第238話 怪電話が招く人
カフェ青葉の店内に現れたのは柳瀬春香ちゃんだった。
春香ちゃんはトコトコと店の奥まで歩いてくると僕たちに可愛い声であいさつする。
「おはようございます。いつでも来ていいって言 うからまた遊びに来たよ」
僕と山葉さんは顔を見合わせた。春香ちゃんの両親の姿は見えず、どうやら彼女は一人で来た様子だ。
「春香ちゃん、一人で来たの?お父さんお母さんは春香ちゃんがここに来ることを知っているのかな」
僕がしゃがみこんで彼女と同じ目線で尋ねると、彼女はニッと笑って答える。
「ううん。一人で来たの。春香はカード使ったら電車も乗れるよ」
彼女の両親に連絡しようにも、柳瀬夫妻の連絡先は聞いていない。
僕は話の途中でこちらを見ている山葉さんと細川さんに言った。
「七瀬さんに連絡して、ご両親に彼女がここにいることを伝えてもらいます。彼女は僕が見ていますから、話の続きをどうぞ」
細川さんは僕の言葉を聞いて、山葉さんの顔を見ながら告げた。
「山葉ちゃん。あなたの顔にはすごく柔らかい線が現れている。もしかしたら赤ちゃんができたのではないかしら」
山葉さんの方がピクリと動いた。彼女の顔は思いがけない細川さんの来訪をよろこぶ表情から少し頑なな固い表情に変わる。
「細川さん、お店の中でスタッフがプライベートな内容の立ち話もどうかと思いますから奥に行きましょうか」
山葉さんは細川さんを促して、お店の奥にあるスタッフ用のスペースに入って行った。
僕はとりあえず、美咲嬢に電話をして、春香ちゃんが一人で店に来ていることを伝えると、美咲嬢は慌てる様子も無く僕に告げた。
「遊びに来てもいいと言われたから一人で出かけてくるなんて可愛らしいですわ。柳瀬さん夫妻には私が連絡しておきますが、私は今出先ですからツーコさんをそちらに行かせます。お忙しいと思いますがそれまで春香ちゃんのお相手をお願いしますわ」
美咲嬢はこともなげに事態を収拾してくれそうなので、ぼくは了承したと告げて電話を切ると春香ちゃんに言った。
「何か飲み物を作るからこっちに座ろうか」
僕は春香ちゃんにカウンターのスツールを勧めた。
スツールの座面は春香ちゃんが自分で座るには少し高すぎたので彼女は背もたれに手をかけてよじ登ろうとする。
回転式のスツールが不用意に動くと危ないので、僕は春香ちゃんをひょいと抱き上げると、スツールに座らせてあげた。
「ありがとうウッチー」
「どういたしまして」
小学校の低学年の子供は無邪気でかわいい。
しかし、僕はカウンターの中に回り込みながら彼女の喋り方が昨日と違うような気がしていた。
昨日の春香ちゃんは、考えながらゆっくりと言葉を紡ぎ出すような話し方をしていたはずだ。
とはいえ、本人にそんなことを言う訳にもいかない。僕はカウンターをはさんで彼女に尋ねた。
「何か飲み物を作ろうか?」
「そうね。ミックスジュースにしようかしら」
やはり、彼女の受け答えは昨日よりも微妙に大人びた雰囲気がする。
「今作るから待っていてね」
彼女はうなずくと、鼻歌を歌いはじめた。それは僕が聞いたことのないメロディーだ。
そして、彼女がスツールに腰かけて両足をプラプラさせているのが体の揺れ方で分かる。
ぼくが、特製ミックスジュースを準備している間に、店の入り口からツーコさんが入ってくるのが見えた。
春香ちゃんも後ろを振り返って彼女を認めるとつぶやいた。
「うわ、ツーちゃんがかわいい」
今日のツーコさんはノースリーブのワンピース姿なので服装のことかなと思ったが、僕の春香ちゃんに対する違和感は消えない。
「ウッチーさんすいません。春香ちゃんのお母さんが三十分ほどでこちらに着くはずですから、それまでは私が相手をしていますね」
ツーコさんは少し息を弾ませながら言う。おそらく彼女はアルバイトで美咲嬢のオフィスにいたところで連絡を受けて、小走りにここまで来たのに違いない。
「どういたしまして、ツーコさんも何か飲む?」
彼女は僕の手元にジューサーやバナナがあるのを見て素早く状況を見て取ったようだ。
「私もミックスジュースが欲しいな」
彼女は少し照れくさそうにオーダーした。
