第247話 匿名の通報

「私が正道さんから祈祷の依頼を受けていた別役孟雄です。この度は御愁傷様でした」

孟雄さんが沈痛な雰囲気で告げると、裕子さんは寂しそうに微笑を浮かべた。

「私のことを気遣ってくれたのは、あなただけだわ。警察は私が遺産目当てで正道さんたちを殺したと疑っているみたい」

僕はさりげなく周囲を見回した。僕達がロビーに出た時にタイミングよく裕子さんが現れたので、警察側が意図して僕たちの反応を見ているような気がしたからだ。

「これから正道さんのことでお聞きしたいことがあるかもしれませんから、連絡先を教えていただけませんか」

山葉さんがさりげなく自分のスマホを取り出しながら裕子さんに告げた。

「いいわよ。」

裕子さんは警戒する様子も無く山葉さんの要請に応じ、自分の携帯電話番号を教える。

その時、警察署の奥の方から若い私服刑事が姿を現した。

「別役さんは楠木さんのお宅に自分の車を置いているのですね。これから私がお送りします」

刑事は、裕子さんに軽く会釈してから僕たちを警察署の裏口に誘導する。

「ああ、公文さんが送ってくれるのか」

山葉さんは何となくなれなれしい雰囲気で彼に言葉をかけた。

「知り合いなのですか?」

僕が尋ねると、山葉さんはうなずいた。

「彼に事故の状況を聞かれたのだが、話をしているうちに小学校の同級生の弟さんだと判明したのだ」

山葉さんは屈託のない表情で彼の後ろに続く。

「お兄さんはお仕事は何をしているのかな。」

「父の仕事を継いで、柚子を栽培しています。収穫時期は僕も手伝わされるのです」

山葉さんと公文と呼ばれた刑事は、他愛のない話をしながら和やかな雰囲気で歩いて行く。

事情聴取した刑事が同級生の弟だったおかげで、彼女は待遇がよかったようだ。

僕達が載せられたパトカーは、内装こそ質素だが楠木正晴さんの自家用車と同じタイプのセダンだった。

「いろいろお聞きしてすいませんでした。実は匿名の通報があったので我々も何もしないわけにいかなかったのです」

ステアリングを握って、パトカーを警察署の駐車場から幹線道路に乗り入れたところで、公文さんが言った。

「通報?誰がどんな内容の通報をしたのですか」

山葉さんが、鋭い目つきに変わって公文さんに尋ねる。

「先ほどロビーにいた女性は楠木正道さんと最近入籍された方なのですが、あの方が遺産目当てに正道さんやそのお子さん達の殺害を企てたと言うのです。その実行犯としてあなた方の存在も示唆するので事情を聞かせてもらった次第です」

公文さんは申し訳なさそうに説明した後でさらに言葉を継いだ。

「もちろん我々が事実関係を確認して、関連性がないと分かれば嫌疑は晴れる訳でして」

「楠木さんの父親も正晴さんも転落事故に遭遇しているのに殺害と言うからには、犯人が事故を誘引したという論理なのかな?だとすればその通報を行った人はどうやって殺害したと言っていたのだろう」

山葉さんは公文さんの言葉を遮るようにして尋ねる。

公文さんは一瞬言葉に詰まったが、自分たちの考えを話し始めた。

「ここだけの話ですが、我々は正道さんも正晴さんも誤操作による転落事故ではないかと考えています。立て続けに起きたことで憶測を呼び、通報する者も出たという事ですね」

パトカーは警察署のある市街地を出て水田地帯を走っている。山葉さんは、公文さんの話を聞きながらむっつりとした表情でたわわに実った稲穂を見つめていた。

楠木さんの家に着くと、公文さんは楠木家の玄関を覗いて用向きを伝えたが、親類と思われる高齢の女性が応対している。

「楠木さんがご自分の車を回収に来たことを伝えておきましたから、帰っていただいて結構ですよ」

孟雄さんが公文さんに会釈して自分の車に向かおうとしている時、山葉さんは公文さんを手招きした。

「公文さんこっちに来てくれ」

山葉さんは公文さんと共に、楠木家が普段使っていると思われるカーポートが設置されたガレージの下まで歩いた。ガレージは乗用車4台分はあるが、そのうち半分ほどは普段使っている家人が相次いで事故を遭ったためスペースが開いている。

