第137話 報復の森

足早に森に分け入っていく竹村さんを追って、僕と山葉さんは足元の悪い森の中を懸命に歩いた。

しかし、岩の割れ目に靴をはさまれて足を折った探索者の死体を見た後では闇雲に急ぐわけにもいかない。

足もとを確かめながら進むうちに、僕はその辺りを誰かが通った痕跡があることに気が付いた。

もちろん、竹村さんが直前に通過した場所なのだが、彼が残した踏み跡とか灌木の枝を折った後以外にも痕跡が見受けられるのだ。

それは進んでいく方向を遮る灌木を鉈のような刃物で薙ぎ払った跡や、目印にしようとしたのか、大きな木の樹皮に鉈で切れ目を刻み込んだ跡だった。

ひざ丈あたりで薙ぎ払われた灌木は、葉が茶色に変色して無残な姿で地面に転がっている。

「ここは誰かが通った痕跡がありますね」

僕が薙ぎ払われた灌木を示すと、山葉さんも硬い表情でうなずく。

「私も気が付いていた。ウッチーが持っている大ナタみたいなものを使ったようだな」

「目印のために木の幹に傷をつけていくなんて乱暴ですね」

少なくとも自然公園の中で勝手に立ち木を伐採し、木の幹に傷をつける行為は感心しない。樹海を「探検」する人々も目印には合成樹脂製のテープを使う場合が多いのだ。

「そんなことに頓着できないくらい切羽詰まった人がいたのかもな、その人自身が自殺しようとしているとか、あるいは」

山葉さんの言葉は森の静寂に吸い込まれるように途切れた。

森の地面を覆いつくす苔には竹村さんの踏み跡が残り、時折足を滑らせたのか、苔がはげ落ちて岩の地肌がむき出しになった個所もあった。

足跡の周囲には灌木を切り払ったり幹に傷をつけた跡が続き、竹村さんはその痕跡を頼りに歩いているようにさえ見える。

やがて、僕たちの行く手に竹村さんの後姿が小さく見えた。そしてその足元には何かがある。

僕たちは嫌な予感を抱えながら竹村さんがいるところに近づいたが、目に映るのは予感を裏付ける物ばかりだった。

彼の足もとには、先ほど見つけた探索者の遺体と同じように風雨にさらされて少し色あせた衣服が横たわっている。そしてその衣服には中身が残っているのも明らかだった。

「これは恵理子です。間違いありません」

完全防寒仕様に見えるダウンジャケットの襟の上にボリュームのあるセミロングの黒い髪が見える。しかし、生前を忍ばせるのは頭髪だけでその下には白骨化した頭蓋骨が覗いていた。

竹村さんは奥さんの変わり果てた姿を前にして声を殺して泣いていたようだ。僕は彼に掛ける言葉が見つからなくて、黙ってうなずく。

しかし、山葉さんは無遠慮に質問を投げた。

「さっき私たちが人影が見えると言った時にはあまり気乗りがしない様子だったのに、ここに来るときは追いつけないほどの勢いで歩いていましたね」

「恵理子の姿が見えたからそれを追ってきたのですよ。さっき言ったじゃないですか」

竹村さんは顔を上げると涙をぬぐってから憮然とした表情で言う。

「どうかな。あなたは恵理子さんがここにいるのを知っていたが、それを私達と一緒に捜索して見つけたように装いたかったのではないかな」

僕はギョッとして山葉さんの顔を見る。竹村さんは立ち上がると心なしか眉を吊り上げた表情で言う。

「どういうつもりで言ったのか説明してもらいましょうか。内容によってはただではすませませんよ」

「どうもこうもない、あなたは多額の保険金をかけた奥さんを殺害し、青木ヶ原の樹海を散策中に不慮の事故で亡くなったと見せかけるため遺体をここに運んで遺棄したのだ。遺体が腐敗して白骨化してから発見されたらもはや死因は調べようがないからね」

