第252話 スタッフの亡霊

「この見積もりでは3タイプの衣装レンタル料と写真撮影サービスをお付けしております。写真撮影は別料金で前撮りすることもできますがいかがいたしますか」

 担当者の女性は、さわやかな笑顔とともに追加料金が伴うサービスを勧めるが、僕は前撮りなるものの内容がわからない。

「前撮りとはどんな内容なのですか」

「挙式の前に事前に衣装を着て写真撮影を済ませておくことだよ」

 山葉さんがすこしあきれた表情でホテルの職員の代わりに説明する。

 ホテルの担当者の女性は笑顔を浮かべたままで僕たちの様子を見ている。

 最初に挨拶した時に名前を聞いていたはずだがすっかり忘れていた僕は彼女のネームプレートを見て名前が松居さんであることを確認した。

「当日に撮影をされると、時間が押してしまって新郎様、新婦様がお料理を食べる暇がない場合もあるみたいですので前撮りをお勧めしています」

 僕が山葉さんの意向を尊重しようと彼女の顔を見ると、彼女も少し迷っている様子だったが、大きく息を吐くと松居さんに告げた。

「それでは、写真撮影は前撮りでお願いします」

 松居さんは微笑を崩さずに続ける。

「お時間がおありでしたら、衣装のサンプルを見ていただくこともできますがどういたしますか」

 山葉さんがうなずくと松居さんは僕たちを別室へと案内した。

 そこには貸衣装のサンプルが並び試着もできる部屋だった。

 山葉さんはカタログやサンプルをあれこれと見ている。僕はその様子をぼんやりと眺めていた。

 彼女はドレスの候補を選び終えた後で、試着をすることになり僕はしばらく待たされた。

 やがて松居さんに呼ばれて歩いていくと、そこには白のウエディングドレスを着た山葉さんがたたずんでいた。

 彼女のストレートの黒髪と白いドレスのコントラストが清楚な雰囲気を加え、整った目鼻立ちのクールな雰囲気の彼女の容姿がドレスに映える。

「どうかな?似合っているだろうか」

 彼女の遠慮がちな質問に、僕は全力で褒めるべき時だと悟った。

「すごく似合っていますよ。その姿を油彩画にして飾っておきたいぐらいですね」

 JPEG画像にしてデジタル写真立てに表示すると言った方がリアリティがあるが、アナログな油彩画にするという面倒な行為によって彼女の美を表現できそうな気がしたのだ。

「そ、そうかな」

 彼女はまんざらでもなさそうな様子で僕に笑顔を返し、婚礼衣装の下見は平和な雰囲気で終わった。

 衣装の下見を終えた後、僕達は披露宴の会場となるホールも見せてもらうことになった。

 今回僕達が尋ねたホテルのホールは最大数百人を収容する大ホールから数十人規模のものまで幾つかあり、僕達が使うことになるホールは、自分たちの希望の人数に適した中ホールだ。

 ホールは華美な装飾もなくシンプルな内装で好感が持てた。

 数時間後には実際に披露宴が行われるということで、スタッフは忙しく椅子を並べたりして準備している。

 新郎新婦の席は一段高く設営されており、僕はなんだか気恥ずかしい思いで眺めたが、新郎新婦の席の横に先ほどまではなかった人影が見えるような気がして思わず目をこすった。