山葉さんはコンクリートを打ったガレージの床面を眺めていたがそのうちの一ヵ所を公文さんに示した。

「ここにオイルの染みがあるのが見えるかな」

公文さんは山葉さんが指さす場所を見ていたが、山葉さんが何を言いたいのかわからない様子で尋ねた。

「ここに置いていた乗用車がオイル漏れを起こしたのでは?」

「正晴さんが乗っていたのは国産の高級セダンで年式も新しいから、そう簡単にオイル漏れなど起こすとは思えない。それにエンジンオイルは交換後日が浅くてもカーボンを含んで黒ずんでいるが、このオイル染みにはカーボンは見られない」

公文さんは山葉さんの言葉を意識しながら再びオイル染みを眺めはじめた。

「それではこの染みは何なのですか?」

「何者かがブレーキホースに細工をしてブレーキフルードがすこしづつ流出していたとしたら?」

公文さんの表情が変わった。

「そして、隣の駐車スペースにも同じような染みが見られる。正道さん、正晴さんのいずれもブレーキホースから微量のブレーキフルードが漏れていたため、しばらく走行した後にブレーキが効かなくなって事故を起こしたのではないだろうか」

公文さんは隣のスペースのオイル染みを調べながら考え込んでいたがやがて立ち上がった。

「鑑識に調べさせます」

公文さんはパトカーに戻ると無線で連絡を始め、僕たちはそれを横目で見ながら帰途に就いた。

別役家がある山のふもとまで車を運転しながら孟雄さんが口を開いた。車は既に山岳地帯に入り、険しい谷の斜面を切り開いて作られた国道を走っている

「内村君すまなかったね。面倒なことに巻き込んでしまった」

「気にしないでください。お父さんには責任はありませんから」

申し訳なさそうに告げる孟雄さんに僕が答えている間も山葉さんは無言で車窓から谷の向こうに見える木々の茂った斜面を眺めていた。

その夜も僕たちは別役家に泊まることになった。アクシデントが起きたために東京に帰る予定を伸ばさざるを得なかったのだ。

別役家の山葉さんが使っていた部屋で布団を並べて寝ながら、僕は翌日には東京に戻れるだろうかとぼんやりと考えながら眠りについた。

その夜、僕は最近なじみになりつつある覚醒夢を見た。覚醒夢とは自分が夢を見ていることを意識しながら見る夢のことで別名、明晰夢ともいう。

夢の中で僕はどことも知れぬ茫漠とした場所に立っていたが、気配を感じて横を見るとそこには巫女姿の山葉さんがいた。

僕の夢に現れる時の常で、彼女は現実の姿よりも若い高校生くらいの姿をしている。

その姿は山葉さんが高校生の頃に山の神に自分を捧げたために分離した自我なのだが、過去が改変されたためにその存在そのものが確認できなくなっていた。

「山葉さん僕のことがわかりますか」

「何を言っているのだ。ウッチーがわからないわけがなかろう」

その話しぶりは、普段の山葉さんそのものだ。

「これは僕の覚醒夢の中なのです。山葉さんは高校生くらいの容姿に戻っていますよ」

僕が説明すると、彼女は慌てて手鏡を取り出した。そして自分の顔を見るとホラー映画のような絶叫を上げた。

「ぎゃあああ。どうしてこんな顔になってしまっているんだ、みっともない」

どうやら、過去が改変された世界では彼女の自我の分離が起きなかったらしく、僕の夢の中では彼女が若い姿を取っているだけのようだ。

「だいじょうぶですよ。その顔もかわいらしいですから」

「何を言うんだ。今に至るまでの私の努力が水の泡になったみたいですごくいやだ」

彼女は抵抗があるようだが、僕はそのことには頓着しないことにした。なぜなら、目の前に怪しい二人連れが現れたからだ。

僕達の前に現れたのは戦国時代の甲冑をまとった武将と、その家来と思しき武士だった。

武将が纏った甲冑は黒を基調にしており、先のとがった兜はくさび型と丸い家紋を組みわせたシンプルなデザインだ。

二本差しの他に、長槍も携えた武将は黙って佇んでおり、家来の武士が口を開いた。

「先日は失礼いたしました」

僕は家来の武士を見て、僕達を空港から拉致しようとした霊だと気が付いた。

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