第242話 高田の王子

ミニバンが発進すると同時に、山葉さんは男性に尋ねた。

「父の具合はどうなのですか?事故を起こした状況は?」

ミニバンは滑るように走行しているが、僕は違和感にとらわれていた。その理由が何かわかる前に、男性が答える。

「私はお父さんにお世話になっているものです。お父さんは市街地で脇道から出てきた大型トラックと出合い頭に衝突し、命に別状はありませんが市の総合病院に入院されています」

男性はスラスラと答えるが、僕は違和感の正体に気が付いた。

僕達の乗っているミニバンは、車種が判別できない正体不明の代物だったからだ。2列目シートのシートベルトを手に取ろうとすると、見た目は立体感があるが、壁にへばりついて動きもしない。

運転席を見ても、ダッシュボードにスピードメーターらしきものがぼんやりと光を放っているが、速度に連動して動いている様子はなく、その表示は読み取ることすらできなかった。

僕と山葉さんが座っているシートも、硬い感触で自動車のシートとは程遠く、見た目を自動車に似せようとした出来の悪い演劇用のセットに座っている感覚だ。

そして、ミニバンが走っている道も男性が主張するように市の総合病院に向かっているとは思えない曲がりくねった山道だった。

「ちょっと待ってください。あなたは一体どこに行こうとしているのですか」

僕が男性に声をかけると、山葉さんもハッとしたように周囲を見回し始めた。運転を続けている男性は、前方を向いたままで僕の問いに答える。

「市の総合病院だと言ったでしょう。おとなしく乗っていてください」

山葉さんも周囲の状況に気付いたようで、自分の横にあるスライドドアをあけようとするが、それは彼女の力では動かなかった。

「市街地に向かっているなら道が違う。この先は山の中で行き止まりの林道のはずだ」

山葉さんが、鋭い声で指摘すると、男性はゆっくりと振り返った。

僕達に向けられたのは先程見かけた男性の顔ではなく、風雨にさらされた白骨に見えた。車内のいい加減に模倣された計器類の光を受けて白く浮かび上がる顔面に黒々と眼窩が陥没している。

「もう気が付いたのか。我が主の楠瀬一正様がお前に用があるとおっしゃっている」

山葉さんが男の顔を見て息をのむのがわかった。

僕は自分の横のドアを開けようと取っ手に手をかけたが、それは動かない。単にドアがロックされているのではなく。それは車体を形成しているのと同じ質感の物質で出来た単なる突起のようで、後部のドアは車体と溶け合ってしまったように動く気配を見せない。

そして、自動車が走行するときに生じるエンジン音やタイヤの接地音は聞こえず。空気を切り裂く音だけが外から響いている。

僕と山葉さんはミニバンの姿をした得体のしれない箱の中に捕らわれ、運ばれているのだ。

「止まれ、元の場所に戻るんだ」

僕が男の肩に手をかけると、運転していたはずの男の体はカラカラと乾いた音を立てて崩れ落ちた。

ドライバーズシートには作務衣に包まれた白骨が積み重なり、その上に頭蓋骨が転がった。

そしてミニバンを模した箱は運転するに者もいないのに夜道を疾走していく。

僕は自分の横のスライドドアに闇雲に体をぶつけてみたが、それはびくともしなかった。

自分達が人ならぬものに捕らわれたことだけは分かるので、どうにかして脱出する方法がないかと考えるが妙案は浮かばない。

その時、山葉さんが小声で呪を唱え始めるのが聞こえた。彼女はいつの間にか自分のキャリーバッグから式王子を取り出して、榊の枝も手にしている。

ミニバンを模した箱の中で、呪を唱えながら舞うわけにはいかない、山葉さんは窮屈そうな雰囲気で唱え終えると、強く気を込めた。

僕達をとらえていたミニバンを模した「箱」は動きを止め、空気を切り裂く音は止んだ。やがてミニバンを模した「箱」は運転していた男の白骨と共に埃のように崩れて宙に舞い始めた。

僕と山葉さんは崩壊するミニバンもどきの箱から辛くも逃れ出て、何処とも知れぬ場所で佇んでいた。

「ふむ、真にそのものを理解していないと見たままに写したところで模倣はできないという事かな」

僕は背後から聞こえた声に反応して背後を振り返った。そこには水干姿の青年が穏やかな微笑を浮かべて僕たちを見つめている。

その青年の装束が時代がかっていることなど既に気にならなくなっていた。

人外のものが跳梁する世界に入り込んだことを実感していたためだ。

「あなたは先程の異形の者と同類なのですか」

僕がきつい口調で尋ねると水干姿の青年は苦笑気味に僕に答える。

「あ奴らと同類とは異なことを、そなたの連れに呼ばれた故、姿を現しただけの話だ。それともされこうべが運転する乗り物もどきに乗ったまま連れ去られた方がよかったのかな」