山葉さんは躊躇なく言い放った。竹村さんは険悪な形相で彼女を睨む

「誤算だったのは、地元の消防や警察が行っていた行方不明者の一斉捜索が中止されていたことかな。遺体が発見されないことには死亡が確定できないので保険金は下りない。あなたは昨年末のビッツコインの暴落で資産を大きく減らしたはずだ」

「それとこれがどう関係があるのかな」

竹村さんはポケットに手を入れながら、山葉さんに一歩近寄る。

「ビッツコイン以外にも投資をしていたとしたら、所持金が足りなくて保証金を要求されるケースに対応できなかったのかもしれない。あなたは急場をしのぐために高金利の街金に手を出して首が回らなくなり、奥さんの遺体を発見したように見せかけて保険金を手にしようとしてこんな狂言を打ったわけだ」

「どうして、そんなことがわかるのかな」

竹村さんの表情は豹変した、新婚の妻の行方を案じている好青年の雰囲気はなくなり、もっとふてぶてしくて押しが強い雰囲気となり、凄みのある微笑さえ浮かべている。

「ここに来る途中ウッチーが探索者の霊を見てそれを追って遺体を発見したわけだが、あなたはそのシナリオに飛びついてしまった。自分も妻の霊を見てそれを追っているうちに遺体を見つけたと言えば皆が納得すると思ったのだろうな」

山葉さんはおかしそうにクツクツと笑う。

「何がおかしい」

「犯人しか知りえない情報の提示は自供以上に犯罪の証拠となる。奥さんの死体がある場所まで率先して私たちを案内したのは、自分が死体を遺棄しましたと言っているのに等しいとわからないのかな」

「違う。私は恵理子の霊を見て、それを追っているうちに死体を見つけたんだ」

竹村さんは大きな声で山葉さんに言い返した。その顔には赤みがさしているように見える。

「警察が霊の存在など信じるものか。なまじ霊を信じるというなら教えてあげよう。あなたの奥さんの霊は私たちが最初に会った時からずっとあなたに絡みついてあなたの首を絞め続けているんだよ」

竹村さんは思わず片手で自分の喉を押えた。しかしもう片方の手はポケットから取り出したものを握っていて、それはパシッと言う音と共に鈍い光を放った。

彼が持っていたのは刃渡りが20センチメートルはありそうな飛び出しナイフだった。

「あんたたち二人は恵理子の捜索途中に行方不明になったことにしよう。見当違いの方向に運んでおけばそう簡単には見つからないはずだ」

竹村さんは凄みのある笑いを浮かべる。僕は持っていた大ナタをさやから抜くと、山葉さんと彼の間に割り込んだ。今にして思えば、遊歩道からここまでの森で木の幹につけられた傷や薙ぎ払われた灌木は、竹村さんが殺害した恵理子さんの遺体を運んだ時に、大ナタを使った跡だったのだ。

僕が竹刀のように大ナタを構えると、竹村さんは余裕たっぷりにナイフを左右に持ち替えて見せる。一見すると大ナタは刃渡りが長くて有利に見えるが、刀身の厚い大ナタは重すぎて振り回しづらい。

