第111話 やっぱり異世界ライフ
「あんたと一緒にいたお姉さんが除霊をしてくれるんだろ。早くしてくれよ」
田中君は必死の表情で僕に訴える。どうやら彼は自分が死んだという自覚がないようだ。
僕は、彼に自分自身が幽霊になっていることを教えたものかどうか悩まむが、とりあえず室内に招き入れることにした。
「田中君、とりあえずこっちに入りなよ。ゆっくり話をしよう」
僕が先に店の中に入って手招きすると、彼も後に続こうとする。
しかし、次の瞬間には彼の姿は跡形もなく消えていた。
僕は何の気配もしなくなった店の前を見回し、思わず身震いすると中に入った。
とりあえず、店の出入り口を施錠し、セキュリティーシステムを入れてから2階に上がると、山葉さんはパステルカラーのパジャマを着てくつろいでいた。
「一体何が来ていたのだ?」
彼女はテレビのスイッチを入れながらのんびりと尋ねる。
「夕方会った田中君でしたよ。自分が死んだことを自覚していないみたいで、秋山君の幽霊を見たから除霊してほしいと言っていました。店の中に連れてこようとしたらそこで消えてしまったんですけど」
「それは難儀だなあ。その手の霊に自分の死を告知したうえで、因果を含めて神上がりさせるのは面倒くさいんだよ。消えてしまったのなら、あえて探すのは明日にしよう」
彼女はテレビ画面にネットの動画サイトを転送して見始めた。お風呂に入ってしまったので今日はもう仕事をするつもりはなさそうだ。
僕も彼女の横に並んでソファーに座った。くつろいでいる時間に厄介ごとを持ち込みたくないのは僕も同感だった。
僕は動画を見てクスクス笑っている山葉さんに、ジワジワにじり寄って肩に手を回した。
僕と目が合った彼女はゆっくりと目を閉じて顔をこちらに向ける。僕が彼女と唇を重ねようとした時、階下から再びドンドンとドアをたたく音が響いてきた。
いいところで邪魔が入った僕は、面白くないが腰を上げる。
「やはり彼が戻ってきたのでしょうか」
「たぶんそうだね。仕方がないからうちの中までご案内したら声をかけてくれ」
山葉さんも、相手をせざるを得ないとあきらめたようだ。
僕が階下に降りて、先程と同じように店の出入り口を開けると、そこにはやはり霊となった田中君がたたずんでいた。
「さっき、俺はお店に入ろうとしたよな?。どうして俺は自分のマンションの前にいたんだろう」
彼は深刻な表情をして、僕に問いかける。
「確かにここに来ていたよ。急に姿が見えなくなって驚いていたんだ。早くこちらに入りなさい」
僕が声をかけると、彼はうなずいて店内に入ろうとする。だが出入口の敷居をまたごうとした瞬間に彼の姿は消えていた。
僕は辺りを見回して、彼の姿が見当たらないのでため息をついて、店の2階に戻る。
「どうだった」
「田中君でした。またお店に入ろうとした瞬間姿が消えました」
山葉さんはやれやれという様子で首を振る。
「どうやら何か理由があって彼の霊はこの店には入れないようだな」
彼女はテレビを消してベッドに腰かけている。僕がそちらに歩いていこうとすると、再び階下からドンドンと何かをたたく音がしてきた。
「様子を見てきます」
僕はまた、階下に降りてみた。
セキュリティーを解除して店内を覗くと僕は背筋がぞくりと逆立った。
田中君らしき人影が店の通りに面した窓に張り付いていたからだ。
窓ガラスは素通しのはずなのだが、彼の姿はすりガラスを通してみているようにぼやけている。そして彼が叫んでいる声もくぐもって何と言っているのか判別できない。
僕は2階に戻って山葉さんに状況を告げた。
「深夜の路上でいざなぎ流の祈祷をするわけにもいかない。田中君には悪いが今夜はこのまま放置しよう」
山葉さんも霊に対しては少し冷たいところがあるようだ。
結局、僕はその夜、普通の人には聞こえない死霊がドアをたたく音や内容が聞き取れないくぐもった声を一晩中聞く羽目になったのだった。
翌朝、僕は目を覚ますと階下に神経を集中してみた。
ドアをたたく音はまだ続いている。
寝不足気味のもうろうとした頭で周囲を見回すが、山葉さんの姿は見えない。
階下に降りると、彼女は出勤してきた細川オ-ナーと賄いの朝食を食べているところだった。
「おはよう。ウッチー君も一緒に食べなさい。今朝はあなたがバイトのシフトに入っているでしょう?」
細川さんに勧められるままに僕も従業員用のテーブルに着いて朝食を食べ始めた。
「おはよう。よく眠れたか?」
山葉さんはさわやかな笑顔を僕に向ける。
「あまり眠れませんでしたよ。彼の物音がどうしても耳についてしまって」
彼女はなぜか巫女姿に着替えて朝食を食べている。
「彼が入ってこられない理由の見当がついたよ。この店には以前、七瀬美咲が結界を張ったことがある。その結界の効力が残っているから彼は出入り口の敷居ではじかれているに違いない」
「それではどうするつもりなんですか」
「さっき彼女にメールを送っておいた。メールを見たら結界を解除して、お昼には元に戻しておいてくれと頼んでおいた」
まるでセキュリティー会社にシステムの解除と復帰を頼むような気楽さだ。
「結界を解除したままにしないのですか」
「それがね、美咲の結界があると邪霊の類が入り込んでこないから楽でいいのだ。持つべきものは友達というやつだな」
その時、山葉さんのたもとの辺りからピローンと着信音が鳴った。
スマホを取り出した彼女は画面を眺めてから言った。