 光線の具合で錯覚したのかと思ったが、あらためて見てもそこには僕たちを案内する松居さんと同じ制服をまとった女性が穏やかな笑顔を浮かべて立っている。

 僕は小声で山葉さんに呼び掛けた。

「山葉さん、新郎新婦の席の脇に女の人が座っているのが見えますか」

 僕の声を聴いて山葉さんは硬い表情で振り返った。

「やはりウッチーにも見えているのか。私も今回は波長が合っているらしくはっきりと見えるのだが、どうしたものだろう」

 彼女のスキルをもってすれば浄霊することもできるかもしれないが、もうすぐ披露宴が開かれる会場でむやみに祈祷を行うわけにもいかない。

「この場で祈祷をするのも不自然だ。少し様子を見ることにしようか」

「そうですね。詳しい事情もわからないことですし」

 僕達は今日の所は、その霊に関わらないことにして、その場を後にした。

 僕達は披露宴の食事を試食することになり、ホテルのレストランに案内された。

 レストランで僕達は披露宴で出されるコース料理を試食した。

「イセエビのテルミドールって見かけだけみたいな料理と思っていたけど意外とおいしいね」

 最近つわりが収まってきた山葉さんは旺盛な食欲を示す。

「このステーキも火の通し方がよくておいしいですね」

「うん。披露宴などで少量食べるなら黒家和牛系の霜降りタイプのステーキが美味しく感じられる」

 僕達は結婚式場の下見というより、たまに出かけて外食を楽しむ雰囲気だった。

 食事の合間に乾杯用に使うスパークリングワインなども提供されたが、アルコールを控えている山葉さんは一口味を見てから僕に押し付ける。

「意外とクオリティーが高いから私の分も飲んでくれ」

「そんなに飲んだら酔っぱらってしまいますよ」

 僕がぼやくと、山葉さんは楽しそうに笑う。

 彼女は元来お酒を飲む人なのだが、最近はおなかの子供を気遣ってアルコール類を口にしない。

 和やかな雰囲気で食事をし終えるころに、僕は先ほどの披露宴会場にいた女性の霊を思い出していた。

「山葉さんさっきの宴会場にいた女性の霊は、何かこの世に未練を残しているのでしょうか」

 彼女はデザートのティラミスを食べながら首を傾げる。

「恨みを残して亡くなったと言うより、どちらかといえば、楽しそうな表情でこちらを見ていたのでわたしも気になっていた」

 やはり彼女も気にかかっていたらしい。

「この後でスタッフの人に聞いてみましょうか」

 僕が提案すると彼女は心配そうな表情を浮かべる。

「ここで披露宴を挙げるかもしれないから、変なやつと思われたくないな」

 僕は彼女の表情から、この会場が気に入っているようだと見当を付けていたので、その意向は尊重したい。

「僕たちに霊視能力があり、会場内に幽霊が見えていますみたいな言い方はせずに、当たり障りなく尋ねてみます」

 僕の説明を聞いて、山葉さんはしぶしぶうなずいた。

 ホテルの応接室に戻ると、スタッフの松居さんが、僕達に質問したいことはないかと尋ねる。

 僕は何気ない表情で彼女に聞いた。

「僕の知り合いが、このホテルの披露宴会場にスタッフの幽霊が出るという噂を聞いたらしいのですが、そんな事は有りませんよね?」

 僕は軽い雰囲気で聞いたので、スタッフは笑って適当に流すこともできたはずだが、松居さんは真剣な表情で、僕に問い返した。

「どこでその話を聞かれたのですか?噂の詳しい内容もわかっていれば教えて下さい」

 松居さんの反応は明らかに幽霊の存在を知っていて、その事を気にかけているように見える。

「いえ、又聞きなので今お話しした以上の事は知らないのですが」

 僕が嘘の説明を追加すると、松居さんは少し安心した様子で言った。

「時々そんな噂が流れる事もありますが、私の知る限りではそのような苦情を言われたお客様はおりませんのでご安心ください」

 松居さんに生真面目な表情で告げられたので、僕はそれ以上、その話題を追求することは出来なかった。

 僕たちは松居さんに後日改めて連絡すると告げてから、結婚式場の下見を終えてホテルを後にした。

「あの幽霊の件どうしますか?松居さんは明らかに幽霊の存在を知っているように見えましたけど」

 新宿駅まで歩きながら僕が尋ねると、山葉さんは対処を考えている表情で答える。

「この世の幽霊を全て相手にするわけにも行かないから、余程の凶霊でなければ、頼まれない場合は避けるのが無難だ。でもあの式場が今まで見たうちで一番気に入っているからどうしたものか迷うところだ」

 照りつける日差しは少し秋めいてきたが、道路上の空気はまだ暑さを感じさせる。

 僕は問題のホテルを複雑な心境で振り替えった。

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