『小太刀を使う者は動きが素早い。その鉈で戦うつもりなら、上段に構えて奴が踏み込んできた瞬間に振り下ろして頭を割れ』

僕の頭の中で聞き覚えのある声が響いた。それは時折姿を見せる山葉さんの先祖と思われる戦装束の武士の霊のものだ。

『そううまくできるかどうか』

僕が躊躇すると声は続ける。

『わしの言うことを聞け。そんな構えでは懐に飛び込まれて好き放題刺されてしまう』

彼の言葉に間違いはなさそうだ。僕はやむなく「声」の指示通りに大ナタを頭上に振りかざした。頭上に構えるとガードが無くて頼りない感じがする。

しかし、竹村さんは僕が振りかざした大ナタに威圧を感じたようだ。じりじりと後ずさる彼を追って、僕が一歩踏み出すと、足の下でぽきりと何かが折れるのを感じた。

僕の足の下には、恵理子さんの防寒着の袖の部分があった。僕はうっかりして彼女の

腕の骨を踏み折ってしまったのだ。

「しまった」

僕の注意が足もとにそれた瞬間、竹村さんは一気に僕に詰め寄る。

慌てて大ナタを振り下ろす僕と、ナイフで襲い掛かる竹村さんの距離が縮まった時、周囲は白い光に包まれた。

光が収まった時、僕も竹村さんも動きを止めて毒気を抜かれたように互いを見つめる。そして僕は竹村さんに絡みついている姿に気が付いた。

それは写真で見た恵理子さんだと判別できた。しかしその表情は夜叉のように険しく、その両手は竹村さんの首を絞めている。

竹村さんも恵理子さんの姿が見えたようで間近にある彼女の顔から逃れようと後ずさりした。

「くそ、お前たちこんな幻覚を俺に見せてどうするつもりだ」

「幻覚ではない。それはあなたに殺された恵理子さんの霊そのものだ」

山葉さんが平板な口調で告げると、竹村さんは恵理子さんから逃れようと後ろを向いて走り始めたが、恵理子さんが自分に張り付いて離れないことを悟ると、悲鳴を上げ始めた。

「わあああ。放せ、放してくれ」

竹村さんの叫び声は続いたが、次第に僕達から離れていくようだった。

彼の声が聞こえなくなった時に山葉さんはぽつりと言った。

「何だか後味の悪い結末だったな」

「坂田警部はこのことに気づいていたのですかね」

僕が尋ねると、山葉さんは肩をすくめて見せた。

「彼のことだから薄々感づいていたのかもしれないな」

彼女は、ポケットからスマホを取り出すと通話を始めた。

「山葉です。竹村さんの先導で樹海に分け入って、恵理子さんの遺体を発見しました。竹村さんは恵理子さんの殺害を認める意味合いのことを口走ってから森の奥に姿を消しました」

『なんですって。一体何が起きたのですか』

僕にも聞かせるつもりらしく受話音量を上げた彼女のスマホからは室井さんの声が流れる。

「竹村さんの話の矛盾点を追及したら、彼は自分が恵理子さんを殺害したと認めたうえで私たちの口を封じようとして、飛び出しナイフで襲ってきたのです。幸いウッチーが大ナタで反撃して撃退してくれたけどね」

室井さんからはしばらく応答がなかったがやがて彼の声が響いた。

「今、こちらに地元の所轄の警察官が来ています。応援を要請しましたからそこを動かないでください。私はすぐそちらに向かいます」

「GPSの座標をSMSで送るからそれを参考にしてくれ」

山葉さんは最後に言った通りに自分のスマホのGPS座標を室井さんに送ってから大きくため息をついた。

「奴が豹変した時に守ってくれてありがとう」

彼女は、僕の右腕に取りすがるようにしてコテンと頭を預けてきた。

「いや、大したことはできなかったし」

「武器を持った殺人犯と対峙するのはなかなかできることではない。強くなったね」

彼女は僕の首に手を絡めて来る。それは、恵理子さんが竹村さんの首に手をかけていたのと違ってソフトなタッチだ。

室井さんの到着までしばらくかかるだろうと思った僕は、目を閉じて彼女に身を任せた。

その日から、地元の警察署による大規模な山狩りが行われた。行方不明者の捜索と殺人事件の被疑者の捜索では自ずと扱いが違うようだ。

翌日には、森の中で放心状態になっている竹村さんが発見されたが、彼は既に正常な精神状態ではなかった。自分が殺した妻の霊と樹海でに一昼夜過ごしたのでは無理からぬところだ。

