第185話 彼女の行末

僕は屋外で冷たい雨に打たれていたはずの体が、暖かいぬくもりに包まれていることに気が付いた。

明け方の光が窓から差し込み傍らでは山葉さんが寝息を立てている。

僕が見ている間に彼女はうっすらと目を開けた。

彼女は僕の顔を眺め、それから周囲に視線を移すとゆっくりとつぶやいた。

「今、明菜ちゃんが登場する夢を見ていたよ。ウッチーも一緒にいた」

「僕も彼女の夢を見ました。母親が不注意でやけどを負わせたけれど医者に連れて行こうとしないので、僕たちが地下室の明り取りの窓から外に連れ出して、通行人に助けを求めさせたところでした」

山葉さんは天井を見上げてからため息をついた。

「同じ夢の中で、取り合えず彼女を外部に連れ出すことはできたわけだな」

「彼女は助かったのでしょうか」

僕の問いに、彼女僕の肩に頭を寄せながら答える。

「それはわからない。私たちの存在が影響を受けなかったのは良いが、それが彼女が生き延びられなかったことを示して居なければよいのだが」

僕たちは無言で、冷たい雨の中を助けを求めて走って行った明菜ちゃんのその後に思いをはせた。

翌朝、僕はカフェ青葉の仕事を手伝った。

相変わらずアルバイトをしているわけだが、オーナーとなった山葉さんは僕のことを共同経営者のように見ている。

朝の賄を食べながら今日の客入りの見込み数や、日替わりのランチメニューの打ち合わせをしていると、彼女と一緒にカフェを切り盛りしている気分だった。

彼女が作った賄の朝食は厚切りベーコンを使ったベーコンエッグと温野菜のセットにホウレンソウの味噌汁とご飯のセットだった。

朝の賄はモーニングセットの食材を流用することが多いが今日は手作りの朝食だ。

僕は食事の最中に、LIMEの着信音に気が付いて自分のスマホを取り出した。

着信は妹からのトークで両親と一緒にお店を見に行っていいかというものだった。

「うちの家族がお店を見たいと言っていますよ。何時ごろがいいですか」

僕が告げると、山葉さんは味噌汁の椀を片手に持ったまま固まった。

「昨日の今日でもう来ちゃうのか?」

「妹がカフェ行きたいと言って両親をけしかけたみたいですね」

山葉さんは、味噌汁を一口飲んでから椀を置いた。

「則子ちゃんの要請では仕方がないな。あまり忙しい時だとお相手できないからランチタイムのお客さんが減ってくる1時過ぎくらいに来ていただいたらどうだろう」

山葉さんは一度僕の家族に会ったら慣れてきたらしく、あまり嫌がりもせずに時間を設定する。

僕が妹の則子にトークを送ると、即座に返事が来た。

ゆで卵をモチーフにしたキャラクターが喜んでいるスタンプとともに、お昼御飯が楽しみだと書き添えてある。

「お昼が楽しみだと言っています」

「なんだかプレッシャーを感じてきた」

山葉さんは、少し気弱な表情を浮かべてつぶやいた。

その日、予定通り午後1時を回る頃に僕の家族が訪れ、山葉さんは緊張気味にランチタイムメニューの豆腐ハンバーグとオーガニックベビーリーフのサラダを提供した。

定番のランチタイムメニューだが、ジューシーな豆腐ハンバーグは僕の家族に好評で、店の内装のセンスと共に皆が褒めそやして帰って行った。

山葉さんは少しぐったりした表情で、カウンターの中にある丸椅子に腰をおろすと僕に言った。

「やはりウッチーの家族だから、好意的な目で見てくれるのだな」

「実際に美味しいからですよ。でもそう言っている割に疲れていませんか?」

僕が尋ねると、彼女は訴えるような眼で僕を見た。

「気を使って当然でしょ」

「顔合わせが済んだのだから、それほど気を使わなくてもいいのですよ」

僕は彼女が僕の家族に疲れるほど気配りしているのがうれしいのと同時に、疲れた顔が気の毒になった。

その時、お店の手が空いた時間を見計らったようにツーコさんが店に入って来た。

後ろには黒崎氏を伴っている。

