第158話 保護責任者遺棄致死
ゴトー不動産の物件を見てから数日後、僕はカフェ青葉に来店した常連客の阿部先生に動けない状態の病人を発見した時に放置して死に至らしめたら罪に問われるか尋ねた。
「なんやそれ?内村君がそんなことをするとも思えないのに、どうしてそんなことを聞くの」
阿部先生は怪訝な表情で僕に問い返すので、僕はゴトー不動産の事故物件で、建物に染み付いた記憶から読み取った情景をかいつまんで話す。
阿部先生は僕や山葉さんが霊視能力を持ち、浄霊も執り行っていることを知っているので、ある意味気兼ねなく相談ができるのだ。
「内村君の見た情景が本当だとしたら保護責任者遺棄致死罪に該当しますね。有罪判決を受けたら量刑は3年以上20年以下の懲役というところやね」
弁護士の阿部先生は僕の話を聞くと、沈痛な表情でつぶやいた。
「結構重い罪なのですね。例えば、配達業者の人がたまたま発見した場合でもそうなるのですか」
僕はオーダーを受けていたホットコーヒーを阿部先生に出しながら聞く。
「行きずりの人でも、明らかに体調を崩している人を発見して、救助の必要があるのに放置すれば罪に問われる場合があります。家族が発見したのに放置したのならば、量刑が重い方になる可能性がありますね。これが過失致死だと量刑は50万円以下の罰金です。救護すべき人を放置するという事は、死んでもいいという意思があったと取られても仕方がないわけです」
阿部先生は僕がペーパードリップで淹れたコーヒーを一口飲むと、笑顔を浮かべた。
「うん、美味しい。ウッチー君もプロに近づきましたね」
「ありがとうございます」
常連客の阿部先生に褒められると僕も悪い気分はしない。
僕は少し気分が上向いて店内に目を移したが、そこでこちらを見つめる視線に気が付いて再び気持ちが沈みこんだ。
お店の隅のあたりに、和服姿の老婦人がたたずんでじっとこちらを見ていたからだ。
僕たちはゴトー不動産の依頼で事故物件に行った帰り道に、その物件の前のオーナーの市村さんに偶然会ったのだが、その時市村さんの後ろに和服の老婦人の霊がくっついていた。
ゴトー不動産社長の後藤さんが横浜からカフェ青葉まで送ってくれた際に、ふと気が付くと、その老婦人の霊は僕たちに付いて来ていたのだ。
老婦人は、事故物件で垣間見た孤独死した女性だと思われる。その老婦人の霊にお引き取りいただくには、彼女の死にまつわる経緯を解明するしかなさそうだ。
「保護責任者遺棄致死という言葉は、幼児の虐待死とかに使うものだと思っていました」
「うん、一般的にはその状況で使われることが多いが、交通事故の被害者を救助していたけど、途中でやめてどこかに行ってしまった場合に、要救助者が死亡したら、たとえ最初は善意で救助しようとしていた人でもその罪に問われる場合があるから注意が必要だよ」
阿部先生は、ちょっと遠い目をしながら判例を教えてくれる。
その時、お店のバックヤードからスタッフ用のドアを開けて山葉さんが現れた。
配膳用のカートでランチプレートを運んでいた彼女は、老婦人の幽霊に気付いてギョッとしたように足を止める。
しかし、彼女にとっては、幽霊も日常の一部なので、気を取り直した彼女は素知らぬ顔で幽霊の前をすり抜けると、テーブル席のお客さんにサーブを始めた。
その様子を見ていた阿部先生は、彼女と僕を交互に見ながら言った。
「さっき話してくれたのはゴトー不動産の横浜の物件の話やね?」
「知っていらしたんですか?」
僕は幽霊の視線を気にしながら阿部先生に問い返した。
「後藤君が性懲りもなく事故物件に手を出して、君らに出動をお要請したというのは聞いている。山葉さんを後藤君に紹介した手前トラブルに巻き込まれていないか心配でね。ちょっと探りを入れてみた」
阿部先生はのんびりした表情で続ける。
「あの物件の住人が不審死した時にその人の息子が近所をうろついていたという情報が地元の交番に寄せられていて、所轄署ではその息子に対して、遺産相続目的の殺人の疑いを抱いている」
「そうなんですか。閑静な住宅街でも人目は常にあるものなんですね」
阿部先生は腕組みをして目を閉じた。
「そうなんや。内村君が見た情景が本当の出来事なら、その息子さんは殺人事件として立件されて有罪判決を受けるよりも、警察に自首して保護責任者遺棄致死の容疑で裁判を受けた方がむしろ罪は軽い」
「殺人の場合の罰則はどうなるんですか」
僕の質問に、阿部先生は目を閉じたままで答えた。
「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役」
「ほう。それならば彼女の息子の市村さんとやらに会ってみる価値はありそうですね」
いつの間にか、阿部先生の隣に山葉さんが立っていた。ランチプレートの配膳を終えてカートを押して戻って来たのだ。
「彼女?」
阿部先生は怪訝な表情を浮かべる。
「亡くなった住人の方のことですよ」
僕が説明すると、阿部先生は怖そうな表情を浮かべて周囲を見回した。
「もしかしてその人の幽霊がこの辺りにいるのではないよね」
山葉さんは、問題の幽霊をチラッと見てから僕に困った表情を向ける。阿部先生は状況を察したようでカウンター席から床に飛び降りた。
「刑事事件や裁判の話になったら僕に相談してくれたらえいよ」
伝票を掴んだ阿部先生はそそくさと店を出て行った。
「彼女は何か伝えようとしないのか?」
山葉さんは眉間にしわを寄せて幽霊を凝視するが、彼女の霊視では幽霊の表情まではうかがえないはずだ。