数日後、僕と山葉さんは地元の警察署に証言のために呼ばれた。

パトカーで迎えに来ると言う申し出を断ってバイクで出かけてきた僕たちは、当たり障りのない証言をした後、再び青木ヶ原樹海を訪ねた。

恵理子さんの遺体の発見現場近くは、立ち入り禁止となっており、森の奥には大勢の警察官の踏み跡が道のように残っている。

「遺体の発見現場には入れないようですね。もう少し遊歩道を歩いてみましょうか」

「そうだね。あてがあるわけではないが、森の奥に行ってみよう」

山葉さんは、遊歩道の脇にあった灌木の枝を無造作に折り取った。

「その枝を何に使うんですか」

「これは榊だ。左右対称で先端がとがった枝が神事にはよいのだ」

僕は彼女の手の枝をまじまじと見つめた。いつも彼女が祈祷に使う植物なのに、森の中では全く見分けがつかない。

僕は遊歩道を歩き始めた彼女に尋ねた。

「いつ竹村さんが犯人だと気が付いたのですか」

「推理と言うのは、結論が天から降ってくるのではなくて、様々な情報を積み重ねて演繹した結果たどり着くものだ。私も彼が犯人だと確信したのは恵理子さんが見えると言って森に踏み込み始めた時だよ」

僕が尋ねると、山葉さんは榊の枝を軽く振りながら答える。

遊歩道を歩き続けるうちに、僕の目に遊歩道脇の岩に腰かけた女性の姿が映った。それは霊視ができる僕達には姿が見えるが普通の人は近場を通ると寒気を感じる程度の存在、早い話が幽霊だった。

「山葉さんあれは?」

「無関係の自殺者ではなくて恵理子さんのようだな。」

僕たちが近寄ると、気配を察した女性は振り返った。

『私が見えるの?。あなたたちは、竹村を連れてきてくれた人たちね』

山葉さんはうなずいてから、ゆっくりと彼女に告げる。

「あなたはここにいては悪霊になってしまう。私はあなたを行くべきところにお連れするために来ました」

恵理子さんはゆっくりと目を閉じて独り言のようにつぶやき始めた。

『彼は私がヒマラヤトレッキングに行こうと思って積み立てていたお金を無断で仮想通貨取引につぎ込んでいたのよ。仮想通貨が暴落した時に、夫婦とはいえ元の金額は返せと言って攻め立てていたら、ある日逆上した彼が私の首を絞めたの』

「お気の毒です」

『本当は仮想通貨とか証券先物みたいな浮いた話から足を洗ってもらいたかったのだけどうまくいかないものね』

彼女はため息をついて空を見上げた。

『ヒマラヤ行きたかったな』

山葉さんは僕を振り返って困った表情を浮かべたが、やがて気を取り直したようにいざなぎ流の祭文を唱え始めた。

いざなぎ流の祈祷は神楽とも呼ばれ、ゆっくりとした動きで舞い、神に感謝の意を伝えるのだ。

祭文を唱えながらひとしきり舞った山葉さんが動きを止めた時、恵理子さんの姿は見えなくなっていた。

僕たちは目的を果たしたものの後味の悪さは残る。

無言で駐車場に戻る道をたどっていると、一人の若い女性とすれ違った。遊歩道にはそぐわないスーツ姿で思いつめたような表情で先を急いでいるが、その顔だちには既視感があった。

「今の人、恵理子さんにそっくりでしたね」

僕はその人が見えなくなってから山葉さんに囁いた。

「彼女は恵理子さんの妹さんだ。身重だから無理をしなければいいのだが」

彼女は秘密の話をするように、こそこそと僕に告げた。

「何故そんなことがわかるんですか」

「人の生き死にの間際には「永遠」のようなものが口を開けるんだよ。恵理子さんはきっと妹さんの娘として新たな生を送るのだろうな」

彼女は微笑を浮かべながら推量形で話しているが、それは彼女の中では規定事実なのだろう。

神に仕える巫女が知り得ても他言はできない話もあるかもしれないので、僕はあまり深入りしないことにした。

「折角来たのだから、風穴でも見て行きませんか」

僕たちは風穴の入り口に差し掛かっていたのだ。

「そうだね。後学のために覗いて行こう」

彼女は僕の手を引っ張って入場料の支払い場所に歩き始める。

風穴の入り口には入場料の支払い場所があり、数人の観光客の姿も見えた。

周囲の森は静寂をたたえているが、僕は異形や妖が住まう地から人の住むエリアに戻ったことを感じていた。

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