「こんにちは。油彩画の幽霊の件は何か新しい展開がありましたか」

彼女は、幽霊話のネタ元を僕たちが調べたに違いないと思って話を聞きに来た様子だ。

僕は山葉さんと顔を見合わせてからおもむろに口を開いた。

「幽霊だとは思いたくないのだけど、この絵の傍で眠ったら絵のモデルと思われる少女が母親に虐待を受けている場面を夢に見たのです」

僕の言葉を聞いてツーコさんの顔が少し真剣な表情になった。

「男女二人の幽霊の話ではないのですか?そのモデルになった少女の名前はわかりますか」

「名前は明菜ちゃんと言っていました。」

僕が答えると、ツーコさんは大きく目を見開き、傍らで黒崎氏も考え込んでいる。

「何か差しさわりがあったのですか」

僕の問いかけに、ツーコさんは我に返ったように顔を上げた。

「実はその絵は美咲先生が扱っているお子さんの家のものなのです。母親は明菜さんという名前です」

「彼女は生き延びていたのですね」

僕は思わず大きな声を出してしまい、山葉さんは口の前に指をあてて見せるが、彼女の顔も口角が上がり、嬉しそうな表情だ。

しかし、ツーコさんの表情には影があった。

「明菜さんは、品のいい綺麗な方なのですが、子供に対して日常的に暴力をふるっている疑いがあります」

ツーコさんの話を聞いて僕の頭の中に様々な考えが渦巻いた。

彼女の話は、僕たちが夢で遭遇した明菜ちゃんが生き延びたであろうことを示しているが、それならば何故彼女が自分の子供を虐待するのだろうか。

「虐待を受けた子供が成長すると、自分の子供を虐待するケースが多いという話のとおりなのか?」

山葉さんも楽しからぬ表情でつぶやく。

「え、えーと、まだ虐待の事実が判明したわけではありませんし。これから美咲先生がいろいろと判断するところなのです」

ツーコさんは、場の雰囲気を取り繕うように話すが、僕は釈然としない思いが募るばかりで、隣にいる山葉さんも同じことを考えている様子だ。

「もし可能ならば、私たちも明菜さんに会うことはできないだろうか」

山葉さんがゆっくりと話すのを聞いて、ツーコさんは困ったように黒崎氏を振り返った。

黒崎氏は元来寡黙な人だ。

先ほどから終始無言で考え込む様子をしていたが、おもむろに口を開くと僕たちに告げる。

「その件については、美咲先生に確認してからお返事したいと思います。連絡があるまで少しお待ちいただけますか」

山葉さんはゆっくりとうなずくと、僕たちが夢で見た情景を黒崎氏とツーコさんに話し始めた。

「私たちが垣間見たのは、あの絵のモデルとなった明菜さんが母親に虐待を受けている場面でした。それも一度ならず二度目も同じで、明菜さんの母親は不注意で彼女に重い火傷を負わせたのですが、虐待を示す体の痣の発覚を恐れて医師に見せようとしませんでした。私たちは彼女が通行人に発見されるように屋外に導いたのです」

ツーコさんが口元を押さえ、黒崎氏も驚いた様子だ。

「絵を通じてそんなことが可能なのですか」

黒崎氏がツーコさんを横目で見ながら僕に尋ね、山葉さんがカウンターの下に置いてあった油彩画を取り出しながら答えた。

「恐らく、ウッチーのサイコメトラー能力と、この絵に刻み込まれた思念の相互作用によるものだろう。私が見ているとウッチーはこの絵に吸い込まれそうな気がするのだ」

山葉さんが油彩画を差し出すと、ツーコさんは恐る恐る手を伸ばして受け取った。

先日油彩画を抱えてきた時とは、打って変わった様子だ。

「私見ですが、山葉さんと内村さんに来ていただくのは明菜さん親子にとって、有益だと思います。美咲先生の意見をもらえたらすぐに連絡しますので、明菜さんに会っていただきたいという事になったら、よろしくお願いします。」

黒崎氏が改めて依頼し、山葉さんは真剣な表情でうなずいた。

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