水干姿の青年は涼しげな細い目と鼻筋の通った顔立ちで僕を見つめるが、それとなく苛立った波動を放っている。

「山葉さんが呼んだ?それではあなたはいったい何者なのですか」

「そなたの連れの山葉殿は私のことを高田の王子と呼ぶ。やれ黒龍を追い払えだの呪詛を打ち消せだのと人使いの荒い事だ」

高田の王子とは山葉さんがよく使う式王子の名前だが、僕の心の中には疑問が広がる。

いざなぎ流の口伝に描写される高田の王子の容姿は、僕が目の当たりにしている平安朝の貴族然とした青年の姿とはかけ離れたものだったからだ。

「頭には黒鉄の兜をかぶり、長さ十六丈の角を七つ半も振り立て赤い舌をなめ出して、身は曼荼羅模様の異形の子供」

僕が高田の王子の姿を描写した口伝をそらんじて見せると、高田の王子はカラカラと笑った。

「それは私が考えて吹聴した姿形で、なかなかの出来栄えだと思っている。私の素性などを祭文にされてはかなわぬからな」

「本当に高田の王子なのか?」

それまで黙っていた山葉さんは信じられないという雰囲気で尋ねる。

「ふむ、そなたはいざなぎ流の儀式を大胆に端折っているが、その分後日に神楽を奉納するので苦しゅうない。そうして勤めてくれるものは今や少ないからな」

高田の王子は笏で口元を隠すとクスクスと笑うが、山葉さんは足元がおぼつかない様子だった。

「大丈夫ですか?」

僕が支えると彼女はくたくたと身を預けてくる。

「身重の女性にはここの空気は濃すぎるのだ。娑婆への出口まで案内する故、そなたは山葉殿を背負って私についてまいれ」

僕は言われるままに山葉さんを背中に背負って歩き始めた。高田の王子は僕たちの荷物を両手で持って引っ張り始める。

「ほう、荷物に車輪を付けると粋なことをするものよ。これなら楽に持ち運びができるな」

平安朝を思わせる水干姿の王子がキャスターバックを引っ張って歩くのはミスマッチもいいところだが、僕はそんなことにこだわっている余裕はなかった。

山葉さんは全体重を僕に預けてぐったりとしている。

本格的に体調を崩したのではないかと僕は気が気ではない。

僕達が歩いている道は、現実に存在する道路ではなく異界と現実世界をつなぐ一本道のようだ。

周囲にはうっそうとした森が茂り、緩やかな坂道は延々と下っていく。

夜道のはずだが、薄明かりが周囲を照らし、歩くのには不自由を感じなかった。

森の中はザワザワと沢山の気配が感じられるが樹間を透かして見ても気配の主たちは見ることができない。

僕は時折すれ違って坂道を登っていく人がいることに気がついた。登山者ではなくゆっくりと歩みを進める様子は影が薄く感じられる。

「今宵亡くなった人々だ」

僕の考えを詠んだように高田の王子がつぶやいた。僕は今しがた通り過ぎた人の後姿を目で追いながら尋ねる。

「あの人たちはどこに行くのですか」

「そなたたちの言うあの世であろうな」

高田の王子は涼しい顔で答えると二つのキャスターバッグを引っ張り続ける。

僕は好奇心に負けて高田の王子に重ねて尋ねた。

「この坂を上ると何処に着くのですか」

「そなたも寿命が尽きた時には嫌でも知ることになるであろう。それまでは無用な詮索はせぬことだ」

高田の王子は冷たく言い捨てると僕に周囲を指し示した。

「そなたたちの住む世界に着いたぞ。少しばかり位置がずれたがどうにかなるだろう」

気が付くと、僕は山葉さんを背負ったままで虫の声が響く夜の草原に立っていた。遠くの方には明るく照明された建物も見える。どうやら空港ビルから少し離れた野原らしい。

僕は高田の王子の姿を探したが、彼の姿はどこにも見たらず、僕と山葉さんのキャスターバッグが置いてあるだけだった。

先程までの清冽な空気と違い、蒸し暑い空気の中に草いきれが満ちており、近くに酪農を営む農園でもあるのか虫の音に交じって牛の鳴き声も響いていた。

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