「それが、黙ってこっちを見ているだけなんです。僕もなんだか気になってしまって」
僕と彼女の霊視はそれぞれが違うシステムで霊の姿をとらえているらしく、見え方は一様ではない。
「いずれにしても、この状況では落ち着いて仕事もできない。一度元家主の市村さんに会って話を聞いてみよう」
「警察に訴えるのですか?」
「いや、後藤さんに依頼を受けている以上、ことが荒立つのはまずい。あの物件を何事もなかったように売りに出すのが、後藤さんの希望だからね」
山葉さんは苦笑気味に僕に説明する。
よく日の夕方、僕と山葉さん電車に乗って横浜に向かった。
京急本線の最寄り駅でゴトー不動産の田中さんと待ち合わせ、市村さんのお宅を訪問する予定だ。
駅の改札を出ると、聞き覚えのある声が響いた。
「山葉さん、内村さんこっちです」
ゴトー不動産の田中さんは会社のお仕着せらしい事務用の制服姿で待っていた。
「先日はどうもありがとうございました。おかげさまであの家に住めるようになりました」
彼女は物件の天井裏に住み着いていたアライグマを締め出したことで、問題はすべて解決したと思い込んでいる。
「市村さんのアポイントメントは取れているのですね」
「はい、あの物件のことで話を聞きたいと言ったら快く応じてくださいました」
山葉さんの問いに田中さんは機嫌よく応える。
駅を出て、時折階段が混じる道を歩くと、5分も経たないうちに先日訪れた物件があるあたりに着いていた。
田中さんにとっては、ゴトー不動産が売りに出すまでの間は自分の住居だ。
「市村さんのお宅はどちらにあるのですか」
僕が質問すると田中さんは少し離れた集合住宅を指さして見せる。
「あそこです。市村さんのお母さんがあの家と、世帯用の賃貸マンションをお持ちだったのですが、家を売りに出されて、賃貸用マンションの一室に住まれているんです」
「お母さんが一人で亡くなっていた家には住みずらいのかな」
山葉さんの言葉に、田中さんはクスッと笑って答える。
「いえ、相続税を払うのが大変だったので家の方を売ったみたいですよ。賃貸マンションの一室に住んで、残りの部屋を貸し出せば、収入も入りますからね」
不動産を相続するのも結構大変なのだなと、僕は妙な事に気を取られる。
事前にアポイントを取ったとはいえ、市村さんは訪れた僕たちを機嫌よく迎え入れてくれた。
「あの家のことで、質問があったら何でも聞いてくださいね」
市村さんは穏やかな笑顔を浮かべて話す。僕たちがゴトー不動産の仲介で尋ねてきたので、物件を買うつもりの客だと思ったのかもしれない。
「実は、あなたのお母さんが亡くなった時のことを聞かせていただきたいのですが」
山葉さんが控えめに切り出したが、市村さんの顔から笑顔が消えた。
「何だよ、また新聞社か何かの取材だったのか。あんたもその手の取材なら取り次がないでくれと言ったのを聞いていなかったのか」
市村さんになじられて、田中さんはシュンとなった。
「すいません。でもこの方たちはマスコミ関係者ではありませんから」
市村さんは改めて僕たちの顔を見回す。
「母が死んだときは、俺は埼玉県に住んでいた。当時は定職についていなくて、その日はさいたま市内でパチンコをしていたので、この辺りには来ていないがそれを証明することもできない。そんなところでいいだろ」
山葉さんの顔にうす笑いが浮かんだ。
「私はお母さんが亡くなった時の状況を話してくださいと言っただけで、あなたを疑ってアリバイを証明しろと言ったわけではありませんよ」
「あ、いや以前、警察にそんな話を散々聞かれたから、てっきり同じことを聞くかと思っただけだよ。母は病死だったんだ。俺は折り合いが悪くて離れて住んでいたから死後しばらくして宅配の人が匂いに気付いて警察に通報して発見されたんだ」
市村さんは慌てたように口数が多くなる。
「死後しばらくして発見されたということは、腐敗が進行して本当の死因は判別できなかったのではありませんか?」
「一体何が言いたいんだよ」
市村さんが怒気を含んだ声で、山葉さんに問い返す。
「言いたいのは、あなたはお母さんが病気で具合が悪くなって倒れている時に、あの家を訪ねていたのではないかということです。一説には、あなたのお母さんが発見されるよりもかなり以前にあなたらしき人影を見たと言う人がいるようですからね」
市村さんは僕たちの差し向かいに座っていたソファから立ち上がった。
「いい加減にしてくれ、あんたは一体何者なんだそんな風に俺のことを疑うんだったらもう出て行ってくれ」
市村さんが玄関に通じるドアを指さし、山葉さんは素直に立ち上がった。
「私はあの家を浄霊するために雇われた陰陽師です。ちょっと必要があってあなたにしてもらいたいことがあるのです。もしも、あなたがご実家に出入りしていた証拠を見せたら私の言う事を聞いてくれますか」
「何訳の分からないことを言ってるんだよ、出て行けと言っているだろ」
僕たちは仕方なく、市村さんの部屋を出ようとした。
しかし、田中さんが玄関のドアを開けた時、背後から市村さんの声が響いた。
「ちょっと待ってくれ、あんたは母が病気で倒れている時に俺が訪問したと言ったよな。俺が殺したと疑っているわけではないのか?」
ハイヒールを履こうとしていた山葉さんは彼の言葉を聞いてニヤリと笑った。
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