「もう解除してくれたそうだ。結界の効力再開は正午から。いろいろ借りがあったからお安い御用だと言っている」
朝食をあらかた食べ終わった僕はコーヒーを飲みながらうなずく。
「そういうわけだから、ウッチー、田中君ををいざなぎの間までご案内してくれないか。カフェ青葉の開店時間までに彼を神上がりさせるよ」
彼女はポストの朝刊を取って来てくれと言うような気軽さで僕に言いつけるが、相手は昨夜交通事故死した中学生の霊である。
僕はカップのコーヒーを飲み干すと、深呼吸して立ち上がった。
出入口のロックを外してドアを開けると、田中君の霊が僕の目の前にいた。
「どうして開けてくれなかったんだよ」
彼は不機嫌な表情で僕をにらむ。
「君が入れるようにするのに時間がかかったんだ。今度こそ一緒に来てくれ」
僕が室内に入ってから手招きすると、彼はフッと室内に入り込んできた。
僕がお店からバックヤードに移動するとそれに連れて彼も移動してくるのがわかる。
そう、見ているわけでもないのにそこにいるのがわかるのだ。
僕が次第に足早になりながらいざなぎの間の前にたどり着くと、山葉さんが待ち受けていた。
「おはよう田中、ここに座ってくれるかな」
彼女は、営業用の華やかな笑顔で田中君に微笑みかけると、いざなぎ流の祭壇に相当する「みてぐら」をしつらえた和室の座布団を示す。
「除霊をしてくれるんですね」
田中君は嬉しそうな顔で山葉さんを見上げる。彼女は笑顔のままで田中君に告げた。
「私は除霊とは言わない。死者の魂を清めて神として祀り、来世へと送り届けるのであって余分なものや悪しきものを取り除くという考え方ではないからだ。」
田中君は感心したように彼女の顔を見つめる。
「それじゃあ、秋山の魂を清めてくれますか」
「いいや、今日清めるのは君だ」
山葉さんは頭を振って、持っていた御幣を一旋した。
同時に、みてぐらに供えられていた、いざなぎ流の式神たちがザアッっと音を立てて飛び、田中君に絡みつく。
次の瞬間、田中君は和紙で作られた式神に巻きつかれて、体の自由が利かない状態で畳に転がっていた。
「ちょっと、一体どういうことだよ」
「田中君、君は昨夜交通事故で死んだのだ。おそらく事故の直前に秋山君の霊を見たのかもしれないね。その記憶に引きずられて私たちの所に浄霊を頼みに来ていたわけだ」
田中君の顔にゆっくりと恐慌が広がっていくのが見て取れた。
ぼくはチラッと後ろを振り返って細川さんの様子を見た。彼女は素知らぬ顔で開店の準備を進めている。
「いやだ、俺はまだ死にたくない」
田中君は暴れようとするが、式神たちは彼をきつく戒めていてピクリとも動くことができない。
「もう死んでいるのだ。事実は動かせない。明日にも君の体は荼毘に付されてお骨にされるだろう。このまま浮遊霊としてこの世をさ迷い続けたくなければ、私の導きに従って来世に転生しなさい」
「転生?」
田中君は暴れるのをやめた。
「そうだ、うまくいけば君のご両親の子供として再び生を受けることができるかもしれない」
その言葉を聞いた田中君は再び暴れ始めた。
「ふざけるな。俺の両親なんていつも喧嘩しているばかりだ。俺が今までどんな思いをして生きてきたと思っているんだ。そんなことをされるぐらいならこの店の周りを永久にぐるぐる回っているほうがましだ」
山葉さんが助けを求めるように僕の方を見た。眉毛がハの字になって本当に困っているようだ。
「彼女は例えで言っただけだよ。この世界の未来のどこかでまた最初から人生をやり直すんだよ」
田中君は暴れるのはやめたが、僕の方をにらんで言う。
「この世界と言うのが気に入らない。どうせ生まれ変わっても格差だらけで、恵まれているやつに比べたら最初からハンデをつけられて太刀打ちできないんだろう。どうせならファンタジーの世界にでも送ってくれればいいのに」
まただと思い、僕は以前ファンタジー系異世界に転生させた人を思い出した。
僕たちはこの世界での転生を拒絶する青年の地縛霊を何処とも知れぬ世界へと転生させたことがあったが、彼が望むような世界に行けたかは知るすべすらない。
山葉さんはじっと目を閉じて考えていたが、目を開くと田中君に告げた。
「送り出すだけならできないこともない。しかし、それは君が思っているのとは違うかもしれない。人には理解できないような世界で何だかわからない生き物として生きていかなければならないかもしれないのだ。それでもいいなら望みどおりにしてやろう」
田中君は彼女の言葉をじっと考えていたようだが、やがてゆっくりと言った。
「それでもいい、お願いします」
山葉さんはため息をつくと僕に告げた。
「ウッチーはもういいから細川さんを手伝ってくれ。田中君の祈祷は私一人で行う」
彼女は正統な目的でない祈祷を僕に見せたくないのかもしれなかった。
僕は言われるままに細川さんと開店の準備をした。店内に食材を運ぶときには山葉さんが、いざなぎ流の祭文を詠唱する声が漏れ聞こえる。
あらかた準備ができたので、いざなぎの間に様子を見に行ってみるとそこには田中君の霊は存在しなかった。
「もしも私たちの子供が、」
山葉さんは神楽を舞いながら祈祷を唱えたために息を切らしていた
「私たちのことを振り返りもしないで、見知らぬ世界へと行ってしまったら、私はひどく悲しむだろうな」
彼女は小さな声でつぶやくとため息をついた。
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