僕は特製ミックスジュースを仕上げると大きめのタンブラーをトレイに載せて二人の横まで運んでからカウンターに置く。
「ウッチーさん、カウンター越しに渡してくれればいいのに」
「そうもいかないよ、お客さんへの礼儀でしょ」
春香ちゃんは僕とツーコさんのやり取りを嬉しそうに見ている。
僕は春香ちゃんがミックスジュースのタンブラーを両手で抱えてストローを咥えているところに、さりげなく尋ねた。
「昨日食べたご飯が美味しかったから来てくれたのかな」
春香ちゃんは口からストローを離すと息を継いでから僕に言った。
「今日は大事な用事があるからきたの。」
彼女は未来予知能力を持っており、大事な用事と言えばその関連もあるかもしれない。
現に昨日は両親が交通事故を起こすと訴えて僕たちは柳瀬家が事故に遭遇する未来を改変するために奮闘したのだ。
僕は少し心配になって、彼女に重ねて尋ねる。
「大事な用事ってどんなことかな」
「ひ・み・つ」
僕ははぐらかされて戸惑うが、ツーコさんは笑顔で春香ちゃんを見ている。
その時、店の奥に通じるドアを開けて、祥さんが顔を出した。
「ウッチーさん、細川さんが呼んでいますよ」
僕がどうしたものかと考えていると、ツーコさんが慌てたように言う。
「ウッチーさん、春香ちゃんは私が見ていますから、仕事に戻ってください」
細川さんが僕を呼んでいるのは仕事ではないのだが、そこまで説明する必要もないと思い、僕は答えた。
「ありがとう、それじゃあ、春香ちゃんを頼みます」
ツーコさんがうなずくのを見て僕は店の奥に向かったが、春香ちゃんがサムアップをして僕を見送るのがちらりと見えた。
細川さんと山葉さんは厨房の隅にあるスタッフ用の食事テーブルっで話をしていたが、厨房に入るのと同時にピリピリした雰囲気を肌で感じるほどだった。
奥の調理台で仕事をしていた田島シェフが、仕事が手に付かない様子で僕の方を見たので、僕と一緒に厨房を覗いた祥さんが手招きをして彼を剣呑な雰囲気が立ち込める厨房から救出した。
しかし僕は当事者だけにその雰囲気から逃げるわけにいかない。
「私に土地と建物の残金を支払わなければならないから折角授かった子供をあきらめると言うのは聞き捨てならないわ。私は返済は急がなくてもいいと言ったはずなのにどうしてそんな話になるの」
温厚な細川さんが不機嫌に詰問する様子は、問い詰められている山葉さんでなくても心臓がドキドキしそうな迫力がある。
「いえ、私は甘えてばかりはいられないと自分で考えたのです」
山葉さんが俯いてつぶやく様子を見て細川さんは大きなため息をついた。
「私をだしに使うのでなければ、いい年をした大人のあなたがすることに口出しをするつもりはありません。でもね山葉ちゃん、あなたの年齢から年を取るにつれて妊娠しづらくなっていくのも事実なのよ。」
山葉さんがゆっくりと顔を上げると無言のままで細川さんを見た。
「三十代の後半に差し掛かってから理想の伴侶を得て幸せな結婚をする人も多いけれど、子供を作ろうとしたらなかなかできなくて、治療を受けて最後は占いに頼る人は沢山いるの。子供ができたことをトラブルのように考えるのはとても不幸なことだと思うわ。」
細川さんは僕に目を向けると話を続ける。
「ウッチー君もよく聞いて、産休の間カフェの経営が心配なら私をアルバイトに雇ってくれればいいのよ。」
山葉さんは驚いた表情で細川さんを見つめる。
「でも、細川さんはそろそろ現役を引退したいとおっしゃって、この店を私に譲ってくれたのに」
「自分で経営するのと、雇われでヘルプに来るのでは負担感が全然違うの。出産や子育ては人生の一大事なのだから、人に手助けを頼むのはちっとも恥ずかしい事ではないのよ」
「わかりました。もう少し考えてみます」
山葉さんが俯き加減で言葉少なく答えると細川さんは表情を明るくした。
「そうして頂戴。私も手伝いに来た折に赤ちゃんを抱っこしてみたいわ」
細川さんは今度は柔和な笑顔を浮かべて山葉さんを見つめた。
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