也さんと生活を始めたときに、和也さんが母親ベッタリで彼女が孤立するのではないかと心配だ」

山葉さんがボソボソと呟いたが、パンフレットを見ながら何か話している恵美さんと和也さんの母親は以外と仲が好さそうにみえる。

そして、心なしか松居さんとの受け答えは母親ではなく和也さんがイニシアチブを取っているように見える。

山葉さんの祈祷は徐々に効き目をあらわしているのかもしれない。

「きっと和也さんもマザコンを克服して上手く行きますよ」

僕は気休めではなく、本心から山葉さんに答えると、彼女はしぶしぶとうなずいて見せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る